居酒屋で聞いた友の愚痴より
@hawk_ichiro
居酒屋で聞いた友の愚痴より
「まったく、正直者が馬鹿を見る世の中だよな」
それがお前の最後の言葉だった。いや、正確に言えば、俺が覚えているお前の最後の言葉で、もっと正確に言えば、俺が覚えているお前の唯一の言葉。俺は何て返したんだっけな。それすらも忘れちまったみたいだ。
お前からの五年ぶりの連絡をもらった時、俺はちょっと嬉しかったんだぜ。でもいざ久しぶりに会ってみれば、お前はどこにでもいるただのサラリーマンが、酒の席でこぼしていそうなありふれた愚痴を延々と喋り続ける、どこにでもいるただのサラリーマンだった。そうか、別に誰でもよかったんだな。お前はただ愚痴を聞いてくれる相手が欲しかっただけなんだ。
貴重な休日の三時間と、決して安くはない飲み代とを犠牲にして、得たものは「正直者は馬鹿を見る」なんていう、親の顔程も見た使い古された言い回したった一つだったけれど、それが今こうして俺がペンを取る理由になっているのならば、もしかしたらお前には感謝するべきなのかもしれないな。
***
「正直者が馬鹿を見る世の中」ってのは確かに間違ってると思うし、正されるべきだとも思う。でも同時に、俺はこの手の言葉を耳にする度に、自分の心の奥深くの方で何か得体の知れない感情が沸々と湧き上がってくるのを感じる。そしてそれは、きっと喜びに近似されるべき感情である。
あまり生き様や人生哲学やらについて語りたくはないが、よくよく考えてみればこの手の言葉の意味するところには、俺が人生の中で最も優先しているある一つの価値判断の基準を、端的に表しているという側面がある。単純な損得で生きるのには、俺より上手なやつが世の中にはごまんといる。それじゃどう頑張ったて俺はみんなと同じ景色までしか拝めない。俺は他の誰も見たことのない、自分だけの想像世界を創りたい。いつかこの現実さえも喰らいつくしてしまうような、獰猛で鮮烈で刺激的な世界を、この頭の中に飼い慣らしたい。だから俺は「馬鹿を見」たい。他の誰もやりたがらないことをやって、他の誰も見たことのない景色を見て、他の誰も感じたことのない感情を知る。損得で生きてちゃ、それはできない。
正直であれ。愚かであれ。憐れであれ。敗者であれ。
俺が世界で一番、馬鹿を見てやる。
***
やっぱり酒を呑んだ日ってのは筆が進むもんだな。いや愉快、愉快。さ、今日はもう眠るか。え?書き終わった文章を見直さないのかって?自分で書いたもんの良し悪しなんて、明日になってみないと分からんだろうが。酒の入った自分てのは、一番信用ならねえんだ。明日には、全く違うことを考えているかもしれねえしな。
居酒屋で聞いた友の愚痴より @hawk_ichiro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます