第1回「短歌の秋」投稿作品

色彩の杜の拓けし真ん中の若き銀杏に鹿の佇む

色彩しきさいもりひらけしなかわか銀杏いちょう鹿しかたたず



―――


 「忘れられない光景」って、人それぞれあると思いますが、海瀬の忘れられない光景のひとつがこれです。


 家族旅行で奈良のとある大きな公園に寄った時のこと。海瀬以外皆トイレに行くと言うので近くで待つことにしました。当時中学生。家族と一緒に自分もトイレにいくという発想はなかったです。


 「トイレの出口から見えるところにいてね」と言われたので、好奇心の赴くままにその場を離れました。


 当時の海瀬は「見える範囲なら多少離れても大丈夫!」と考えたわけです。中学生にもなって、自分勝手な解釈をしていましたね。端的に言ってアホです。


 整備された小道をはずれ、色とりどりに紅葉こうようする木々の間を奥へ進むと、少し開けた場所があって真ん中に小さな銀杏がポツンと立っていました。その下にはジッと佇む一匹の鹿。銀杏の木の周りには秋の日の光が差し込み、ひらひらと落ちる銀杏の黄色い葉を照らしていました。木にまだついている葉も地面に落ちた葉も柔らかく輝いて見えて、そこだけ一枚の絵画のようでした。ずっとここでこの光景を眺めていたいと思いました。


 で、今「皆がトイレから戻るの待ち」していたことを少しの間忘れてました。


 正直に言うと、心のどこかで少しくらい長居してもなんとかなるって思ってました。だって紅葉の中を歩きながら、度々トイレを振り返って出口が見えることを確認していたから。


 中学生の海瀬は「こっちから見えていれば向こうからも見える!」理論で動いていました。なので、小さくても木々の間からでも「トイレが見えればOK!」だと思ってました。アホです。間違いなくトイレの出口から海瀬は見えなかったと思います。「こっちから見えても向こうからは見えない」状態でした。

 更には「トイレから見えるところ」が「トイレから出てすぐのところ」だと思ってなかったんですよね。

 当時、携帯は持ってない子の方が少数派で、海瀬は少数派側でした。はぐれたときの連絡手段も無いのによく歩き回ったなと思います。やっぱりアホでした。


 我に返り、トイレの方を振り返ると母が出てくるのが見えました。すぐに戻りました。


 トイレから離れたことを怒られました。


 母は、中学生とはいえ慣れない土地で一人になる海瀬を心配して急いで戻ってきたのに、本人は居なくなってて。

 親になった今なら分かる。 戻って来たときに我が子がその場にいなかったときの焦りや不安。

 連絡も取れなくてやきもきさせられ、きっと数分が途方も長く感じられたと思う。やっと戻ってきたと思ったら「向こうの紅葉すっごく綺麗だったよ!」とホクホクしてて。そりゃ怒る。


  当時の海瀬は、「見える場所にいたし(いない)全員集まる前には戻って来たのに(母が戻ってきたときに近くにいなくて心配されてた)なんで怒られてるんだろ」と思ってました。


 あれ、忘れられない光景の話をしていたはずがいつの間にか旅先で怒られた話になっちゃいました。どうしてこうなった。


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第1回「短歌の秋」投稿作品 @ei_umise

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