殺し屋藤堂最後の仕事

宮野優

前編

※作者からのご注意

 こちらは内輪向けの、二次創作ではないけれど半ば二次創作的(?)な小説となりますので、タイトルやタグでピンとこない方は楽しめないかもしれない旨、あらかじめお断りしておきます。



   前編 AGE31



 今日の昼も彼女は公園のベンチに座っていた。長時間外にいても寒くないようにベージュのトレンチコートを着ている。いつものように真剣な顔で週刊少年ジャンプを読んでいる。

「こんにちは。今週もジャガーから?」

 彼女が顔を上げて会釈する。藤堂も挨拶を返す。

「こんにちは。習慣なものでね」

 藤堂はジャンプを巻末から読む。以前それを聞いた彼女は「本を後ろから読むなんて、変わった人ですね」と笑ったが、藤堂に言わせればジャンプを今まで読んだことがなかったという彼女の方がよほど変わった人間だ。

 職場の昼休みに最寄りのコンビニで買った週刊少年ジャンプを読む。これが藤堂の唯一の娯楽だった。

 世間からのカモフラージュのために出勤しているダミー会社で、依頼をこなしに出かけているとき以外は待機する日々――そんな代わり映えのない一週間の始まりを彩るオアシス。

 ある月曜日、そこに異物が現れた。

 藤堂がいつも腰掛けているベンチに先客がいた。色の白い、長い黒髪の女。歳は藤堂よりいくらか下だろうか。おそらく世間では整った顔立ちと言われる類いの面差しなのだろうが、基本的に異性への――いや人間への興味が薄い藤堂にはよくわからない。

 女は弁当箱からサンドイッチをつまんで食べながら、雑誌を読んでいる。ジャンプだ。この女、『NARUTO』を読みながら昼飯を摂っている。

 藤堂は一瞬躊躇したが、ここは自分の縄張りであるという意識もあり、同じベンチの端に腰掛けた。そして一時間かけて、自分もコンビニで買った菓子パンを貪りながら黙ってジャンプを読んだ。

 その日は言葉を交わさなかったが、翌週はなんとなく互いに会釈するようになり、その次の週は声に出して挨拶を、翌月からは少しずつ会話するようになった。

「漫画ってほとんど読んだことがなかったんですけど、いつもコンビニにこの雑誌がたくさん置いていたから、ふと読んでみたくなって。一番たくさん置いてるから、きっとこれが一番面白いんですよね」

「どうでしょうね。私もこれしか読まないのでわかりませんが」

 浮世離れした女だったが、自分も一般社会とは断絶している藤堂にとってはそこがむしろ話しやすかったのだろう。

 二人の間に鮮やかな紅葉が落ちる。彼女と出会ったとき、公園の木々は青々と茂っていた。あれからもう季節が移り変わったのか。

「『みえるひと』が終わりましたか」

 藤堂がジャンプを巻末から読むのは、最終回の漫画を――取り分け人気低迷によるいわゆる打ち切り最終回を真っ先に読んでおきたいからだった。

 なぜそう感じるのかはわからない。殺し屋という仕事をして、人間の命を粗末に扱っているから、漫画の最終回という作品の死には真摯に向き合いたいという深層心理の表れなのかもしれない(もっとももう随分長いこと巻末の漫画は『ピューと吹く!ジャガー』で固定されていたので、打ち切り最終回の漫画より先にまずジャガーを読むことになっていたのだが)。

 こんな仕事をしているせいもあって、藤堂はプライベートで人と関わることをしない。それが当然と思って生きてきた。家族も友も、漫画の中でしか知らない。だがそんな彼が、週に一度の不思議な女との関わりを、いつしか心地よく感じるようになっていた。

 いけない。これは弱さだ。もうここに通うのはやめて、ジャンプは別の公園で読むべきだ。彼をここまで生かしてきた危機察知能力はそう叫ぶのだが、それでもその本能に逆らうように、彼女に会いに行くことをやめなかった。

 そう、認めざるを得ない。もはや公園はジャンプを読むためではなく、彼女に会うために通う場所になっていた。



 それが間違いだったと悟ったのは、ある月曜、彼女の姿が見えずにバッグだけが置かれ、その下にこれ見よがしに置かれた手紙を開いたときだ。

 ――女は預かった。返してほしければ一人でここに来い。

 記された座標の位置は、家族ぐるみの暗殺集団として裏社会では名の通った仁居戸にいと家の、その総本山とも言える屋敷だった。

 最強の殺し屋と呼ばれる藤堂。恨みなら星の数ほど買っている。誰かと親しくすることなど御法度だとわかっていたのに、彼女を巻き込んだ。

 すぐさまダミーの会社に戻り、武器を調達して奴らの拠点に乗り込む準備をした。

「おい、本当に一人で仁居戸の屋敷に乗り込む気か!? いくらお前でも死ぬぞ」

 長年の「上司」が止めに来た。昔ほどの勢いはないとも聞くが、それでも仁居戸家は一流の殺し屋を何人も抱える集団だ。だが藤堂の決意は固かった。

「最強がこんな舐めた真似されて、黙っとるわけにもいかんやろ」

 それに元より死ぬのは怖くない。散々殺してきた自分がいつか殺されるとしても、当然の報いというだけの話だ。

 だが彼女が誘拐されたとき、彼女が殺されるかもしれないと想像して、それを怖いと思う自分がいた。

「それにな、わいは人殺しの人でなしやけど、一生に一度くらい、悪党共から女助けるような、漫画の主人公みたいなことやりたいと思ってん」



 ところが現地に着いた藤堂を待っていたのは、既に事が起こり、半ば終わった後の空気――血と臓物と硝煙の匂いだった。

 屋敷は至る所に死体が転がっていた。生きている者とも遭遇して、そいつらは藤堂に気づくとすぐに襲いかかってきたが、当然そこに新たな死体が転がることになるだけだった。

 会敵した仁居戸の者を皆殺しにしながら屋敷の深部へと向かった藤堂が目にしたのは――

 ベージュのトレンチコートを血まみれにして立ち尽くす、彼女の姿だった。

 ――美しい。

 真っ先に藤堂の脳裏に浮かんだのは、そんな場違いな感想だった。

「――もう辿り着いたんですね。まだ屋敷には半分は残っていたのに……」

「全部殺してあなたを助けるつもりだった。半分なら簡単ですよ」

「さすが最強の殺し屋ですね」

「……これはあなたが?」

 藤堂は床を指して聞く。この部屋だけでも死体が三体。皆手に武器を持って事切れている。

「わたしはこの仁居戸家で生まれました。これだけ言えば察しは付くと思いますが、あなたに近づいたのも今日ここにおびき寄せるためです」

「ゾルディック家のお嬢さんだったというわけですね」

「は?」

 彼女はキョトンとした顔を見せた。しまった。彼女がジャンプを読み始めたこの数か月、『HUNTER×HUNTER』はずっと休載していたのだった。つい相手がわからないジャンプネタを振ってしまった。

「いや、何でもないです。すいません。続けて」

 藤堂はごまかして先を促す。部屋が薄暗くて赤面したところを見られなかったのは不幸中の幸いだった。

「……でもあなたと話してるうち、ジャンプの漫画を読んでるうち、わたしはその計画を実行するのがとても嫌になってました。没落しつつある仁居戸家が再び裏社会での影響力を取り戻すには、最強と呼ばれるあなたを倒さなきゃいけない。それが一族筆頭の殺し屋であるわたしの使命。わかってはいたけど、でも、漫画の中でわたしたちみたいな存在はずっと敵役で、わたしは……わたしも主人公になりたかった。悪い人たちを倒して、人を助ける。わたしもそっち側に行きたかった」

「……わかるよ。私もここに来る前、そんなことを考えてた」

 この一件だけの話ではない。藤堂は、本当はもうずっと殺し屋でいることに疲れ切っていた。悪であることにんでいた。

「もうこんなことやめたいって言ったら争いになって……あとはご覧のとおりです」

「そうか……これからどうするつもりですか?」

「わかりません……名前を変えて、どこか遠い所で普通の人の生き方ができたら……できるんでしょうか? こんな人殺ししか知らない女が」

「できる、と答えるでしょうね。ジャンプ漫画の主人公なら」

 彼女はクスッと笑った。今日初めて彼女の笑った顔が見られた。今ならわかる。藤堂はこの笑顔を見るために毎週公園に通っていた。

「名前、変える前に教えてもらえますか」

「えっ? あ、そういえば名乗ったことありませんでしたね。わたし、あおいといいます」

「葵さん、名前を変えるという話、この一族の、姓の方だけ変えるというのはどうでしょう」

「え?」

「あー、つまりその、急に生き方を変えると言っても、一人では難しいのとちゃいますかというのと、慣れない土地では尚更ではないかというのと……つまり、ここで同じような境遇の男と……二人で生き直すという手もあると、そう提案したいわけです」

 頭の上にクエスチョンマークが見えるような表情でこちらを見てくる。これは伝わっていないな。

「あー、つまりわいが言いたいのは……仁居戸葵から、藤堂葵になる気はないかっちゅうことや」

 だがここまで言って尚、彼女はまるでピンときていないようだった。

 気まずすぎる沈黙が流れ、ぽつりと彼女――葵は言った。

「――関西弁」

「ん?」

「関西弁を話すんですね」

 藤堂は普段職場の人間以外に関西弁を使わない。出身地などの情報を相手に与えていいことは一つもないからだ。

「……ガキの頃、関西に住んでてな。最悪な少年時代やったから思い出したくもないんやけど、言葉は忘れられん」

「知りませんでした。……わたしたち、お互いのことを全然知らないんですね」

「ああ」

「これから、教えてくれますか」

 逸らした顔を上げると、葵と目が合った。初めて本当に、彼女と目が合った気がした。

「……ああ、わいにも教えてほしい。葵さんのこと」

「はい……でもびっくりしちゃいました。藤堂さんがあんな冗談を言う人だったなんて」

「ん?」

「『藤堂葵にならないか』って。わたし、プロポーズかと思ってびっくりして……」

「いや、それはプロポーズや! 鈍すぎか!」



 そうして二人は手を取り、血塗られた屋敷を後にする。

 その日以降、最強の殺し屋の噂は陰を潜めることになった。

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