デイライト・インタールード

幸田 績

file:01 町民たちの追想録

ある天才少女の場合

ファースト・エンカウント

 私たちが出会ったのは、穏やかな春の日のことだったな。桜の花びらが風に舞う中、四月生まれだという女の子はにっこり笑って、私に右手を差し伸べた。


『隣に越してきた川岸です。みお、ご挨拶あいさつは?』

『よろしくね、すずかちゃん!』

『……』


 私は、頑として親の背後から動かなかった。警戒心か、気が乗らなかったのか。理由は色々あるが、一番強かったのは他者への不信感だ。

 うまく社会へ馴染むには、時に自分の信念を曲げてまで他者の機嫌を取る必要があるという。私は相手と良好な関係を築くうえで不可欠な、この「世辞」と「妥協」が幼い頃から嫌いだった。

 なぜ、他人のために自分の心を砕く? そうやってでも護りたいものが、この世にあるのか? 少なくとも、私の人生にそんなものは無い。

 私が護るべきものは自分だ。自分の心を護るためなら、私は歯にきぬ着せずものを言う。たとえ、他人から理解されないとしても。


『うわぁぁぁん! せんせー、すずかがおれに〝バカ〟っていった!』

『またあなた? どうしてお友達にそんなこと言うの』

『かんちがいするな。おまえなんて、ともだちじゃない』

鈴歌すずかちゃん!』


 私と言葉を交わせばたいてい相手は怒り、「失望した」と言って離れていく。勝手に近寄ってきておいて、勝手に傷つき泣きわめく。

 挙句、言うに困って私を問題児扱いするなど自分勝手が過ぎると思わないか? 大人のくせに保育園児よりも馬鹿な人間のなんと多いことか。うんざりする。


『おまえがカエルをなげつけたのがわるい。それで、わたしをこわがらせるつもりだったのか? ほかのこにしたのと、おなじように』

『あ、あ……』

『だからおまえはバカなんだ。カエルにあやまれ。いますぐ、あやまれ』


 正直であることは美徳なんだろう? ならば、私はそうするまで。無様に大人へ泣きつくこの少年と私の共通点は、ただ同じ年齢の子どもというだけだ。

 嘘をつくのはよくないこと? ならば、私はそうしない。ほかの子どもで試して味を占め、同じ手口で嫌がらせを試みる愚かさを指摘して何が悪い。

 生き物には優しくするんだったな。ならば、投げたことを謝るべきだ。カエルにも痛覚はある。お前もほかの生物から同じ目に遭わされたらどう思う?


『いい加減にしなさい。いつまで意地を張ってるの』

『わたしはほんとうのことをいったまでだ』

『保育園児が理詰めで論破、ねえ。親御さんから〝ギフテッドです〟と聞かされてはいたけど、すでに筋の通った論理的思考ができるとは驚いたよ』


 友達を作らず、集団生活にも馴染もうとしなかった私はある日、同級生とトラブルを起こし退園の危機に直面した。ちょうど澪が海沿いの街から逢桜町あさくらまちにやってきて、同じ園に通い始めた頃のことだ。


 私は、大人の言うことを忠実に守っている。いつも言うとおりにしてきただけだ。

 それなのに――どうして私は「いい子」になれない?


『鈴歌ちゃんの思考特性は、普通の子とは大きく異なる。彼女は善悪の別なく、主観的な視点から見た事実をそのまま受け止めてしまう。自分で見聞きして下した判断ことこそが最適解だと思っているんだ』

『もう限界です。そんな子の面倒見きれません!』

『いつの世も出るくいは打たれるもの、天才とは孤独で理解されないもの。彼女はある意味誰よりも純粋な心の持ち主なんだよ』

『もっと深刻に考えてください園長! 鈴歌ちゃんは本当に――』

『それにね、こういう子はちょっとしたきっかけで変わることがある』


 白髪交じりの穏和なおじいさんといった風貌の園長は、そう言うと廊下に面した教室の扉を開けた。その足元をすり抜け、小さな人影が入ってくる。

 栗毛のツインテールに水色のスモック、紺のキュロットスカート。すぐに隣の家の幼なじみだと分かった。


『おや、澪ちゃん。どうしたんだい?』

『えんちょーせんせい。すずかちゃんは、あたしのマネをしたの』

『そうか。どんなことを真似したのかな?』

『××くんがカエルをなげてきたから、あたし、おこったの。おこったら、せんせい、〝よくいえたね〟って、ほめてくれたの』


 澪の証言に、担任は驚いた表情を浮かべた。悪いことをする仲間、それも自分より力で勝る相手に注意した勇気を褒めたのは、適切と判断しての指導だろう。

 だが、離れたところで一部始終を聞いていた私は、を正しい行為だと認識した。人の悪事を糾弾きゅうだんすれば大人に褒めてもらえる、と。

 認められたい。称賛されたい。もっとあがめてたてまつれ。そうしていつか、誰も文句のつけようがない「天才」になれば、自分を保ったまま生きていけるから――。


『すずかちゃんは、どうしておこられてるの?』

『怒ってはいないよ。ただ、少しずつ我慢を覚えようかって話していたんだ』

『ふーん。そっかぁ』


 初めて会った日、握手を拒否した。だが、澪は私の反応など気にも留めず、園に来て間もなく持ち前の明るさであっという間に人の輪へ溶け込んだ。

 転園直後の五月には運動会の選手宣誓という大役を務め上げ、一目置かれる優等生の評価を確固たるものにした。澪はだったのだ。


『さ、澪ちゃんは教室に戻ろう。先生はもう少しお話が……』

『せんせいの、ウソつき』

『――え?』

『あたしはほめて、すずかちゃんはおこる。そういうの〝さべつ〟っていうんだよ』


 澪は私にとって、理想の「いい子」だった。「いい子」になることは、社会からあぶれた私の憧れだった。

 お前が私の人生に現れてから、私はさらにひねくれた。うとましくて、うらやましくて、私にないものを全部持っている澪が大嫌いだった。

 どこで顔を合わせようが、金輪際話はしない。よほど鈍い人間でなければ嫌われている、避けられていると察するだろう。


『すずかちゃんにあやまれ。いますぐ、あやまれ!』


 それなのに、澪は私を弁護した。自分を嫌う厄介者の肩を持った。その瞬間、この私に劣等感という名の屈辱を与えた唯一の人物、ついさっきまでいけ好かないと思っていた横顔が、やけに頼もしく見えたんだ。

 他人に興味のなかった私が、初めて自分から近づいてみたいと思った。澪のことをもっと知りたいと思った。あの時の大人たちの顔ときたら、傑作だったぞ。


『……よかったのか?』

『なにが?』

『わたしのみかたをしたら、きらわれる。みおは、それでいいのか?』


 その日、互いの親が迎えに来るまで、私は澪と話をした。不思議なことに、お前なら私という存在を理解できずとも無条件で受け入れてくれそうな気がして、誰にも言えずにいた胸の内を明かすことができた。

 本来ならまず礼を言うべきだったのに、我ながら素直じゃないな。


『しーらない。だって、すずかちゃん、カッコよかったもん』

『かっこよかった? わたしが?』

『うん。せんせいよりも、ずーっと!』


 他人から嫌われようが、私の味方をする。そう豪語する理由が「格好よかったから」だと? 馬鹿馬鹿しい。お前の知能は年齢相応かそれ以下だな。

 だが、その馬鹿げた理由こそが澪らしい答えだと私は感じた。たとえ自らの利にならなくても、自分の信念や琴線に触れたものに従う。自分という存在を貫き通す。

 その在り方に、私は理想を見出した。私もそうありたいと思ったんだ。


『ねえ、すずかちゃん』

『なんだ』

『あたしたち、ともだちになろうよ』


 あれからお互い少しだけ大人になって、自然とお前をねたむことはなくなった。今は逆に私のほうが試験のたび「脳みそ半分よこせ!」と言われているが、あの日から私の想いは変わっていない。


『しかたないな。とくべつだぞ』


 澪。誰が何と言おうが、お前は私の――自慢の幼なじみで、親友だ。

 いつか敵が現れたら、私も一緒に戦おう。つらい時は肩を貸すから、共に歩もう。 


「あたしは〝神〟になんてなりたくなかった!」

「なら、ともに終わらせよう。この物語を、私たちの手で」


 だから、泣くな。あきらめるな。何でも独りで抱え込むな。

 かつて天才だったお前には、この天才わたしがついているのだから――。

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