第13話 初めての洗濯

 オレは音を頼りに川を探しながら歩いた。昼だというのに薄暗い森の中を歩き続けると、そのうち急に樹々の隙間が明るくなり始め、ついに目当ての川にたどり着く。透明で綺麗な水が静かな音を立てながら流れる渓流だ。キラキラと太陽を反射する水面がまぶしいくらいに輝いている。その清流にオレは一瞬目と心を奪われそうになったが、河原に出る前にオレは周囲を見回した。

 ここで誰かに、特に男に出くわしたら間違いなく襲われてしまう。今のオレは女でしかも全裸で、手持ちの服は血まみれで着れたもんじゃない。見知らぬ土地で全く無防備な状態だ。用心はいくらしてもし足らないということはない。


「……大丈夫……か?」


 立ち木に隠れながらオレは河原を見回し、耳を澄ます。人の姿も獣の姿も見えないし、水の音と鳥のさえずり以外何も聞こえない。オレは恐る恐る、土手から河原へ降りた。

 川幅は10メートル無いくらいか……実際に水が流れているのは1メートル半くらいで、3~4メートルくらいの河原が広がっており、その外側は土がえぐられたような高さ1mあるかどうかぐらいの土手になっている。多分、増水したらその土手ぐらいまでは水が来るってことなんだろう。今は春だそうだが、山の中の沢はいつ鉄砲水がくるか分からないとかいう話もあるし、長居しない方が良いかもしれない。

 しかし、長居するかどうかはともかく水は必要だ。血を洗い流さなきゃ服を着れない。血まみれの服を抱えていたせいでオレの胸や腹も血がべっとりついていて、それが渇いて肌が突っ張って気持ち悪いったらありゃしない。


 オレは左右を見回しながらゆっくりと河原を進んだ。ほんの数歩の距離だが、緊張感が半端ない。ようやく水辺まで来ると、オレは服を河原に降ろし、川の水を見下ろす。


 やっぱり綺麗に透き通っていて川底が見えている。生憎と流れが早くて水面が常に波打っているので鏡代わりに自分の姿を映してみることはできそうにない。アホ専務と邦男くにおが美人だといっていたダークエルフの顔を確認してみたかったが、どうやら今は諦めるしかなさそうだ。

 まあ、目的は鏡じゃなくて水そのものだから問題ない。オレは水に手を差し入れてみた。


「!? つめてっ!!」


 雪解け水なんだろう。無茶苦茶冷たい。痛いくらい冷たい。


 嘘! マジ!? これで身体洗うの? 絶対ぇ無理だろ!


 服を洗うついでに身体に着いた血を洗い流そうと思ったが、こんな冷たい水で洗ったら心臓麻痺でも起こしてしまいそうだ。


「マジかぁ……でも、これ以外に水無いしなぁ……」


 しばらく悩んで時間を無駄にしたあと、オレはようやく意を決した。河原に置いた服から一番汚れがひどいTシャツを取り上げ、川の水に浸ける。シャツから赤茶けた血が川の水に流れ出るが、思ったより落ちてくれない。時間が経ちすぎて固まってしまったんだろうか? シャツを通り過ぎた水の赤味はすぐに薄くなってしまった。オレはバシャバシャとTシャツを揺すってみる。川の水の赤味は再び戻ったが、すぐにまた薄くなる。もっと激しくバシャバシャしてみたが、今度は川底の砂や泥が巻き上げられて水が茶色く濁ってしまった。おかげで血の赤味なんて見えやしない。それどころか洗っているシャツが川底の泥で却って汚れてしまいそうだった。


「あぁ~クソッ……」


 引き上げたTシャツを広げてみたが、血はほとんど落ちていなかった。いや、脱がせたばかりの頃に比べればだいぶ落ち着いた感じにはなってるんだが、いかにも血痕ですって感じの汚いシミが一面に広がっている。

 試しに絞ってみた。絞り出された水が冷たく、濡れた手が痛いが我慢して絞る。絞り出された水はほんのちょっと赤っぽいから、頑張ればもう少し落ちるかもしれない。


「……………」


 絞ったTシャツを広げて見た……もう少し頑張らないとダメだな。臭いは……だいぶ薄くはなってるけど、オレの鼻でかすかに血の臭いを感じるから犬とかなら確実に嗅ぎ取ってしまうんじゃないだろうか?

 やっぱもっとしっかり洗わないとダメだな。水の冷たさが嫌で手を水に突っ込まずに済むように及び腰でやってるから中途半端になるんだ。やっぱり、もう少し踏み込んで深いところで洗わないとダメだ。

 かといって、この水の中に裸足で入っていくか!? 無理無理、絶対無理。


「お、あれだ!」


 見回すと邦男の履いていたブーツが目に入った。かなりゴツイ登山ブーツだ。あれを履けば、足首ぐらいまでなら水に入っても大丈夫なんじゃないか……オレはさっそくブーツを履いた。

 かなりブカブカだ。子供の頃、悪戯で大人用のゴム長靴を履いた時の事を思い出してしまった。実際、あんな感じだ。ただ脚を上げようとするだけで脱げそうになり、一歩歩くごとのガコッ、ボコッと音がする。


 邦男アイツ、何センチだったんだ?

 てか、今のオレの足、何センチなんだろ?

 元々の靴のサイズが27センチくらいで、今の身体になって長さはそれほどでもなかったけど幅がブカブカになっちゃったんだよな……てことは今26センチくらいかな?


 せっかく履いたブーツだったが、いったん脱いでサイズを確認する。

どうやら真新しい靴らしく、靴底に印字が残っていた。


 ……32センチ……

 マジか、こんなサイズの靴、実際に履いてるヤツ初めて見た……


 仮に今のサイズが前と同じ26センチなら6センチも大きいのか。そりゃブカブカなのも当然だわ。けど、今はこれを履くしかない。オレはブーツを履きなおし、濡れたTシャツを拾い上げて水辺へ踏み入れる。


 ゴゴッ、ガコッ、ゴコッ、ゴッ、バシャッ、バシャッ、バチャッ……ゴチャッ!?


 このブーツなら大丈夫だろう。そう思っていた頃が私にもありました……川底の石を踏んづけた瞬間、ブーツの中で足が滑った。普通のサイズのブーツなら中でかかとと足の甲で引っ掛かって踏ん張るはずが、あまりにブカブカだったせいで足がすっぽ抜け、足の指が靴底をなぞるようにブーツがズルッと脱げてしまった。つま先が靴底、足の裏がブーツの踵あたりを踏んづけ、オレの踵や足首はブーツの外……当然水がブーツの中へ、というか足全体が水の中へ。


「うあっ! つべたっ!?」


 足が無茶苦茶冷たい。冷たすぎて足が痛い。その足から冷たさが這い上がってくるようだ。咄嗟に足を上げるとブーツが脱げる。バランスを崩した拍子に反対側の脚もブーツが脱げてしまった。


「くぅぅ~~~~~っ……」


 オレは全身を踏ん張って冷たさに堪えた。10秒ほども経つと、足が辛うじて冷たさに慣れてくる。


「ハァ、ハァ、ハァ……

 あーあ……」


 結局裸足で水に入ることになってしまった。オレは泣きたいのを我慢して水没したブーツを拾い上げ、河原に放り投げる。中の水ごと投げたので、河原に落ちたブーツはドシャッと派手な音を立てて水をまき散らした。


 ひとまず洗濯だけはやりとげねばならない。オレはTシャツを……いや、待て……オレはTシャツを川の水に沈める前に、そのTシャツで自分の胸や腹に着いた血を拭った。このTシャツ、どうせこれから洗うんだしな。身体拭くタオル無いし、これで済まそう……


 オレは一度自分の身体に着いた血を拭い取ってから本格的に洗濯を始めた。

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