またここで。

@sora_skyblue

黒い石

雨が地面を強く叩く初夏の夜。

今日僕は、一世一代の大勝負に出ようと思う。

「五年後の、沓脱石が黒く染まる頃、またここで会いましょう。」

笠を差し、思い出の詰まった和菓子屋の入り口前の縁側で、五年前に夢を叶えるべく、東京へ行った初恋の相手に言われた言葉を思い出す。

何分待っただろうか。服の袖の色が水に濡れて色を濃くした頃、少し遠くの方から人の気配がし、靴が水を弾く音が一歩、また一歩と近づいてくる。

「お待たせ」

その4文字が鼓膜を揺らしたその瞬間、勢いよくその声の主の方を振り返る。視線の先にいたのは、間違いなく僕が待っていた彼女だ。五年前よりもはるかに顔立ちも、体も成長したのに、どこか面影が残っているからか、一目で彼女だとわかった。

「とりあえず、中に入ろうか。」

僕が少し上擦った声でそういうと、彼女は静かにこくりと頷いて、和菓子屋の戸を開き、軽い足取りで中へと入っていく。

彼女はあんみつを、僕はみたらし団子を注文した。昔のように。

「ここのあんみつ、味全然変わってないね。」

くすくすと控えめに笑うのは、昔から変わらない彼女の癖だ。そこも愛おしい。

そっか、と簡単な返事を返してしまったのが間違いだった。会話が続かず、店の中にしばらく沈黙が流れる。

「都会はどうだった?」

積もる話はたくさんあるのに、嫌に言葉に詰まって、沈黙を破るために適当な質問を投げかける。

「んー、あんまりかな。私には合わなかったかも。」

「そっか。」

あぁ、僕は何をやっているんだろう。さっきも同じ過ちを犯したっていうのに。

二人で甘味を食べ終えて、会計をし、店を後にする。

「あ、あの」

また上擦った情けない声でそう話を切り出す。頭に疑問符が浮かびそうな表情でこちらを振り向いた彼女に、僕は思い切り頭を下げる。

「僕と、付き合ってください!」

そう言って手を差し出すと、彼女はしばらくの間を置いた後、僕の手にそっとその柔らかい手を置いた。

「よろしくお願いします。」

透き通った彼女の声が聞こえたその瞬間、勢いよく頭だけを上げる。僕の頬を伝うのは、嬉し涙なのか、振り続ける雨なのかわからない。

________


それが、もう今からずっと前の話。

僕が今いるこの和菓子屋は、本当にたくさんの思い出がある。彼女と出会ったのも、彼女に告白したのも、婚約をしたのも、生まれたばかりの一人息子を抱いて連れてきたのも、そんな息子の誕生日を祝ったのも、全部この和菓子屋だ。

「だから、無理言ってここに墓を立てたんだよな。」

僕の足元で黒く染まる沓脱石は、昔彼女と待ち合わせた目印ではない。少し前の工事で、更地にするために崩されてしまった僕たちの墓石だ。

僕たち夫婦は、一年前に可愛い一人息子を遺して、ともに震災によってその生涯を終えてしまった。

「もうこの和菓子屋さんも無くなっちゃうのね。」

名残惜しそうに隣にいる彼女がいう。一年前の震災で、思い出の和菓子屋は店が倒壊し、店長はその崩れた店の下敷きとなってしまった。後継もいなかったのだから、亡くなってしまっても仕方ないのだろうが、やはり寂しい。

そんな思いに耽っていると、目の前から一人の青年が歩いてきた。悲しげな顔をして、少し俯きながら、その腕の中には花束が抱えられている。その青年は間違いなく、僕たちの息子だ。

雨だっていうのに笠も差さずに、丁寧に両腕に抱えられた花束を崩れた墓石の前に置く。

「こういう丁寧なところ、あなたに似たのね。」

くすくすと、相も変わらず控えめな笑い方でそういうと、少し透けた手のひらを、青年の頬に伸ばす。

その手は彼に触れることはなく、ただ空を切るのみだった。

青年は一言も発することなく、ただ肩を震わせ、目元から流れる雫を袖で拭っている。

その頭を撫でられないこと、その涙を拭えないこと、その体を抱きしめられないこと、全てがただひたすらに申し訳なくて、目尻が熱くなる。

「ごめん、ごめんな。」

届くわけのないその声を絞り出すように言って、無意味な抱擁をする。

「さて、私たちももう行かなきゃね。」

「そうだな。名残惜しいが、あまり留まるのもよくない。」

「次はお盆にきましょ。お土産でも持って。」

彼女のその言葉を皮切りに、ただでさえ半透明の体がさらに薄れてゆく。

「じゃあね。」

「うん、またね。」

僕たちの最後の別れの言葉に、間髪入れずに息子からの答えが帰ってきたのは、単なる独り言のタイミングが良かったのか、はたまた本当に聞こえていたのか、それは誰にもわからない。ただ、少しでも会話ができた気がして嬉しかった、その感情だけが、僕の心に残った。

僕たちだけの沓脱石が黒く染まる頃、またここで会いましょう。

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