蒼雪の姫君。

@ican_doit

序章「残滓」

◆000


 ――バタン。

 物が落ちる音。


「……これ。」


 何かと思えば、日記のような物。

 いや。

 日記というには大げさすぎるほどの僅か、15ページだけの薄い冊子。

 中もそう大したことは書いていない。


 書類整理の手を止めて、冊子を片手にソファに座る。

 最初から、1枚1枚捲っていく。


「懐かしいな。」


 1ページ3行ばかりの事実と、少しの感想だけが綴られたページは、否が応でも記憶を過去へと逆行させた。


 あの日以来、1度たりとて忘れることはなかった。

 忘れるはずもない時間。

 忘れるべきではない、忘れることなどできない記憶。

 そう思っていたはずなのに、この短い日記の存在はすっかり忘れてしまっていた事実に、少し驚く。

 中身も、どこか新鮮さすら感じて、つい読みふけってしまった。



 この日は夜、歩くことにした。

 冬の入り口もとって久しい12月の夜は、もうすっかりと冷たさを帯びていて、思わず、両の手をコートのポケットに隠す。


 時刻は既に、0時を過ぎている。

 都会と田舎を無理矢理継ぎ合わせたようなこの街も、賑やかさを忘れ、すっかり眠りについている。

 街灯なんて気の利いたものはない。

 遠くのほうで光る集合住宅と、月明かりだけが頼りの夜道。

 静かで、寂しい夜。

 僕がこうして夜、歩くようになったのはいつからだっけか、と思い出す。


 明確な日にちは定かではないが、きっかけは恐らくあの日々によるものだろう。

 何せ、彼女は歩くのが好きだった。

 こうして歩く風景全てに彼女との面影を感じてしまうほどには、だというのに、今となってはもう、彼女の声がうまく思い出せない。


「そうか。もう2年前か。」


 気づけば、あの日々も随分と埃を被ってきた。

 時間は記憶を風化させ、こうして生きていくうちに、きっといつか思い出せなくなってしまうのだろう。

 だから。

 僕がこうして夜を歩くのは、きっと彼女を忘れないようになのだと思う。

 

 ……それとも、僕が彼女を忘れたくないからなのだろうか。


 いずれにしても、彼女と交わした約束は、守らなければいけないから、こうしてみっともなくあがいているのだと思う。

 ふわり、白が肌に落ちる。

 空を見上げれば、雪が降りてきていた。


 ……ならば、これを機に、彼女との記憶をなぞろう。


 忘れもしない、ちょうど2年前ことだ。

 2020年、12月15日に出会い。20日からの13日間。

 たったそれだけの時間なのに、僕はいまだにその時間にとらわれている。


 これは物語だ。

 誰も幸せにならない物語。

 それぞれが、それぞれの正義をもって押し付けあった、真白で透明な彼女のお話。


「そういえばあの日も、雪が降っていた。」


 美しく、きれいな彼女を殺した、僕の罰。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る