第60話 最初の晩餐

 泥や砂に汚れた、まるでここは家畜小屋。魔界では散々無機質で清潔な建物を見せつけられていた故、ルダンはこの不衛生さ、或いは有機的な様相が逆に嬉しくも思った。とはいえ、この石壁の向こうはきっと、呼吸も憚られる別種の、最悪な汚染に晒されているはず。


 ルダン・バルルウの心中は複雑であった。この壁の内側の不衛生さを指でなぞりつつ、外の本物の汚染を思う。そうしながら、螺旋状の階段を登る。彼女の後ろには魔女がいて、ルダンが逃げ出さないように見張っている。


 そんなことしなくてもいいのに、とは思うが、気持ちはわかるのでルダンは何も言わなかった。


 ——少なくとも、姫が、怪獣ラジュードが近づいてくるまでは。


 姫を逃がしたと思った後、あっさりと魔女は自分達の本当の作戦を伝えた後、妙な術でルダンを昏倒させてオークに差し出した。


 その後のことは、思ったよりも何もなかった。


 比較的清潔な部屋、もとい家畜の小屋のような場所に軟禁され、一日に一回世話に来る魔女やオークから食事を受け取るのみ。しいて言うならトイレぐらいは分けてほしかったが、贅沢は言うまい。


 そうして、二日三日経ったころ。いつもの魔女が、やってきたはいいものの全く以って立ち去らないため、思わずルダンから声をかけてしまった。


「どうした」


 短い問いかけだったが、魔女はやや躊躇ってから返事をした。


「〈ゲフォルス〉様がお呼びです」


「〈ゲフォルス〉? 誰だ?」暇を持て余していた故、こうして人と喋るのもどこか新鮮で、ついつい前のめりになった。


「この辺りの竜騎兵の隊長です。なんでも、お食事にお招きしたいとか」


「……別に構わないが、人間を食べさせられるのは困る」


「それは問題ありません。わたしからも伝えておきます」


「それで、その食事会とはいつになる。明日か」


「今です。急ぎ、連れて来いと」急な話だが、それでも魔女は顔色一つ変えずそう言った。


「ならそう言え。時間が勿体ないだろう」ルダンはぶっきらぼうに言う。


「あなたなら時間はたっぷりあるかと」すると、魔女もまた真顔で言い返す。


 不毛だ、そう感じたルダンは、そのままさっと身を起こし、こうして魔女について歩き、やがて後ろをせっつかれる形で上へ上へとドラゴンの巣を登る。


 こうして連れていかれたのは、屋上だった。もしくはテラスだろうか。屋根はあるが吹き曝しの中、六人以上が並んで食事ができる長いテーブルが鎮座している。本来、食事も何もできない環境だろうが、不思議と空気は澄んでいるように感じる。もしかしたら魔女がよくわからない術を使っているのかもしれないとルダンは思った。


 そんなテーブルの一番奥に、体の大きなオークがいた。他には誰もおらず、これが正体をよこした主なのだろうと理解する。


「お招きありがとうございます」


 ルダンは一応、膝を曲げて挨拶する。今は、ルダンが姫である。とはいえ、王国の礼儀がオークに通用するかはわからない。現に、対手はふん、と鼻だけ鳴らした。


「座れ」オークは短く命じた。ルダンは黙ってそれに従い、オークの間反対に座る。すでに奇怪な料理が……と思ったが、謎の肉片が焼かれたものが皿の上に乗っていた。見た目だけならチキンステーキのようなものだろう。


 対手の様子を観察するが、彼の前にも同じ料理がある。そしてそれに手を付けていない。オークの作法がわからず、ルダンはとりあえず両手を下げて様子を伺う。


 対手を見た時思ったが、やはり依然会ったことがあるオークだった。人語を介すのもそうであるが、その堂々たる姿、やはり依然、彼らの集合住宅、『スーパーマーケット』で出会った個体だ。


「お前が、例の人間の姫か」


「そうです」当然違うが、ルダンは頷いて返した。


「食え。お前達は人間を食わないらしいな。それは違うものだ」


「鳥か?」


「そうらしい。魔女が持ってきた」


 すぐにルダンは、何の鳥か合点がいった。趣味が悪いというべきか、だが、この辺りで食用に適した鳥がいるかはわからず、ルダンは顔をしかめるにほかない。なにより、パンなのか何なのかわからない欠片と水ばかりで過ごしてきた彼女にとって、目の前の肉を焼いたものはかなり魅力的だった。なんといっても、普段の家畜の匂いとは違い、かなり野趣溢れる香りがする。鼻の奥、粘膜を焼くような独特の、ある種の臭み。しかしそれが妙に食欲をそそる。ルダンは思わず唾を飲んだ。


 だが、本当に手を付けていいものなのかわからず、彼女は相変わらず硬直を続けた。と、ついにその態度に業を煮やしたのか、突然オークがナイフを片手に、ルダンの皿に手を伸ばし、ざっくりと肉の半分を持って行ってもりもりと食べ始めた。


 毒はない、と言いたいらしい。これを無視することは礼を欠く。そう判断して、ルダンはご相伴に預かることにした。食器の形状はほぼ人間と同じ。ナイフで切り分け、フォークで頂く。


「うまい」


 思わずそう口走る。鶏とは違うが、確かに鳥の味。口に含むと、やはり野趣あふれる癖の強さが匂いとして舌の上に残るが、胡桃などに近い、独特の木の実の香ばしさがそれらを弾く。感じたことのない味わいに、思わず手が止まらなくなる。空腹もまたそれに拍車をかけた。


「思ったより食うな」


 はっとして顔を上げると、どこか冷えた目でルダンを見つめる対手があった。姫らしくなかったかと、最後肉片をさっと口に放り込んだ後、澄まして両手を体の脇につけてみる。


「俺は〈ゲフォルス〉という、北面の竜騎兵の指揮をしている」


「聞いています。わたしは、スラバドラ・マルカ・イヴァント。人間の姫です」


 その名を口にするのは、本来であれば憚られるが、状況が状況である。一切の澱みなくルダンは答えた。


「聞いている。魔女達からお前をここに置けば、怪獣が来ると言われていたからな」


「そのようですね。どうですか、怪獣はいかがですか」


「答えると思ったか?」


「いいえ。これも作戦の内なのでしょう」


 ルダンは一瞬周りを見た。相当な高さにあるらしく、周囲が相当見渡せる。だが、その中に怪獣はない。


「ここに呼び出されたということは、わたしに、怪獣を呼び寄せる力がないから処分でもされるのですか」


「そうしたいところだが、それはできない。今回の作戦の指揮は魔女共がやっている。あいつらのやることに、おれ達が従っている。あいつらも随分と偉くなったものだ。食えるところもほとんどない、骨みたいな人間の癖に」


 怪獣の居所は喋らないが、自分達の境遇をあっさりと語ることに、ルダンは驚いた。


「では、どうしてお呼びになったのですか」


「俺は、お前を殺したはずだ」


 その言葉に、ルダンは思わず目を見開いた。そして、はっとして顔を伏せた。その様子を、〈ゲフォルス〉は目を細めて見つめた。


「やはり、何か知っているな」


「……」


「俺はずっと疑問に思っていた」


〈ゲフォルス〉は、自身の皿の上の肉にナイフを突き立てる。


「オークは、ゴブリンやトロール、巨人までをも下し、その力でドラゴンを従えるほど発展している。だが、ずっとそれに、俺は違和感を持っていた」


「違和感?」


「俺達のこの文明は、正しいのか?」


 オークは真っ直ぐ、ルダンを見つめて訊ねた。ルダンは思わず黙り込んだ。


「人間の家の形や都市の形は知っている。このドラゴンの巣よりも原始的で、未発達だ。だが、だからこそ不思議なのだ」


「何がだ」


「俺達の建築、文化、文明。それらに、お前達のような原始的な建造物や、文化などが存在しない。俺達は、ある日突然、こんな建物を持ち、こんな細い食器などを使って食事をするようになった」


 ぐんにゃり、オークの手の中でナイフがあっさりと歪んだ。そして、ナイフを机の脇に置き、その整った軍服の襟を引っ張った。


「お前は、知っているのではないか。この、俺達の奇妙な姿や、それらに憎しみを持っているとしか思えない、あの怪獣について。それを聞きたい」


〈ゲフォルス〉の問いかけに、何と答えたらいいのやら。ルダンは視線を右に左に泳がせていたが、ふと、顔を上げた。


『ほら、思い出して。わたし、大体全部、君に話したじゃない』


 あっけらかんとした助言が、彼女の耳に吹き込まれた。つい、ルダンはその声に対し、縋るように口を開いた。


「女神、様?」

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