慈義の檻『ミュルンヘント総合病院』

第28話 人間牧場……?

「シーン二十九、人間牧場……」


「ジゴー、早いです」


 早速〈カチンコ〉を構えだしたジゴーをウトトが止めた。


「折角だから、見学していきましょう。それがお姫様のお望みでもあります」


 ウトトは然もそうすべきという表情でジゴーへ進言した。それに対し、ジゴーは露骨に顔を歪めた。


「……趣味が悪い」そして吐き出された言葉は心底呆れかえっているようだった。


ただ、一人スラだけが元気にルダンへ駆け寄り、


「どこに幽霊馬車はありましたか!」と大声で訊ねる。


「あちらです。距離は大してありません。ですが、坂がきついのでおんぶしましょう」


「いいえ。自分で歩きます」


 スラはそう言って、すたすたとルダンの脇を抜けた。


「振られましたね。まあ、あなたほど頼りない騎士もいないのでしょう」


 ふふん、と笑ってウトトもまた先を行く。


「気にするな。どうせ、百年もしたらお前もあいつも死んでるんだ。いや、もっと早く終わるかもしれないし」


 訳の分からない慰めをジゴーも残す。


「いや、待ってください姫、そもそもジゴーの言う『人間牧場』に言及はされないのですか? 危険です!」


 ルダンは慌てて三人の背を追った。


 かくして、三人と遅れてきた一人は、小高い崖の上から、黒々とした葉を伸ばす平原を見下ろした。周囲には柵も打ち込まれており、その見た目は牧場そのもの。しかし、家畜は見当たらない。


「これが青空と緑の牧草でしたら、第一王宮の傍の牧場を思い出すのですが」


 スラは眼前の光景をそう評価した。牧草はなく、ほとんど土がむき出しである。時々、黒い苔のような植物が密集して生えている場所はあるが。


「さっき、あの奥の建物へ向かって幽霊馬車が移動していたのですが、もう仕舞われてしまったようですね」


 ルダンは平原のさらに遠くを指した。確かに、小さな建物があった。煙も立っていて、何者かがいるのもわかった。


「ウトト! 早くあの、姿を隠す術を使ってください」


 ルダンの言葉には耳も貸さず、スラはウトトに術をねだった。すると、ウトトはやや不快そうな表情を浮かべつつ、呪文を口にしようとした。だが、その前にルダンがウトトを遮った。


「待ってください、姫。今回の件、わたしは反対です。そうでなければジゴー、あなたの言葉の説明を聞かせてください」


「言葉?」


「人間牧場、についてです」


 ルダンはジゴーを牽制するように言う。それに対し、ジゴーは無言で一瞬、ウトトを見た。すると、ウトトはやや困ったような、残念そうな、渋い表情を浮かべた。まるで、悪戯がばれた子供の様だった。


「ジゴーは優しい人なのでしょう。ルダン、あの牧場ではきっと、人間が家畜のように扱われています。わかっていますよ」


「姫?」


 スラはまた、特に動揺するそぶりもなく、平然と言い切った。


「先日のスーパーマーケットでも、肉に興味を示したわたし達をジゴーは止めました。そして、わたしが見かけた『人間』も。そもそも、魔族が北伐を始める前、つまり旧イヴァント王国領には、多く人間が住んでいました。彼らが一人残らず殺されてしまったと考えるのは早計です……形を変えて、生きていても違和感はありません。人間牧場、即ち、あそこには、家畜として、肉を削がれるためだけにいる人間がたくさんいる。そうでしょう。そうであればこそ、彼らが無理に北へ、われらイヴァント王国に攻め入らない理由もわかります。彼らにとっての人間とは、わたし達にとっての野生の山羊や猪と同じく、本気を出せば御せる、超越した後の動物なのです」


「……」


「そして、ジゴー。わたしはずっと疑問に思っていました。あなたが、魔界を壊そうとする意図です。この土地に残った、人間が原因なのではないですか。わたしも、家畜同然に扱われる人間を、そうそう直視できたものではありません」


「もしもお前の言葉があっていたとしても、言う義理はない」やや間を置き、ジゴーはそれだけを答えた。


「……ジゴー、とっととあの牧場、壊してください。よかったですね、あなたの思い通りです」


 ウトトはつまらなさそうにそういった。ついで、〈カチンコ〉を持ったジゴーの手を取り、早く使えと促した。


 それに対し、ジゴーはしばし、思案顔で俯いていた。そして、ゆっくりと口を開く。


「……いや、見に行った方がいいかもしれない」そうして飛び出したジゴーの決断はウトトの想定と異なっていた。


「なぜですか。もういいじゃないですか」ウトトは不満を露わにし、ジゴーの腕を強く握った。


「お前だって、お姫様が困るのは見たいんだろう。なら、とっとと先を行こう。術も要らない。どうせ、残ってるオークだって一体か二体だろう。それなら何とかしてくれるはずだ」


 ジゴーの視線はウトトではなくルダンへ。ルダンは困惑気味に頷いた。


「遅くなると野宿する場所もなくなる。さっさと行くぞ」


 ジゴーはウトトの手を振り切り、逃げるように歩き出した。スラは慌てて彼に続いた。彼女はジゴーの顔を覗き込む。何やら気分を害してしまってはいないかと、そんな不安が彼女を駆り立てていた。

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