怪中壊礼演記

杉林重工

第1話 上映怪詩


 蝿が一匹飛んでいる。当然、珍しいものではない。寧ろ、ここでは必然といえるだろう。


 ここは数日前、『怪獣』の襲撃で破壊された『町』の跡地。それまでは、オークやゴブリンを始めとした魔族が普通に生活していた場所だった。だから、彼らの死体がまだ回収もされずに、この『コンクリート』の残骸の下に溢れている。腐臭も凄いし、何よりここは汚染されつくしている。地面に散らばった濁泥や重油の悪臭は、僅かな滞在でも頭痛を呼ぶ。


 この町には、宿舎だった、指揮所だった、管制塔だった、倉庫だった建物の残骸が、五十ヘクタールほどに渡って連なっている。後に『チバケンにある大規模な遊園地と同じぐらいの広さ』と語られる、そんな場所。それらが全て、傾き、崩れているものだから、黒い泥沼に沈んでいるようだった。


 そして、そこをただひたすら飛び回る蝿はきっと、新しい餌や産卵地を目指しているのだろう。


 だが、今、ここに至っては『順番待ち』だと、護衛の騎士の少女ルダン・バルルウは思った。走って疲れて、少し休憩できたと思ったらこの『包囲』である。足元に沈んでいるオークやゴブリンの死体に自分達が合流するまであと僅か。そんな予感がした。


 彼女はあたりを回す。瓦礫の山の天辺に追い詰められた故、敵の位置だけはよくわかる。万年赤黒いこの空の下、幽鬼のごとく迫る彼らが恐ろしい。


 ——東。崩れた兵舎跡を超え現れる、軽装ゴブリンの群れ。

 ——西。折れた管制塔の向こうから、槍や剣を携えたオークが十二体。

 ——南。コンクリートの塊から鉄骨をもぎ、武器としながら歩く、トロールが三体。

 ——北。まだ遠いが、空に浮かぶドラゴンの巨影。一体。


 ルダンは思わず唾を飲んだ。ほぼ一日逃げ続け、いよいよ足腰が限界だった。体の一部とさえ思っていた、背負う大剣の重さが身に染みる。もう、それらすべてを投げ出してしまいたかった。


 ——だって、『結果』は同じだから。この真っ赤に汚染された大地では、遅かれ早かれ病で死ぬ。どんなに逃げたって無駄だ。

 

 一匹の蝿が彼女の頬に止まった。


『次はお前だ』


 そう言われた気がした。


 ルダンは頭を振って蝿を飛ばす。一人だったら、それでもいい。


 だが、彼女は一人ではなかった。左手に、自分より遥かに小さな掌の感触がある。


 斜め下を見る。目が合った。大きく丸い、潤んだ瞳。鮮やかな青の外套と帽子を身に着けており、その体がより縮んで見える。でも、こんな状況にあって、自分よりも十個も年下のはずの彼女は、恐れを表に出さない。勿論、状況がわかっていないわけではない。彼女は誰よりも聡明なのだ。


 姫よ、スラバドラ・マルカ・イヴァントよ。わたしは、彼女を守るためにある。


 だから、諦めるわけにはいかない。ルダンは黙って、右手で背中の大剣の柄を握った。ルダンとて、齢十七の少女。そんな彼女が手に掛けたのは、自身の身長百六十二センチメートルより長い、二百七センチメートルの大業物。まだ鞘の中にあるこの剣だが、その刃はほとんど機能していない。振り回せる盾。これが、彼女の『家』から受け継いだたった一つの『役目』なのだ。


 ――わたしは、守らなければならない。


 ルダンは深呼吸した。


 あーあ。


「——なってない。全部壊す」


 その時、ずるりと、影が動いた。真黒な外套を羽織った少年がゆっくりと立ち上がる。無表情で、何を考えているかわからない少年だった。


「あの、壊すって……」ルダンは訊ねた。


「なってない。これはおれの落ち度だ。もっと、徹底的に、どうせ全部無駄になるってわからせてやらなきゃいけなかった」


 少年はそう言いながら、懐から何かを取り出した。武器だろうかと少女は期待したが、彼の取り出したものは全く以って不可思議で、用途も不明な道具だった。


 掌より少し大きな、黒くて四角い板の一辺に、蝶番がついて二つ折りになる四角い棒がくっついた変な道具。二つ折りになった棒の片方の、その長い側面と、板の長辺がくっついている。蝶番を広げればきっと斧のようにも見えるだろうが、ジゴーは棒を畳み、その間に指を挟んで持っている。少なくとも武器ではなさそうだった。魔術というものをルダンは信じていないが、そういう不気味なまじないの道具だろうかと首を傾げる。


「ウトト、北の地形は複雑だから、ドラゴン以外は来るのに時間がかかる。逃げるならそっち。岩場か何かの影、そこで待ってろ」


 ルダンは北を見る。よくわからなかった。そもそもここは魔族の領域。地図などない。何を根拠にそう言っているのだろう。一方で、彼の後ろに立つもう一人のよくわからない少女=ウトトは随分と落ち着いていた。


「確かに、魔族にまともな包囲戦を行う準備の良さはありません。おそらくこれは、彼らにとっても予定外の遭遇戦。ジゴーの見たものを信じます」


 ウトトと呼ばれた少女は深く頷く。長旅で汚れ草臥れてはいるが、橙色の目立つ外套を羽織っている。対照的な青白い髪色がなんとも不気味な少女である。


「死にたくなければ、ここはジゴーに任せましょう。わたし達はなるべく早く、ここから離れるべきです」


「でも、囲まれています。突破は容易では……」


「確かに今は容易ではありませんが、そのうち容易になります。なにせ、全部、ぶっ壊されるんですから」


 ウトトはなんてことない、当たり前のことだと言わんばかりだった。さらには、偉そうに手に持つ長い杖でもって地面を突いた。


「ルダン、わたしはウトトを信じます。このままでは道は開けません」


 ルダンと手を繋ぐ姫=スラバドラ・マルカ・イヴァントは、そう言って力を込めた。その大きな瞳は決意に満ちていた。


「姫のご意志のままに」ルダンは頷く。


「では、北に走りましょう」


「わかりました」ルダンはスラバドラの手を引いた。しかし、その手は動かない。


「待ってください、ジゴーは……」スラバドラは、この三人の中で唯一、ここに残ろうとしている少年を心配していた。


「ジゴーはいいのです。彼には、壊す、という使命があります」ウトトは無感情にそう言う。


「壊すって……」ルダンは首を傾げた。彼女にとっては〈姫〉以外のものは関心の外ではあるのだが、さっきからウトトの言うことは不可思議であった。


「早く離れてください。お願いですから」


 しかして面倒臭そうに、黒い外套の少年=ジゴーは言い放った。それに背を押される形になって、三人は早々に残骸の陰から飛び出し走り出した。


 ――それを確認して、少年は深呼吸。


 彼の目の前には、背は低いが、鋭い爪と尖った耳のゴブリン。人間に近い体格と、その実何倍もの頑丈さを誇るオーク。体長そのものが三メートル規模、人間の倍以上の体格を持つトロール。彼らの目はほとんどが瞳。この光量の少ない魔界に適応したためか、瞳孔は猫や梟のように大きく縦長であった。もう少し日が落ちれば、目の奥の反射層がぎらぎらと輝いて見えたかもしれない。


 ジゴーは間近に迫った魔族達から視線を切り、手の中の小さな道具、板切れと棒の組み合わさったそれを見る。そして、その板の部分を撫でた。


 板には、文字が書いてある。この世界ではなく、彼の『前世』で使われていた言葉だ。それを見るたび、奇妙な笑いと、趣味の悪さが皮膚の下を駆け巡る思いがする。


 これは『カチンコ』だ。映画などの撮影に使われる、しかしてそれに縁のない生涯だった彼にとっては、知っているけど使い方はよくわからない道具。この『異世界』において映画なんて存在しないので、誰に聞いても答えは返ってこないだろう。


 というわけで、ジゴー・エルギーは、うろ覚えの適当な知識でそれを使う。カチンコを右手で持ち、腕を真っ直ぐ伸ばして構える。指で挟んで保持していた棒部分を動かし、勢いよく二つ折りの棒と棒を叩きつけて音を出すのだ。ジゴーは、これを打ち鳴らしたときの、かん、という快音に思いを馳せた。


『そう、結局すべては終わるモノ。なら、いつ壊れたっていいじゃない。君に同意。完全に同意。どうせ全部無駄になるんだから、今そうなったって、構わない。変わらない。どんな過程があったって、オチが破滅なら意味ないじゃん。さあ、やり残したことなんて関係ない、後悔なんて知ったことか。終われば全部無意味になる。なら、最初からそうしよう。早いうちに終わりにしよう。人間どもに、己の行いの無意味さを押し付けてやれ。全部が全部、真っ新に。さあ、君が造り、君が成る〈怪獣〉で、銀幕ごとぶち壊せ!』


 ——目を閉じて、深呼吸。そして、合図を発す!


「シーン二十七の二、防人の地『旧・第四北東基地ザボロド』特撃用意、アクション!」『シーン二十七の二、防人の地『旧・第四北東基地ザボロド』特撃用意、アアアアアアックション!』


 ——カン!


 途端、ジゴーの意識は真っ白に染まった。否、今、彼は、真っ白な幕の前にいた。そして、背後にはまるで巨大な銃のようにも見える映写機がある。それが今は、ただ眩い光を断続的に彼に当て続ける。当て続けられていると、どんどん自分が暗い影と薄いフィルムに分離していくように感じた。自分が、一つ一つ、小さなコマに切り取られ、映写されていく。自分という存在は今、銀幕に焼き付けられ、拡大された『画』だ。


『上映開始』


 タイトル/化学怪獣ラジュード

 監督/中屋修一

 主演/鹿島十郎

 日付/1968.10.2

 配給/太宝株式会社


 ■審査『上映不許可』


 ■女神特権発動→架想世界←鑑渉開始。権利買収、一部変更強制承認。ウルトラスポンサード完了。


 タイトル/化学怪獣ラジュード

 監督/ジゴー・エルギー

 主演/ジゴー・エルギー

 日付/3122.02.19

 配給/すてきな女神様


 ■再審査『上映許可』


 ――上映が始まる。


 ●●○3

 ●○2

 ○1


『まもなく上映のお時間です。携帯電話、スマートフォンの電源を切り、夢溢れるすてきな映画の世界をお楽しみください』


 ブザーの音が鳴り響いた。


「怪獣、壊演!」


〈怪獣壊演〉


 その時、大地に沈み、濁泥に塗れた瓦礫と、ゴブリンや武装したオークたちが犇めく廃墟のど真ん中に『怪獣』が『映写』された。


 怪獣の名は、化学怪獣ラジュード。全高八十メートル、体重四万トン。真黒な全身をぬめぬめとした濁泥や重油で覆い、馬のように長い首の先に長めの大顎を乗せた頭をぶら下げ、蜥蜴のように裂けた口を開いて、その内側の牙を見せる。直立二足歩行の姿勢でいるそれの、どっしりとした両脚は、しかと地面を踏みしめ、同時に腰から垂れた長大な尾もまた、べったりと地面を這い潰している。そして、その尾の先端から頭の付け根に至るまで、まるで工場の煙突のような背びれがびっしりと生えている。


 それが、化学怪獣ラジュード。数多の公害問題、自然環境への汚染が膿んだ、見紛う事なき怪獣、大怪獣である。


 化学怪獣ラジュードにとって、この残骸だらけの町は障害でも何でもなかった。精々が腰未満の高さ、二十メートル前後の廃墟群など、雑草に等しい。


 それは、田園風景の中にぽつねんと立つ、超超高層ビルのような違和感を纏っていた。


しかし、第一に考えなければならないのは、怪獣がそこにいるということ自体が、この場所、世界にとって脅威である、ということだった。四万トンの体重の衝撃を思い出した建物たちは、思い思いの姿勢で全身を震わせ崩れ去り、一斉に平伏するようにしてより低く畏まり、オークやゴブリンの頭上にその破片を振りまいた。


 大地に塗りたくられた黒々としたアスファルトもまた、同じだった。ところで、エネルギーや力というのは、時として波の形を取って物体の間を流れていく。故に、怪獣の足元からアスファルトが目繰り上がり、波打って、町を駆け抜けていく。そうすると、あっという間に街を飲み込み、平伏したコンクリート片と魔族達を飲み込んで遠く遠くへ押し流していく。


 ゴブリンもオークもトロールも関係なく、平等に瓦礫の大津波はすべてを飲み込み周囲を一瞬にして真っ新に変え、赤茶けた雲の様な砂塵の海を生み出した。それらはうっすらと風に乗り、怪獣の腰ほど、高さ三十メートルほどに達す。怪獣はしばしそれを眺めたのち、大顎を開いた。


 ——きいいいいいいいいいいん!


 そして、化学怪獣ラジュードは叫んだ。それは、己の存在を、そして、この廃墟群を、今度こそ破壊し尽くすという宣戦布告でもあった。


 黒い、濁泥の雨が降る。もうここに、蝿一匹生存は許されない。



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『……こういう、物語の冒頭で後々の展開を先出するのって、二千十年代の洋画から急に増えた気がしない? 『デッドプール』とか『ソニック』とか、あと『ピーターラビット』とか。でもこういうのって真っ当な小説ではあんまりない気がするんですよね。じゃあなんでやったの、って話になると思うんだけど、苦手な人は安心して。こういうモノローグはこれでおしまいだから安心していただきたいのです』


『というわけで、コンクリートジャングルの〈魔界〉の中で、どうして彼らがオークやゴブリンに囲まれるハメになったか、というと……』

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