第6話 馬に乗る

二人が洞窟を出る頃にはすっかり日が高くなっていた。

陽光の眩しさに和哉は目を細める。

辺り一面には草花が生い茂り色とりどりの花を咲かせていて、時折吹く風が花の香りを運んでくる。

木々の間からは木漏れ日が差し込み、幻想的な風景を作り出していた。


それは、昨日、和哉が彷徨っていた見渡す限りの荒野がまるで嘘のような景色だった。

彼はいったいどれ程の距離を、気を失ったままの自分を運んで来てくれたのだろう――ふと、和哉は先を歩くギルランスの背中を見て考える。

気絶した男を運ぶなど容易な事ではないように感じる。


(どうやって運んでくれたのかな?……まさかおぶってとか??)


そんな事を考えながら視線を移すと、少し先でルカが草を食んでいるのが見えた。


「ルカ、待たせたな」


ギルランスが声を掛けると、ルカは軽く首を振り近づいて来た。

ルカの頭を撫でているギルランスの横顔を見て(黙っていればイケメンなのに勿体ないな)などと思いながら和哉は話しかけた。


「ギルランスさん、これからどうするんですか?」


「ああ、昨日言ったように、次の街までお前を連れて行く――この国の王都でデカい街だ。そこならお前も仕事を見つけて暮らしていけるだろう」


ルカと触れ合っているからだろうか、心なしか柔らかい口調で告げられたギルランスの言葉に和哉は感動した。


(……え? こんな得体の知れない人間のためにそこまで考えてくれてたって事……?)


その言葉に驚きつつも、同時に嬉しさが込み上げてくるのを感じた。


「ギルランスさん……!ありがとうございます!」


感動と感謝で一杯の心持で満面の笑みを見せながら礼の言葉を伝えると、そんな和哉を見て、またもギルランスの眉間がグッと寄る。


(え? あれ? 僕何か変なこと言ったかな……?)


怪訝な顔で首を傾げる和哉にギルランスは不機嫌そうな態度で顔を背けてしまう。


「礼なんかいらん――勘違いすんなよ、俺は俺のしたいようにしてるだけだ! 」


なぜか怒ったように言い放つ彼の態度だったが、そのギルランスの姿を見て不意に和哉の胸に温かい物が込み上げてきた――そして、少し分かったような気がしたのだ。


(ああ――この人はとても不器用なだけなんだ……)


そう思うと和哉には目の前の不機嫌そうな顔をした男が急に可愛らしく見えてきてしまい、つい、微笑ましくて顔が緩んでしまう。

そんな和哉に気が付いたのか、ギルランスは怪訝そうに目を向けた。


「――んだよ?」


「いえ、すみません、ただ、ギルランスさんは本当に優しい方なんだなと思って……」


それを聞いたギルランスは一瞬面食らったような顔をした後、またすぐにあの不機嫌な顔に戻った。


「チッ、別に優しくなんかねぇよ」


一度、彼の中身が分かってしまえば、舌打ちをしてプイとそっぽを向くギルランスのその姿さえ可愛らしく感じる和哉だった。


(なんだかんだいって、照れ屋さんなんだな)


そんな事を思いながらニヤつく和哉に対し、眉間に皺を寄せたまま訝し気な表情を見せていたギルランスだったが、一つ溜め息を吐くと、気を取り直したように話を続けた。


「まぁ、いい……んな事より一つ問題がある。その街まで行くのにコイツを走らせても二日はかかる」


そう言うとギルランスは愛馬の首をポンと軽く叩いた。

そして甘えるようにすり寄るルカの首を撫でながら続ける。


「途中に一ヵ所小さな村がある――ガラクって村だ。何もねぇ村だが、素泊まり出来る宿がある。まずはそこまで行くんだが――」


「はい」


なにやら言い淀むギルランスに和哉は少し緊張しながら頷く。


「――で、見ての通り馬はコイツ一頭しかいない」


そこまで聞いて和哉はハッとした。

そう、馬を 駆けても二日はかかる道のり――それを徒歩でとなると相当な時間と労力となってしまうのだ。

かと言って一頭しかいない馬に乗せてもらうわけにはいかない。


(そもそも僕は馬に乗った事もないし……)


「えっと、じゃあ――」


「だから、まぁ、お前はその足で走るしかねぇよな」


おずおずと和哉が切り出した言葉に被せるように、ギルランスはとんでもない事をさらりと言い放った。


(へ?)


「……えぇぇぇぇっ!?」


まさかのギルランスの発言に和哉は驚きの声を上げてしまう。


(そ、そんな無茶な……!!)


思わずそう言いそうになったその言葉をぐっと呑み込み堪えた。

ギルランスは無表情のまま和哉を見つめている――その表情から察するに、冗談でも、ましてや意地悪で言っている訳でもなさそうだ。


「そ、それってどういう……!?」


「どうもこうも、そのまんまの意味だよ――俺がルカに乗って前を走るからお前は後ろから走ってついて来い」


確認の為に恐る恐る聞く和哉の問いに対し、さも当然といった顔で言うギルランスに開いた口が塞がらなかった。


(こ、この人何言ってんのぉぉ!?)


「いやいやいや!!無理ですって!!絶対途中でバテますよ!!――ってか、そんなの僕が死んじゃいます!!!」


冗談じゃない!と思いつつ和哉は全力で拒否するがギルランスは意に介さない様子だ。


「大丈夫だ、お前ならやれる、頑張れ」


(な、何を根拠にそんな事言ってんの!?)


「ム、ムリムリムリ!!無茶言わないで下さいよ!!大体なんで僕が走らなきゃいけないんですか!?」


「あ?なんか文句あんのか?」


必死に抵抗する和哉だが、ギロリと鋭い視線を向け凄むギルランスの迫力に一瞬(うっ)と怯んでしまう。


(くそぉ!前言撤回だ!!どこが『優しい』んだよ!!)


そう思いながらも、ここで拒否して置いて行かれてはもっと困ってしまうのだ――和哉は渋々承諾するしかなかった。


「うぅ~……わ、分かりましたよ……」


苦渋の表情で答えたその時だった、それまで大人しくギルランスに撫でられていたルカが不意にツイと首を伸ばして来て、和哉の袖を軽く咥えた。


「わっ! 何っ!?」


突然の事に驚いていると、ルカは頭をスリ寄せその大きな瞳で和哉を見つめた後、今度はギルランスに向かって何やら必死にアピールしだした。

そんなルカの様子を暫く見ていたギルランスだったが、やがて大袈裟なくらい大きな溜め息をつき頭を抱えた。


「はぁ~、ったく……しょうがねーなー……まぁ、ルカなら大丈夫だと思うが――いいのか?」


その問いかけに答えるようにルカはギルランスに頭を擦り付け、ブルルと鼻を鳴らした。


「わーったよ」


そう言うと、ギルランスは鞍上の荷物をずらし始めた。

「一人用だから狭い」とかなんとか愚痴りながらもスペースを空けた後、ヒラリとルカに跨った彼は「――ん」と和哉に手を差し伸べてきた。


(へ?)


和哉がきょとんしていると、少しイラついたような口調でもう一度手を差し出してきた。


「ほら、早くしろ! 乗るんだよ!」


「は、はい!」


どうやら二人乗りを許してもらえたようだった。

慌てて差し出された手を取り、和哉はなんとかルカの背によじ登るとギルランスの後ろに乗った。

一人用の鞍は確かに狭かった。

ギルランスが文句を言っていたのが納得出来る。

かなり密着する形になるので、照れくさい事この上ない。

しかも、和哉は生まれて初めて馬に乗ったのだ――思っていた以上に高いし不安定だしで恐怖すら感じてしまう。

どうやってバランスを取ればいいのか分からないまま、取り敢えずおずおずとギルランスの腰に手を添える和哉に前から容赦ない声が飛んできた。


「そんなんじゃダメだ!」


「え……でも……」


そう言われてもどうしたらいいか分からず和哉はオロオロとしてしまう。

それに痺れを切らしたのか、ギルランスは肩越しにこちらを一瞥すると、そのままグイっと和哉の腕を引っ張り自分の腹に回させた。


「うわっ!!」


バランスを崩して前のめりになった身体をギルランスの手が支えてくれたお陰で落ちることはなかったものの、背中から抱き着くような格好になってしまい、和哉は一気に顔が熱くなるのを感じた。


「ちょっ……!」


慌てて離れようとするが腕をがっちり掴まれていて身動きが取れない。

ふわりと鼻腔をくすぐるギルランスの汗と埃の混じった匂いは不思議と嫌な感じはせず、寧ろ、生身の彼を実感してしまい、和哉は更に体温が上昇するのを感じた。


(うわわわわ……!!なにこれ!?めっちゃ恥ずかしいんですけど……!)


恥ずかしさのあまり俯いてしまいそうになる顔を必死で上げて前を見ると、和哉の視界に広い肩と背中が飛び込んできた。


(うわ……広い……!それにすごくガッシリしてる……!)


細身に見えるが、実は着痩せするタイプなのか、かなり逞しい身体つきをしているようだった。

鍛え抜かれた筋肉がついていることが、服越しにも分かる――同じ男として憧れるような逞しさを感じると同時に、和哉は自分よりも大きな体格のその背中に安心感を覚えた。

そのまま視線を上げれば、凛とした精悍な横顔が目に映る。

その端正な顔立ちは、相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべてはいるが、それでもどこか、この状況を楽しんでいるかのような雰囲気も感じられた。

和哉は思わずその横顔に見惚れてしまう。


(ああ、やっぱりこの人かっこいいな……)


そんな事をぼんやりと思っていると再び前から声が掛けられる。


「いいか?しっかり捕まってねぇと振り落とされるぞ」


(ひっ、振り落とされる!?)


「は、はいっ!!」


落馬などシャレにならない――焦った和哉は咄嗟に力任せに抱きついた。


「うぐっ!」


「あ!すみません!」


どうやら全力で力を入れ過ぎてしまったようだ。

彼のうめき声に慌てて力を緩めようとする和哉だったが、それを察したかのようにすかさず注意される。


「いいから、そのまましがみついてろ――離すんじゃねぇぞ」


ギルランスはそう言うと、再度和哉の手を握り自分の体に引き寄せてしっかりと掴ませた。

そんなギルランスの背中からは体温と共に微かな鼓動が伝わって来る。

和哉は改めて、小説の中の勇者が今ここに実在して、自分と一緒に旅をしているんだという現実に感動した。


(凄い……本物のギルランスさんだ……本当に生きてる……夢じゃないんだ……)


そう実感すると途端に胸が一杯になって泣きそうになってしまった。

しかし、泣いている場合ではないと思い直し、とにかく今は振り落とされないようにと改めて抱き着く手にぎゅっと力を込める。

するとギルランスがクツリと笑い何か言ったような気がした。


「――?何か言いましたか?」


「何でもねぇ、行くぞ!」


そう言うやいなやギルランスはルカに合図を送り一気に走り出した。


「――え、うわあぁぁぁぁぁぁ!!」


突然の事に驚き、思わず声を上げる和哉だったが、その身体はルカの背中から落ちないように必死だった。

風が頬を掠め髪を舞い上げ、あっという間に周りの景色が流れて行く。

ルカはどんどんスピードを加速させて行った。


「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


あまりもの速さに目が回りそうになりながら、和哉はギルランスにしがみつき思わず悲痛な叫び声を上げてしまっていた。


「うるせぇな!黙ってろ!!舌噛むぞ!」


「ム、ムリですよぉぉぉぉぉぉぉ!!」


涙声で叫ぶ和哉の悲鳴は風に乗って後方へ流れて行った。

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