第3話 洞窟

(……ん)


気が付くとそこは薄暗い空間だった。


(あれ? ここは……どこだ?)


まだぼんやりとした頭のまま起き上がり、周囲を見渡す和哉の目にゴツゴツとした岩肌の壁面が映る――どうやらここは洞窟の中のようだった。

周りには誰もおらず、少し離れた所でパチパチと火の粉を舞い上げながら燃える焚き火が見える。

洞窟の外は夜のようだ。

蒼白い月明かりが周りの草木を照らし出していた。

まるで洞窟の出口の形に切り取られた一枚の絵画のようにも見える美しい光景だった。

 

和哉はゆっくりと立ち上がると、恐る恐る外へ出てみた。

明日あたり満月なのだろう。

空にはもう少しで満ちそうな月が輝き、世界を照らしていた。


そんな夜空を見上げる和哉の耳に、不意に横から下草を踏む音が聞こえてきた。

ハッと振り向くとそこには一頭の黒い馬が佇んでいた。

馬はゆっくりと近付いてくると、まるで和哉のことを待っていたかのように頭を垂れる。

よく見ると馬の額には角が生えており、ゲームや物語に出てくるユニコーンのようだった。


(この馬……この角……)


和哉はこの馬に覚えがあった。

戸惑いながらも手を伸ばし、頭をそっと撫で話しかけてみた。


「もしかして君はギルランスさんの……ルカ、かい?」


すると、それに応えるように黒馬がブルルッと鼻を鳴らす。

その時、ようやく和哉は全てを思い出した。

木から落ちたこと、荒野で目覚めたこと、そして、自分が愛読していた小説の主人公、ギルランスに出会ったことを――。


「そうか……やっぱり、あの時……」


和哉は自分が小説『ダブルソード』の世界に転移したのだと悟った。

まさかそんな”異世界転生小説”のようなことが実際に自分の身に起こるなど、俄かには信じられなかったが、このリアルな五感の全てが”現実”だと訴えている。

そして、自分の今置かれている状況も……。


(僕は本当に異世界転移したんだ)


改めてそう実感し、その事実を受け止めると、途端に涙がポロポロとこぼれ落ちてきた。


「どうしよう……父さん……母さん、美緒……もう会えない、のかな?」


和哉が泣いていることに気付いたのだろうか、ルカは心配でもするかのように顔をペロペロと舐めてくれた。


「……はは……ありがとう、ルカ」


ルカの優しい仕草に励まされ、和哉は苦笑して涙を拭うと、彼の頭を優しく撫でた。


(いつまでも泣いてたってしょうがないよな……)


ここが『ダブルソード』の世界ならば、自分はこれからどう行動すれば良いのだろう?――ルカの首を撫でながらそんなことを考えていると、ふとルカの鞍に荷物と一緒にくくり付けられている弓と矢筒が和哉の目に入った。


(これは……小説の中でラグロスさんが使っていた弓だ!)


それは紛れもなく小説内でギルランスの相棒のラグロスが愛用していた弓だった。

憧れの聖なる弓は、力強いオーラをまとっているかのように月の光を浴びながら美しく輝いていた。


(すごい……これが本物の聖弓か……)


和哉はゴクリと唾を飲み込むと、その魅力に誘われるように弓矢へ手を伸ばそうとした――その時だった。


「それに触るんじゃねぇ!」


突然背後から怒鳴り声が響き、和哉はビクッと身すくめ手を引っ込めた。

慌てて振り返ると、そこに立っていたのは怒りの形相のギルランスだった。


「ご、ごめんなさい! あんまり美しかったから思わず……すみませんでした!!」


和哉は平謝りに謝るが、それを無視するかのようにギルランスは険しい顔のままフンと横を向くと、何も言わず洞窟へ入っていき、焚き火の前にドカリと座った。

そして、どこかで捕まえてきたのだろう、手にしていた大きなトカゲのような生き物を慣れた手つきでさばき始めた。

和哉はなんとか彼の機嫌を取ろうと、ギルランスに話しかけてみた。


「あ、あの……何かお手伝いしますか?」


「…………」


勇気を出して声をかけてみたが、ギルランスは何も答えず黙々と作業をしている。

仕方なくおずおずと少し離れた所に膝を抱えて座るしかなかった。


(う~ん、怒らせちゃったかな……?)


気まずい雰囲気の中、和哉は不機嫌そうに作業を続けているギルランスを見つめた。

焚き火に照らされたギルランスの顔はとても整っていて、凛々しく精悍な表情の中にもほんの少しの少年っぽさを残した魅力的な顔立ちをしている。

それはまさに和哉の読んでいた小説の挿し絵そのものだった。

 

髪は銀髪で、額の傷を隠すかのように片側だけ下ろした前髪が右目にかかっていて邪魔そうだ。

その前髪と少し長い襟足が炎に照らされて赤く輝いているようにも見える。

切れ長の目に高い鼻筋、形の良い唇。

彼はギリシャ彫刻のように端正な顔立ちをしていた。

 

しかし、その目元や口元にはどことなく厳しさを感じる。

特に、神秘的な琥珀色をしているその瞳の鋭い眼差しは、獲物を狙う猛禽類を思わせるものだった。


(う~ん……やっぱりイケメンだなぁ……でも……)


和哉は違和感を拭えなかった。


(なんだろう……なんか違うんだよなぁ)


確かに見た目は小説通りのギルランスだ。

和哉の知る小説の中の彼はとても優しく温かい人柄なのだが、今、目の前にいるギルランスは全く違っていた。


まず、目が冷たいのだ。

常に警戒しているのか、ピリピリとした緊張感をまとっているように思える。

そして何より口が悪く粗暴で、とにかく怖いのだ。

例えるなら、群れから外れた手負いの狼といった イメージだ。

和哉の中のギルランス像がガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。


(なんか残念だな……憧れていたのに……小説の設定とは全然違うじゃないか!)


そんなことを考えながらギルランスを見続けていると、やがて肉が焼けるいい匂いが漂ってきた。

その匂いに刺激されたのか、和哉のお腹が盛大にグゥ~と鳴り響く――洞窟内に響き渡る音の大きさに慌ててお腹を押さえた。


(うわ~、でっかい音! 恥ずかしっ!!)


顔がカッと熱くなるのを感じつつ、慌てて身を縮こまらせた。

荒野で目が覚めてからずっと空腹を感じていたのだから仕方がない――そう思う和哉だったが、ふと疑問も湧いてきた。


(あれ? そういえばすごく喉も乾いていたはずだけど……?)


そう思うと確かに口渇感が収まっているように感じた。

この怖いギルランスが気を失っている自分に水を与えてくれたとは到底思えず、和哉が首を捻りつつそんなことを考えていると、不意に「……食うか?」とギルランスがボソッと呟くように声をかけてきた。


(えっ!?)


ぶっきらぼうなギルランスの声に驚きながら顔を上げると、彼はほどよく焼けた肉の串焼きを一本和哉に差し出していた。

どうやら食べ物をくれるようだ。

和哉は食事がとれる喜びとギルランスが自分に声をかけてくれたことが嬉しくて、何度も「はい!」と答えながら、赤ん坊がする”ハイハイ”のような四つん這いで手足をバタつかせてギルランスの所に近寄った。


そんな和哉の反応に彼はクッと小さく笑ったように見えたが、それも一瞬のことで、すぐにまたあの不機嫌顔に戻ってしまい、「ほらよ」とぶっきらぼうに言って串焼きを手渡してくれた。


「ありがとうございます! いただきます!」


礼を言いつつ受け取った和哉は、さっそく香ばしい匂いを漂わせる肉にガブリとかぶりついた。

途端に口の中にジュワッと肉の旨味が広がり、あまりのおいしさに思わず目を瞠る。


「うまあっ!」


あのトカゲのような生き物がこんなにおいしいとは思いも寄らなかったのだ。

和哉が口いっぱいに頬張り夢中で食べていると、その様子を横目で見ていたギルランスは、今度は口元から白い犬歯をチラリと覗かせ、またクツリと笑った。


「そんなに急いで食わなくても誰も取りゃしねぇよ」


その言葉に和哉はハッとした。


(しまった! これじゃまるで子供みたいじゃないか!)


自分の言動に気恥ずかしくなった和哉が、リスのように食べ物を詰め込んだ頬を膨らませてモグモグしながら俯いていると、再びフッと笑う気配がした。


(――あ、また笑われた!)


そう思った瞬間、和哉は急に顔が熱くなった気がした。


(なんだろう?なんだか変な感じ……やっぱりこの人苦手だ)


そんなことを感じながらチラッと隣を見ると、ギルランスはすでにこちらなど見向きもせず、焚き火を見つめながら肉に齧り付いていた。


(やれやれ、本当に不愛想な人だなぁ)


和哉は溜息を一つ吐くと、彼につられるように焚き火に目を向ける――赤い火の粉が踊るように舞い上がっていくその光景はとても幻想的で美しかった。


*****



食事も終わり、しばらく無言の時間が続いた後、ふいにギルランスが口を開いた。


「お前……その服を見る限り、この国のヤツじゃねぇな?」


ぶっきらぼうな言い方だが、少しは和哉に興味はあるようだ。

言われて和哉は自分の身なりを見下ろす――弓道の道着の袴姿のままなのだ。


「え……あ、はい。多分……そうですね」


実際のところ和哉には元の世界の記憶がしっかりある。

しかしまさか「異世界転移しました」などと言ったところで信じてもらえるはずもないだろうし、それこそ頭のおかしなヤツだと思われるのが関の山だ。

そもそも自分でもまだ信じられないくらいなのだ。なので返事も曖昧なものになってしまう。

そんな和哉にギルランスはさらに質問をしてくる。


「どこから来た?」


「それが……よく覚えてないんです」


「全く覚えてねぇのか?」


ギルランスは怪訝そうな顔をして問い返す。


「はい、気づいたらあそこにいて……」


これは嘘ではない。


「黒髪に黒い瞳か……見たことねぇ容姿だな……」


上から下までじろじろと全身を眺めるギルランスの不躾な視線に、和哉はなんだか落ち着かない気分になる。


「あの……僕ってどこか変ですか?」


「あぁ? 別に」


素っ気なくそれだけ言うと、ギルランスはふいと視線を焚き火に戻し、不愛想な顔のまま黙り込んでしまった。


(なんだよそれ! こっちは気になってるのに!)


ムッとした和哉がギルランスの横顔を睨むと、その視線に気付いたのか、はたと目が合った彼にまたまたギロリと睨まれてしまった。


(ひっ!)


和哉は慌てて目を逸らす。


(ダメだ! やっぱりこの人は苦手だ……)


そう思いながら和哉も口を閉ざすと、焚き火に視線を落とした。

再び暫く気まずい空気が流れていたが、ふとギルランスが思い出しように呟いた。


「確か……イチ、ジョウ、カ……? えーと、なんだったか?」


突然名前を呼ばれた和哉は驚いて顔を上げた。


「えっ」


「名前だよ」


「あっ、えっと……一条和哉です。カズヤと呼んでください」


「カズヤ、か……」


ギルランスは確かめるように呟くと続けて聞いた。


「記憶がねぇって言ってたよな……じゃあ行く当てもないのか?」


「はい……ありません」


ギルランスの問いに和哉は力なく答え、小さく頷いた。

これからのことを考えると絶望的な気持ちになる。

両親もおらず頼れる人間もいない和哉にとって、今のこの状況は非常に心細かった。


(まさかいきなり異世界に迷い込んじゃうなんて……)


いったい自分の身に何が起こったのか皆目見当もつかないまま、これからどうすればいいのかすら分からず不安になるばかりだった。

そんな和哉の様子にギルランスはハァと一つ溜め息を吐き、しばらく何か考えていたようだったが、やがて舌打ちをしながら和哉に聞こえないくらいの小さな声で呟いた 。


「チッ、面倒くせぇもん拾っちまったな」


「え? 今何か言いました?」


その呟きを聞き取れなかった和哉はキョトンとした顔で聞き返したが、ギルランスは「いや別に」と素っ気なく答えると、ある提案をしてきた。


「とりあえず、次の街までは連れてってやる。その後は自分でなんとかしろ」


ぶっきらぼうに言うギルランスに和哉は驚きを隠せなかった。


「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」


嬉しさのあまり声が上ずるほどだった。


(やった! 助かる!)


そう思い、満面の笑みを浮かべる和哉だったが、相変わらずな不機嫌顔のギルランスの鋭い視線と目が合う。


「礼はいらん。このまま置いていったら俺の寝覚めが悪いだけだ。勘違いすんなよ、あくまで仕方なくだからな。それから、俺の言うことは絶対だ、聞けなかったらその場に置いていくぞ、いいな!」


そう言うとギルランスはフンとそっぽを向いた。


(怖いのか優しいのか分かんない人だな……)


そんなことを感じつつも和哉は内心嬉しかった。

今はギルランスの助けがなければ生きていけないのは事実だ。

自分は彼にとっては厄介者以外の何者でもないだろう――それでも助けてくれたうえに街にまで連れて行ってくれるというのだからありがたいことこの上ないのだ。


なにより和哉の気持ちを上げたのは、少しの間とはいえ、あの憧れの『勇者』ギルランスと旅が出来ることだった。

それが嬉しくてついつい自然と口元が緩んでしまう。和哉がニヤニヤしながらその端正な横顔を見つめていると、視線に気付いたギルランスに不機嫌そうな顔でまた睨まれた。


「あ? んだよ!?」


「あ、いや……すみません」


和哉は慌てて目を逸らす。


「ふん、まぁいい。明日の朝に出発する、もう寝ろ」


そう言いながらギルランスは和哉に毛布を投げてよこすと、今度は体ごとプイと背を向けてしまった。


「はい、分かりました。おやすみなさい、ギルランスさん」


和哉は苦笑しながら返事をすると毛布をマントのように体に巻き付け、そのまま焚き火の傍で横になった。

暫くは緊張やら興奮やらでなかなか寝付けなかったが、パチパチと鳴る焚き火の音を聞いているうちに、いつの間にか眠りについていた。


――その夜、和哉は夢を見た。

それは、以前自分が暮らしていた世界の夢だ。

父と母と妹、家族で楽しく会話しながら囲む食卓。

学校の友達と他愛もない話をしながら帰る夕暮れの道。

何気ない日常の風景を夢の中で見ているうちに胸が苦しくなってくる。


(帰りたい……みんなに会いたい……)


夢の中の家族の笑顔が次第にぼやけていき涙が溢れた。


「……うっ……」


頬に温かいものが流れ落ちる感触を夢現ゆめうつつに感じる和哉だったが、またすぐに深い眠りの中に落ちて行った。

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