ダブルソード 第一章 ~銀髪の剣士編~
磊蔵(らいぞう)
第1話 荒野
~プロローグ~
『ダブルソード』――今、巷で人気のこの冒険ファンタジー小説に
緻密な描写と壮大な世界観に加え、王道ながらも先の読めないストーリー展開にワクワクさせられっぱなしなのだ。
なにより登場人物が皆魅力的で、中でも主人公である勇者『ギルランス・レイフォード』が和哉の最大の推しキャラであった。
物語の主人公だけあってイケメンであるのはもちろんなのだが、それを鼻にかけることなく、誰にでも優しい温厚な性格で、紳士なうえに剣技や魔術にも長けている――心優しい最強の剣士・ギルランスが和哉は大好きだったし、憧れすら抱いていた。
そんな和哉が、ある日ひょんなことから迷い込んでしまった世界で出会った人物――それこそが、ギルランス張本人だった!
これは、和哉とギルランス、二人の
*****
和哉は荒野を
ここがいったいどこなのか、なぜ自分がここにいるのかも分からない――気が付いたら荒野のど真ん中で倒れていたのだ。
携帯も財布も何も持っていないうえに、身に着けているのは、弓道衣の白筒袖の上着に紺色の袴だった。
(何が、どうなってるんだよ……)
和哉は混乱する思考のままあたりを見渡すが、ただただ荒れて乾いた大地が目の前に広がるだけだった。
(ここはいったいどこなんだ。僕はなんでこんな所に? ワケが分からない)
どのくらい歩いただろうか? 右も左も分からない、土と砂ぼこり、そしてゴツゴツとした岩が点在しているだけの荒野を和哉はただあてもなく歩き続けていた。
ここに来るまでに二体ほど得体の知れない生物を遠目に見かけたが、和哉はそれを逃げるように避けてきた。
こんな無防備な状態で野生の動物に襲われでもしたらひとたまりもないことは容易に想像がついたからだ。
「お腹すいたなぁ……喉も乾いたし……」
夢でも見ているのだと思いたかったが、この空腹感と口の渇き、それと全身を襲う疲労感はまぎれもなく現実のものだった。
(とにかくこの荒野から抜け出さないと。食料も水もないのに、こんな所で野宿なんて自殺行為だ)
そんなことを考えながら空を見上げると、太陽が傾き始めていてもうすぐ夕方になろうとしていることに気付いた。
和哉は焦った。
夜になったらどんな危険が待ち受けているか分からないからだ。どこか安全そうな場所を探すも、残念ながら近くには何も見当たらない。
焦る気持ちとは裏腹に時間だけはどんどんと過ぎていき、景色が茜色に染まり始めた頃、とうとう和哉は足を止めてしまった。
(ダメだ、もう歩けない)
「つ、疲れたぁ……」
体力の限界を感じ、とうとう近くにあった大きな岩にもたれかかり座り込んでしまった。
(もしかして僕、こんなトコで死んじゃうのかな?)
半分諦めにも似た気持ちのまま、ぼんやりと遠く地平線の向こうに沈もうとしていく太陽を眺めながら、和哉は(なぜこんな事態になってしまったのか?)と、ここに至る経緯を思い出そうとしていた。
*****
その日も和哉にとって、何一つ変わり映えのない、ごく普通の朝だった。
いつものようにまだ覚醒しきれていない頭のまま食卓で朝食をとっていると、不意に母親から声がかかった。
「あんた、今日も道場でしょ? お父さん、ちょっと行くの遅くなるから、代わりに道場の鍵開けといてって言ってたわよ。よろしくね!」
「あ、うん。分かった」
頬張ったパンを牛乳で流し込みながら、生返事を返す和哉に母親から檄が飛ぶ。
「もう! あんた、大丈夫なの? もうすぐ大会でしょ!」
和哉の家では父親が弓道の師範をしており、和哉は幼い頃から自宅近くの道場で父親からの指導を受けていた。
「大丈夫だって、ちゃんと練習するから」
母親の小言に苦笑いで応えた時だった。
ドタドタと階段を駆け下りてくる音が聞こえてきた。和哉の妹の
「あっぶなーい! セーフだよね?」
中学三年生だが、まだ子供っぽい雰囲気を残している。
ショートボブの髪を寝癖がついたまま整えようともせず慌てて食卓につく美緒に、和哉は呆れながら注意する。
「美緒、朝からうるさいよ、もう少し静かにできないのか?」
「え~、だってギリギリだったし……っていうか、お兄ちゃん、また雑誌で特集組まれてたよ!もう、友達みんな『お兄さん紹介して~』ってうるさくてさ~」
そう言うと美緒は広げた雑誌をバサッと和哉の前に置いた。その見開きには――。
『アイドル顔負けのルックスで女性に大人気!! 弓道界の貴公子、一条和哉の素顔に迫る!!』と大きく見出しが付いたインタビュー記事と、その時撮られた写真も載っていた。
(そういえば、そんな取材を受けたな……)
和哉は雑誌をチラリと一瞥した後、すぐに視線を戻した。
「別にわざわざ僕の事なんか宣伝してくれなくてもいいのにね」
「何言ってんの? お兄ちゃんのファンが聞いたら泣くよー? ほら、このページとかすごくカッコいいじゃん!!」
そう言って美緒はさきほどの雑誌の写真を指差す。そこには弓を構えて立っている和哉の姿があった。
(う……これは確かにカッコよく撮れてるな)
それはまるで映画のワンシーンを切り取ったような絵になっていた。
「キリリとした眉に少し憂いを帯びた眼差し、風に揺れる艶やかな黒髪……」などという歯の浮くような文章と共に、映画俳優さながらに盛りに盛って写された和哉が掲載されていた。
和哉は気恥ずかしさと居たたまれなさで、慌てて雑誌を閉じて美緒に苦言を呈した。
「そっ、そんなことより早く朝ご飯食べないと遅れちゃうだろ!?」
「あ、そうだった! 急がないと!」
美緒は慌ててパンを口に詰め込むと牛乳で流し込み、「行ってきます!」と慌ただしく家を出ていった。
そんな妹に呆れつつ、和哉も急いで食事を終えると学校へ向かった。
*****
「きゃー! 一条君よ~!」
「ホントだー! こっち向いてぇ~!」
学校に着き、昇降口へ向かう和哉に女子生徒たちの黄色い声がかかる。
(あー……またか……毎朝の事とはいえ困るな……)
内心げんなりしつつもそれを表に出さないよう気を付けながら、和哉は愛想笑いを浮かべて手を上げ「おはよう」と挨拶を返す。
するとさらに黄色い声が大きくなった。
(はぁ……勘弁してほしいよ)
和哉自身は自分がそこまで騒がれるようなルックスではないことは自覚していた。
確かに子供の頃は「女顔」だとか「男女」だとか言われ
そんな自分がこんなふうに騒がれるのは”弓道界を盛り上げたい”という考えの大人たちにいいように利用され、それに便乗するマスコミに持ち上げられているだけだと理解しているのだ。
(メディアの影響ってすごいな……)
そんなことを考えながら教室に入ると、友人の一人が話しかけてきた。
「よっ! 和哉、おはようさん」
「あぁ、
彼は高橋優斗といい、サッカー部の主将でもある爽やかなイケメンのスポーツマンだ。優斗の周りはいつも男女問わず多くの生徒に囲まれている。
そんな人気者の彼がなぜ自分に話しかけてくるのか不思議だったが、なぜか気が合うので一緒にいることが多かったし、”親友”と言ってもいいぐらいには仲が良いと和哉は思っている。
「相変わらず凄い人気だな!」
「いや、毎日ほんとに困ってるんだよ……」
「まぁそう言うなって! そういや、お前、また女と別れたってホントか?」
「はは……本当だよ。実は彼女に振られちゃってさ」
実は和哉には少し前“彼女”と呼べる存在がいたのだ。
「え? やっぱそうだったんだ! お前、これで何人目だ? ったく羨ましいぜ……」
「いやいや、全然羨ましくなんかないよ。最初は女の子から告白してきて「どうしても」って言うし、可愛いからいいかなって付き合うんだけどさ、そのうち「和哉の事が分かんない」とか言われて、結局いつもフラれるんだよなぁ……」
「えぇ~? それってお前が悪いんじゃね?」
「なんでだよ!?」
和哉が思わずムッとして言い返すと、優斗は苦笑した。
「だってさぁ、お前の中身も見ずに”見た目”だけで告ってくるその子たちもまぁその子たちだけど……そんな女の子たちに流されるように付き合うお前が良くないんだよ。もうちょっとしっかりしろよ!」
(うっ……まぁ、確かに……)
優斗の
「もう、いっその事自分が誰かを好きになるまでひとりでいたらどうだ? そしたらフラれる事もなくなるし、俺もお前と遊べる時間が増えるしな! あははっ」
「フッ……まぁ、それでもいいか――って、それよりさ、昨日、新刊出たんだよ!」
優斗の言葉に苦笑いをしつつ、和哉は話題を変えるべく鞄の中から一冊の本を取り出し、優斗に見せた。
タイトルは『ダブルソード』――今話題の人気小説だ。それを受け取った優斗はパラパラとめくりながら呟いた。
「へぇ、これがお前の言ってた小説かぁ……面白そうだな、どんな内容なんだ?」
優斗からの問いに、和哉は待ってましたとばかりに熱く語り始める。
「主人公はギルランスっていう『勇者』の称号を持つ冒険者なんだけど、相棒のラグロスと一緒に魔王から世界を守るって話だよ!」
「ふ~ん、なんか王道のファンタジーって感じか?」
「そうそう、ギルランスとラグロスの熱い友情! そして、婚約者のアミリアとの恋愛模様! で、なによりギルランスがめちゃくちゃカッコいいんだよ! 貴族の出で
「お、おお……そうなんだ」
あまりの和哉の推しっぷりに若干引き気味になりながらも、優斗も興味深そうに聞いていた。
「あと、相棒のラグロスもカッコいいんだ。ギルランスと同じ師匠に育てられた
興奮を抑えられずに更に和哉が語り出したその時だった。
キーンコーンカーンコーン……話を遮るかのように朝のホームルームが始まるチャイムが鳴り響いた。
大好きな小説についてもっと語りたかったが仕方がない――和哉は渋々本を鞄の中にしまった。
「いいとこだったのに……続きは後で話すよ」
「おう! 頼むわ」
そう言うと二人は慌てて席に着いた。
*****
学校の日課を終えた放課後――「今日は部活が休みだから遊びに行こう」という優斗の誘いに後ろ髪を引かれながらも、和哉は急いで道場へとやってきた。
父親の言いつけ通り鍵を開け道場内に入った和哉は、さっそく道着に着替えて練習を開始した。
まだ誰も来ていない。
和哉はこの静けさが好きだった。
射場に立ち、矢道(中庭)を挟んで向かいにある的に向かい矢を
意識を一点に集中しゆっくりと呼吸を繰り返すと、周りの雑音が消え去り、頭の中がクリアになるのを感じる。
ギリリと弓を引き絞り、的を狙い、カンッという弦の音と共に矢を放つと、パンッと乾いた音が道場内に響いて的に刺さった。
(うん、悪くない)
手ごたえを感じながら次の矢を番えようとした、その時だった。
どこからともなく「ミャ~」と猫の鳴き声が聞こえた。
(ん? 猫? ……どこから?)
和哉はあたりを見回すが、広い道場内に猫の姿は見えない。
「気のせいか?」
首を傾げつつ気を取り直して練習に戻ろうとした時、猫の鳴き声がまた聞こえた。
「ミャー、ミャー」
和哉は弓を置き、声を頼りにあたりを探すことにした。
矢取り道を通り、的場を横切り道場の端の扉を開けた――すると裏庭に出た所にある一本の大きな楓の木が和哉の目に入った。
(あ、いた!)
白いふわふわの毛をした小さな子猫が高い枝の上でこちらを見下ろしていた。
登ったはいいがおおかた下りられなくなってしまったのだろう。
和哉は急いで物置小屋から脚立を持ってくると、子猫がいる場所まで登り、手を差し伸べながら声をかけた。
「おいで、怖くないよ」
しかし、その子猫は怯えているのか、なかなか降りてこようとしなかった。
「ほら、大丈夫だから」
なるべく子猫に警戒心を抱かせないよう、優しく声をかけながらさらに手を伸ばしてみるが、あと少し届かない。
「もう少し……あっ!」
その時だった。
足場にしていた脚立がグラリと傾き、体勢を崩した和哉はそのまま真っ逆さまに地面へと落下してしまった。
頭部に強い衝撃を受け、和哉の意識は遠のいていく――。
(あれ……これ……ヤバいんじゃ……)
薄れゆく意識の中、遠くで声が聞こえた気がしたが、和哉はそれが何かも分からず暗闇に飲み込まれていった。
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