第5話
とある扉の前で、リュージはノックをしようとした手を止める。
(いや、イザベラに言われたから来たわけじゃあないぞ。ただ普通に、部下をメシに誘いに来ただけだからな)
自分自身にそうやって言い訳をし、誘いにきた部下……ルシードの執務室の扉を叩いた。
『開いているのでどうぞ』
中から聞こえてきた声は想像していた部屋の主より幾分高い声だったが、リュージはそれを気にすることなく扉を開いて中へと入っていった。
「は? え、総帥閣下?」
バサバサと床になにかが散らばる音が聞こえた先にいたのは、ルシードの部下である男、エイル・スフォルツァートだった。猫のようなつり目を大きく見開き、その淡い秋の空色の様な瞳にはリュージがしっかりと捉えられていた。そんな彼の横にはうさぎに似た小動物のような生き物がおり、降ってきた紙から逃げるように飛び回っている。
「すまんなぁ、驚かせちまったかエイル。お前さんも悪かったな」
「え、いえ……閣下がわざわざこちらへおいでになるとは……」
同様を隠せない様子だったが、それでも畏まり敬礼を忘れない姿に思わず笑みが溢れた。リュージの方に避難してきた小動物、エイルの使い魔である召喚獣をひと撫でしてやれば気持ちよさそうに擦り寄ってきた。ミルクティーのような毛並みは手入れがされているのか、指通りがよく撫で心地が良い。
「大した用事じゃない。それと、今の俺は非番のただのおっさんだからそんなに畏まらなくて良いぞ?」
そう言って、リュージは彼の足元に散らばった書類をしゃがんで拾い始めた。
「す、すみません、お手を煩わせてしまって!」
「かまわんよ。俺がお前さんを驚かせちまったのが悪いんだからなぁ」
慌てて同じようにしゃがみこんで書類を拾い集めるエイル。それを真似て召喚獣も彼の手伝いをしている。
順番は定かでないが、ひとまとめにして机の上に置けばそれなりの厚みがある量になった。
「これは……俺が見ても問題ない書類なら揃えるが……」
「いえ、元より順番なんて曖昧な書類なので、このままで大丈夫ですよ」
「ならいいんだが」
「それに、あの人はこの書類を見る気がないですからね」
普段から事務仕事もきっちりとこなしているルシードからは、書類をそのまま放置している姿は想像がつかない。将軍職である男の元にある書類なので、なにか不備があれば困るものだ。勝手に見るのも申し訳ないと思いながらも、リュージはその書類を1枚手に取った。
「これは……釣書? と、隣の山も同じか!」
先ほど拾った書類の横に置かれている山積みの書類。よく見れば同じように個人のプロフィールなどが書かれた書類が置かれていた。その量の多さに、リュージは思わず感嘆の溜息が溢れた。
「すげぇもんだな、この量は」
「お貴族様が娘の婿養子に欲しがってるんですよ……あの人顔と地位だけは良いので」
そこだけ強調するように強めに発言したエイルは、書類の山を見て大きく溜息を吐き出した。その様子から察するに、この釣書は頻繁にルシードの元へ運ばれてくるのだろう。
(イザベラが言ってたのはこいつのことか)
引く手あまたの色男、まさにその言葉通りだった。自分はこんなにも釣書を貰ったことがあっただろうかと、過去を思い返してみたが……すぐに虚しくなって考えるのを止めた。
「お前さんも大分顔も地位もあるはずだが、どうなんだエイル?」
「俺、じゃない……私は女性が苦手なので全てお断りしていますね」
「そういやそうだったな、すまん」
「閣下がお気になさることではないですよ。それより、ルシード様に会いに来られたのでは?」
「そうだった。が、留守か?」
執務室内に部屋の主は見当たらず、隣にある私室からも気配は感じられない。タイミングが悪くどこかへ出ているところなのだろう。
「せっかく御足労を頂いたところ申し訳ないのですが、閣下と同じでルシード様も今日はお休みなんですよ」
「だろうなぁ。まあ、別に大した用があって来たわけじゃないからな。あいつも休みなら好きなことをしたいだろうよ」
街へ出たのか、どこか遠出でもしているのかはわからない。将軍という肩書きは重荷なのだ。休める内に休ませてやりたいというのがリュージの本音でもある。
「そういや、あいつの趣味も好きなものも知らなかったな」
「ルシード様の趣味も好きなものも、閣下です」
「そこまで言い切らんでも」
「冗談ではなく、ルシード様の好きなものは閣下です。それ以外はおれ……私も存じ上げませんよ」
部下にまで知れ渡っている、ルシードのリュージへ向ける好意。まさか趣味までリュージだと言い切られる日が来るとは思わなかったが、強ち否定もできないところが辛いところだ。召喚獣もそうだと言わんばかりに頷いているように見えた。中々に賢いようだ。
「一般兵の私がこんなことを言うのも差し出がましいかもしれませんが……」
「ルシードのことか? 言ってみろ」
エイルは言うべきか悩んでいるようだったが、リュージはそのまま続けるように促した。
「ルシード様の閣下への想いは、拗らせている上に筋金入りなので……お気を付けください」
「お前さんにそこまで言わせるルシードはどうなんだ……」
正直、普段目にしているルシード・ハイスという男は、よく出来た部下の姿にしか見えない。再会した時こそ思いの丈をぶつけられはしたが、それ以降距離感は近いとは思えど周りが言うほどの拗らせぶりは見たことがない。
「俺には上司に遣えるよく出来た部下にしか見えないんだがなぁ。多少行き過ぎているところはあるがな」
思ったことをそのまま口に出せば、エイルがとても複雑な表情を浮かべてリュージを見ていた。いつの間にか机の上に座っていた召喚獣も、エイルと同じような表情でリュージを見ている。
「そうですね、閣下の前では……そう映っているかもしれないですね」
その顔は何かを言いたげにしていたが、ぐっと飲み込むようにして言葉を紡いでいた。
「閣下は、普段のルシード様の様子に興味はございますか?」
「普段のルシードか。そうだなぁ、お利口さんの将軍しか見たことがないからな。興味はある」
自分の前ではいつも真面目で利口なルシードは、果たして部下や他の者の前ではどうなのか。それは少し興味をそそるもので、リュージは迷わずそう答えた。
「では失礼して……」
リュージの横へ寄ってきたエイルは、小さく耳打ちをする。
「そこにルシードがいるのか」
「えぇ、おれ……私以外は知らない場所なので、普段休まれるときはそちらにいます」
「そこに行けば、普段見られないルシードが見られると」
召喚獣が可愛らしくコクコクと頷く。その姿がなんとも愛らしく、リュージは再度その心地の良い毛並みを撫で回した。
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