第1話 レックス・ドリーム

「じゃーみんな、またなっ!」

俺の名前はレックス・ドリーム。ロレアンヌ王国の王位継承権第一位。レックスとは『王』を意味する。名実ともに王となる存在さ。

ははっ!やめてくれよ。そんな、イケメンだなんて。


「そんな分かりきったこと、言うなよ。」


…はぁ。何やってんだろうな。俺。

今日の視聴者は…2人。まぁ、昨日はゼロだったしまだ良い方か。午前2時。あと数時間後には、出勤だ。


本当の俺は滝口たきぐち幸之助こうのすけ。29歳独身、サラリーマン。最近4年間付き合った彼女に振られ、家族には呆れられ、会社では昇進試験に落ち、持病のヘルニアも年々悪化している。

まさしく、下り坂。なんも良いことのない人生にウンザリしているところだ。

だが、そんな俺にも唯一の楽しみがある。


「おはよーございまーす。」

「あ、たっきー先輩!おはようございます!」

会社の同僚、隣の席に座る笹山ささやまカレンちゃんである。いや、ちゃん付けで呼ぶほど仲がいいわけではないのだが…とにかく、ちょっと聞いていてほしい。


「せんぱいせんぱい。聞いてください。」

きたきた!このささやき声である。


「ん?」

「昨日、毎朝トレインズ負けたんですよ。部長の機嫌、悪いかもです。」

あぁ〜これやこれ〜。毎日あるわけではないのだが、笹山ちゃんのささやき声に癒されるのである。これは本当にすごい。ノーベル平和賞をあげよう!


「あぁ、そう言うことか。さんきゅっ!」

「今日は、せんぱい特に眠そうですね。」

おぉ!今日はまだ続くのかっ!俺も少しささやき気味になる。


「あぁ。ちょっと夜更かししちゃってね。はは。」

「こちょこちょしてあげましょうか?」

「いや、大丈夫。コーヒー買って来たから。」

こちょ…なんで?こういうちょっと不思議なところも彼女の魅力だ。

断ってから後悔したが、正直『こちょこちょ』してもらえばよかった。


「おい!滝口!」

部長が俺を呼びつける。お花畑の脳内に、一気にマグマが流れ込む。


「頑張って、ください!」

「おう!」

今日は大当たりの日だ。ありがとう!頑張れるわ!


―その夜


「待たせたな!臣民諸君!!今宵もレックスと有意義な時間を過ごそうじゃないか!」

珍しく今日の配信は5人が見てくれている。

あくまでも俺は『王位継承権第一位のレックス・ドリーム』。『臣民』と呼んでいる視聴者との懇談の場を設ける優しい優しい王子様だ。身のこなし、声、その他全ての所作はスマートで完ぺk…


『ガタンッ』

「のわっ!」

『ガサガサガサ』

「あたたたた」

『ガサガサ…』

「ととと!!うお!」

『ザザザッコツンコッコッ』


最悪だ。安物のスマホスタンドのネジが緩んでいた。あたふたしていると、うまくスマホが掴めずもはや配信どころではない。


『どうしたレックス!?』

『事故ってて草』

『レーーーックスさまー!!!』

『王位継承権落第不可避』

次々とこの事故を揶揄するコメントが付く。うるせぇうるせぇ!!俺は!!俺様はぁ!!

…はぁ…。

こんなんじゃ、なんの威厳も示せな…ん?


『ASMRきもちー。』

『今のとこイヤホンで聞くとめっちゃASMRwww』


おん?なんだ?

えーえす?なに?


「はは、すまんすまん。気を取り直して続けよう!イッツSHOW TIMEッ!」

ハッキリ言ってコンセプトはメチャクチャである。それもそうだ。ヘルニアで会社を休んでる最中、気を紛らわせるために始めたぶい…VTuber?だ。キャラ付けは「異世界転生モノ」の見よう見まね、喋り方は「イケメンっぽい」声をなんとなく出す、話す内容なんて全く無い。


始めるに当たって一応色々資料を漁った。その中に「壁に向かって延々と話し続けよう!」ってのがあった。これが簡単そうに見えて…実際地獄のように難しい。特に独り身の俺は良いとも悪いとも誰も言ってくれない。マジでこれから始めようとする人は気をつけてくれ!!


「じゃあ!また明日もここで会おう!さらばだっ!」

折角の5人の臣民も、終いにはゼロ。


「はぁ。」


「ゼぇ〜ロぉ〜ははははは。」


『ザー』

『ピチャッ…ピチャッ』

もう色々と壊れ始めている。午前2時。雨、止みそうも無い。

そういえば、さっきついたコメント。AM…ARS…なんだっけ。

『ASMRきもちー。』


ASMR…?


サッと動画サイトで検索してみる。

うっわ。めちゃくちゃ出てくる。どれどれー?


「みなさん。こんばんわ〜。」

「ご主人。どうでしょうか。」

「はぁー。」

「ふっふっふー。」

「とぅくとぅくとぅく。」


うおぉ…なんかすげぇな。これが、ASMR。ほう。

聴覚や視覚の刺激によって感じる心地よさ。脳がゾワゾワする反応…。確かに、学生の頃はチョークで黒板に書く音とか…妙に心地よい感覚があったりした。そう言うことか。

ん?これって。待てよ。


「せんぱいせんぱい。」

「部長の機嫌、悪いかもです。」

「こちょこちょしてあげましょうか。」


ハッとした。これだ。

笹山ちゃんに感じていた癒しの波動。あれの正体は、これだっ!!!

なるほど。心地よいわけだ。俺は無心でASMRを聞き漁った。


「たっきーせんぱい。耳かき。してあげますね。」

「ふー。」

『ゴソゴソ』

「はー」

『ガサガサ』

あぁ。んー。なるほどね。これは、無形文化財。人間国宝。気持ちよさが、俺を天国へと誘なう。ささやいて…笹山ちゃ。

ん、ぐぇっ…なんだ。苦しい…笹山ちゃ…苦じいよ。ぐっ。


「ハッ…!ぐぅ…。」

有線イヤホンが、喉に絡みついて圧迫していた。どうやら寝落ちしたらしい。あっぶねぇ…危うくマジで昇天するところだった。

時計を見ると、現在朝6時40分。


「あ。」


「おわっ!!!!」


遅刻デッドラインまで、あと5分。

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