キウリ

流花

完結

私は今まで生きていてキウリという食べ物についてそう深く考えたことは無かった。というのも、ランチセットのサラダによく入っているが家で自分で包丁とまな板を取り出し、切ってまで食べたいとは思わない。味も特に特徴がない上にほとんど水分のようなあの野菜について考えないのは当たり前なのではないだろうか。私は少し体重が増えた時だけ食べるものに気を使うようにしている。まあ少しと言っても見てわかるくらいだから実際は少しでは無いのかもしれない。冷蔵庫を漁っても食べられそうなものが見つからない時は野菜室を開ける。冷蔵庫とは違って開けてもほとんど冷気を感じない。一番手前にキウリがあったらそれを1本だけ取り出す。包丁やまな板は使わない。醤油皿に味噌を少しだけ入れ、並べる。キウリの一番端の食べられなそうなところだけかじって捨てる。それから味噌を少しずつつけて食べる。どのような味かという説明は割愛しよう。きっと、君も食べたことがあるはずだ。あの野菜だっておやつくらいにはなってくれる。




結婚して一年くらい経った時のことである。その頃私は気が重く、夜になるとそわそわして歩き回り、朝は起きられない日が続いていた。そんな時期が周期的に来るのだ。誰かと一緒にいても孤独を感じる。しかし、一人になると自分が地獄に落ちてしまいそうな気がしてならない。どん底に落ちて、目の前にある一本の蜘蛛の糸すら掴むことが出来ないのだ。旦那から飲みに行ってくるという連絡があった。きっと朝まで帰ってこないだろう。久しぶりに話しがしたいと思っていた私は落胆した。彼は何も悪くない。しかし、どうしようもなく裏切られたような気がしてしまうのは私が弱いからなのだ。そんな時ふと、昔付き合っていた人の事を思い出した。別れてから暫くは連絡を取っていたが、もう何年も会っていない。彼は旦那と違って、とてもつまらない人間だった。顔は、説明するのが難しいが、芸人だったらイケメン枠に入れるようなそんなところだ。中学校の時はかっこいいと言われていた。身長は185cmで体重は知らない。とても優しい人だった。いい人だったし、悪い所を上げてくれと言われたら優柔不断なところくらいだ。私もそうなので、きっと上手くいかなかったのだろう。そんな彼のことをつまらないと言うのはさすがに言い過ぎなのかもしれない。しかし、そう感じてしまったのだから仕方ない。隣に味噌がないと、味がしないのだ。私は味噌じゃなかった。それだけのことだった。



その日は何となく、彼に連絡してみることにした。私は弱い人間だから。もしも、起きていて暇していたらいいなと言うくらいだ。話し相手になってくれたらと思った。実際彼は起きていて、私の提案に賛成してくれた。当時私がハマっていたゲームをわざわざインストールし、一緒にプレイしてくれた。私は最初全く上手くできず、旦那に呆れられていたが、彼はすぐに操作方法を理解し、上手にやっていた。


「旦那さんは?大丈夫なの?」


「うん。飲みいってるからいいのよ」


私は缶チューハイを開けて、そう言った。



「喧嘩したの?」


「いや、全然。私は人と話したかったの。それだけだよ」



彼はそうかとだけ言って、またゲームの話をした。こういう時に多く聞いてこないところが彼のいいところだ。私の話したいことだけ聞いてくれて、無理に問いただそうとしない。余計な話はしないし、一緒にいて辛いと思うこともない。



私は2日間何も食べないで過ごしたことがある。食べたくなかった訳ではなく、急激に太ってしまったからだ。私は夜空腹でどうしても眠れなくなり、野菜室を開けた。そこには丁度よく冷えたキウリがあった。私はいつものように味噌を取り出して、キウリの一番端を少し齧った。それから味噌を少しだけつけて口に運んだ。結論から言おう。それはキウリではなかった。いや、正確にはキウリなのだが、キウリというつまらない食べ物だとは思いたくなかった。空っぽの胃の中に水分がたっぷり詰まった新鮮なキウリが、泳いで、飛び込んだ。目には涙が溜まっていて、左頬をつたっていた。私が驚いたのは言うまでもない。空腹という、スパイスの偉大さを初めて知ったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キウリ 流花 @Rina_integral

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ