ep.8-3・騒動の末路(3)


「それより考えるべきは、貴女たち自身を守ることですよ」

 アンリの言葉にディートヴェルデは眉をひそめた。


「何故だ?」


「無粋な方々が押しかけて来るかもしれないと言いたいのかしら。わたくしを利用したいのが半分、もう半分はさしづめルシュからの嫌がらせと考えて良いでしょうね」


「サヴィニアック家だけでなくサンクトレナール家の敵も来るでしょうし、善意・・から貴女を皇都に連れ戻そうとする連中も来ると予想しますよ、僕は」


 うんざりとした口調でセレスティナが言うのに、アンリが追討ちをかける。



 確かにそれは面倒だな、とディートヴェルデは思った。


 だが皇都から辺境伯領はかなり遠い。

 多忙だと自称する宮廷貴族やその子どもたちが『何もない』なんて散々酷評されている土地にわざわざ来る暇なんてあるのだろうか。


「お忘れのようですが、学院はいま夏季休暇中ですよ」

 考えを読んだかのようにアンリが指摘する。



 そう、今は光明の月6月の下旬。光臨節※夏至にあたるを過ぎた頃だ。


 皇立学院の夏季休暇は光明の月6月から結実の月8月まで実に3ヶ月間に及ぶ。

 そして収穫の月9月の初めに入学式と始業式があり、次の夏まで学業に勤しむのである。



「なるほど、暇ならいくらでもあるわけか……」

 ディートヴェルデは半ばうめくように呟いた。


 確かにその期間なら子供は暇だ。

 特に家督などを継ぐ予定もない次男次女以下の子供たちならなおさらそうだろう。




「足場や背後を固めるのならお早めに。僕から言えるのはそれだけです」


 アンリは念を押すようにそう言って、席を立った。

 彼は結局、紅茶を2杯ほど口にしただけで、軽食には手を付けなかった。


 これから部屋に戻って休むと言うので、執事のディルに命じて軽食を一人分取り分け、部屋に持ち帰らせる。

 昼食には呼ぶつもりだが、恐らくここに来るまでの3日4日ほど飲まず食わずで過ごしていた可能性もある。

 小腹を満たすものくらい持たせても罰は当たるまい。


「ご馳走様でした。ディートヴェルデ、セレスティナ、今日はお招きいただきありがとうございました。僕は先に失礼します」


 ふあ……と欠伸あくびをこぼしながら、アンリはふらふらと四阿ガゼボを去っていった。

 皇都から辺境伯領まで強行軍で来たのだ。まだまだ若いとはいえ相当疲れているに違いない。




 その背中を見送って、ようやく二人きりになると、セレスティナは急に「ふふふ」と笑い始めた。


「ディート、緊張していましたわね。それともやきもちを焼いたのかしら」


 思い切り図星だったので、ディートヴェルデは気まずさに顔をそらす。赤面してるのを隠すためにティーカップに口をつけ、表情を取り繕った。


「だって……随分 親しげだっただろ」


「当然でしょう。わたくしとアンリは幼馴染ですもの」


「そうなのか?」


「ええ。わたくしと同い年で、同じ公爵家の出身、そして殿下の遊び相手もさせられていたから幼い頃からの知己ですの」


 セレスティナは懐かしむような顔でそう言い、それからこう付け足した。


「言っておきますけれど、彼との間に縁談なんて持ち上がったことは無くてよ。恋愛だなんて以ての外ですわ。アンリったら小さい頃から腹黒いったらありはしませんのよ。誰が好んで伴侶なんかにするもんですか」


 あんまりな言いように、ディートヴェルデは思わず吹き出した。

 同時に、なんだか安心してしまった自分がおかしくて、つい笑ってしまったのだ。


「あはははっ、確かに中身知ってたら、誰も縁談なんて持ちかけないかもな」


 淡く霞むような亜麻色の髪を行儀よく整え、分厚い眼鏡をかけた、おとなしげな見た目の青年が、あんなにずけずけと物を言うなんて普通は考えない。

 もっとおどおどとしていて、笑うときはふわりと花咲くように笑うようなのが想像されるだろうに、実際は連弾で嫌味を撃ってきて勝ち誇ったような表情で嗤うのだ。


 観賞用ならまだしも、身内にしたらどれだけ言葉で滅多打ちにされるか分かったものじゃない。


 もしもか弱い令嬢なんかが婚約者になったら精神的に参ってしまうだろう。



「そうでしょう? わたくしもそう思いますわ」

 セレスティナはくすくすと笑う。


 それにつられてディートヴェルデもさらに声をあげて笑ってしまった。


 それから2人は他愛もないおしゃべりをしばし楽しんだ。


 屋敷に客人が来ているため、歓待に忙しく、なかなか二人の時間を取れないかもしれない。


 そう思うとなんだか離れがたく感じて、昼食の準備に呼ばれるまで、お互いに席を立たなかったのだった。






「婚約披露パーティーは雷火の月7月の間に開こうと思う」


 午後、家族だけでテーブルを囲むお茶の席でディートヴェルデはそう投げかけた。


 唐突な宣言に、サヴィニアック辺境伯ハッケネスは怪訝けげんそうな顔でディートヴェルデの顔を見つめ返す。

「随分と急な話だな」

「まあ、確かに。でも俺たちの婚約は陛下の認めるところにあるし、早めに済ませるに越したことはないかなと思って」


「それ以外にも理由があるんじゃないのか」

 ハッケネスに詰められ、ディートヴェルデはあっさり白状した。

 ここで渋ってもさらに追い詰められるだけなのが目に見えたからだ。


「ティナの立場を安定させたい。後ろ盾としてウチが居るのをアピールするだけでも、だいぶ違ってくるだろ」


「あらまぁ、ディートくんったら、本当にセレスティナさんのことが好きなのねぇ」

 ミレーヌが茶化してくるのに、ディートヴェルデは不満そうに眉根を寄せた。

「悪いか」


「いや、悪くない選択だ」

 ハッケネスが苦笑混じりに同意する。




 実際、皇都におけるセレスティナの名声は地に落ちたも同然。


 皇太子ルシュリエディトから婚約を破棄され、皇都から去ったという事実を面白おかしく脚色されて吹聴ふいちょうされている。


 さらには皇太子が皇帝から叱責を受けて幽閉され、取り巻きの貴公子たちも他国へ飛ばされたり生死不明になったりと散々な末路を辿っているのだから、事情を知らぬ者たちは要らんかんりと妄想でさらに荒唐無稽な噂を創り出して、吟遊詩人たちがそれを披露しているという。


 そのせいでセレスティナの立場は悪化の一途を辿っているというのが現状である。



 いわく、皇太子と“神子”の仲を引き裂こうとした悪役令嬢は皇都を追い出された。


 いわく、悪役令嬢は皇都から逃げ出し途中で山賊にさらわれ……。だが今も悪事を企んでいるに違いない。


 いわく、真実の愛を貫いた皇太子は今、苦境の中にある。かの令嬢が皇帝陛下に気に入られていたからだ。だがそれは邪法による魅了で……。


 そんな阿呆らしい言説さえ流布されているらしい。

 皇都の住民の大半でさえ、それは馬鹿らしい創作だと分かっているようだが、本気で信じている者たちも一部いるのだとか。


 まったくもって迷惑な話だ。



 だがここでサヴィニアック辺境伯家が公式に婚約を発表し、なおかつセレスティナを歓迎する姿勢を見せて、彼女の立場や居場所を保証すればどうなるだろうか。


 政治的立ち回りではかなり慎重ながら時には皇族の命令さえ突っぱねることのあるサヴィニアック辺境伯が、厄介ごとの種でしかない悪役令嬢をただで引き取るとは誰も思わないだろう。


 そして、こうも考えるはずだ。

 もしやこの騒動には公にできない秘密があるのではないか、と。


 その疑念を植え付けるのも今回の婚約発表の目的である。

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