ep.8-1・騒動の末路


「僕がここに来たのは殿下から密命を受けてのことです」


 アンリの口から発せられた『密命』という言葉に、ディートヴェルデとセレスティナはお互いの顔を見合わせた。



「そんなこと、俺たちにしゃべってもいいのか?」

 ディートヴェルデが訊ねると、アンリは「ええ」と投げやり気味に答える。


「密命と言っても、お使いみたいなものですよ。貴方たちの様子を見て来い、と。ついでに嫌がらせもして来いだなんて馬鹿らしいことも頼まれましたが、僕はやりません。これ以上評価を落としたくないので」


 あの騒動の後、皇太子が謹慎させられたということは、取り巻きたちも何かしらの制裁を受けているはずだ。



 アンリは学院を卒業後そのまま宮廷で働けているところを見ると、どうにか上手くやったようだが、やはり周囲の目は厳しいらしい。


 下手なことをしてこれ以上評価を下げるより、洗いざらい話して協力を仰いだ方が良いと判断したのだろう。




「その様子では、貴方たちは皇都での出来事なんて全く知らないようですね」


 アンリの口ぶりからして、皇都で何か大変なことが起こっているらしい。

 セレスティナは神妙な顔で頷き、話の続きを促した。


「まず、何から話せば良いかな……」

 アンリは一息ついて、語り始めた。


「あの騒ぎの翌日——皇帝陛下が事態を把握され、殿下を問いただしました。当事者に話を聞こうにも、貴女たちは既に皇都を去った後。サンクトレナール公も公務を投げ出して自宅にこもり、宮廷への召喚にも応じない。そのため殿下と僕らは事情聴取を受けました。しかも諸卿の前で……」



 それはさぞかし恐ろしかっただろう。

 ディートヴェルデは他人事のように——実際 他人事なのだが——そう思った。



 この皇国における諸卿とは、他国で大臣にあたる地位だ。

 その爵位や人脈、財力、才能など己の持ち得るすべてを使って、宮廷内の権力闘争に勝ち、その座を射止めた勝者ともいえる。

 本当に政治が上手いかはさておいて、その地位に就いている面々は貫禄かんろくがある。揃えば重圧すら放つだろう。


 そんな彼らの前で事件の当事者として尋問されるなど、針のむしろもいいところだろう。




「それで?」

 続きを促すセレスティナの声は冷たい。


「皇太子殿下は当分の謹慎、しかも私室ではなく北の離塔に閉じ込められました。世話係だったブリュノールは脱走を手引きする可能性があるので側仕えの任を一時解かれています」


「北の離塔に? 陛下は随分と厳しい罰を下されたのね」

 セレスティナが意外そうに呟いた。



 北の離塔は、いわゆる牢獄だ。

 それもただの犯罪者を投獄する監獄ではない。

 罪を犯したとしても法律では裁きにくい地位の者たち——皇族を幽閉するために設けられた施設であり、その名の通り皇宮の北方に位置する離れ小島にある。

 石造りの塔と小さな祭殿があるくらいの寂しい場所だ。


 そして皇太子の世話係を務めていたブリュノールは皇太子の乳兄弟にあたる。

 皇家の身の周りの世話や後宮の管理等を行う宮内くないきょうアフェクテュー候オンベールの息子である。

 ちなみに宮内くないきょうの娘つまりブリュノールの姉はディートヴェルデの兄ジークハルトの妻となっている。そのためブリュノールは小舅こじゅうとにあたるのだが、ディートヴェルデと一切の関わりを持っていなかった。この辺りの事情は追々……。



「あの綿飴わたあめ頭がちゃんと反省していると良いのだけれど……」

 セレスティナの懸念を、アンリがバッサリと切り捨てる。

「それは無理でしょうね。こんなことで反省するなら、そもそもあんな騒ぎは起こさない」


「……だろうな」

 ディートヴェルデが頷くと、アンリは嘆かわしいと言いたげに両手で顔を覆って俯いた。


「ほとんど関わりのなかった人にさえそう言われるなんて……ハァ……本当に馬鹿ですよ、あいつは」


 アンリはそれこそ体中の空気を吐き出すようなため息をついて、ようやくティーカップを手に取った。


 紅茶はもうぬるくなっている。


 味わう素振りもなく喉を潤し、アンリは他の面々の行く末を話し始める。




「トリスタンは……ああ、トリスタンというのは外務卿、ブランシェール侯シャンブルの長男です。彼は突然ですが国外留学に出ることになりました」

「行き先は?」

「デフィデリヴェッタです。まあ、恐らくは殿下から引き離すのが目的でしょう」


 聖都デフィデリヴェッタは宗教の中心地で、他国ほど娯楽や誘惑は多くないうえ、古来から伝わる書物や魔法、技術なんかが保存されている。勉強をするには良い環境だろう。


 だが、かの都は皇国から見て大陸の真反対に位置する。皇国と聖都の間にはエヴリス=クロロ大森林が横たわっており、行き来するには広大かつ危険な大森林の中を突っ切って行くか、安全を取って南か北に大きく迂回するかしかない。


 都市間を結ぶ転移魔法陣もあるが、あれは管理が厳しい。

 留学の名目で逗留しているトリスタンがそうやすやすと帰らせてもらえるとは思えない。


「トリスタンも気の毒ね。でもあの女誑しには良い薬じゃないかしら」


 ちっとも気の毒そうでない調子で セレスティナが言うと、アンリは思案げにぼやいた。

「修道女に手を出したりなんかしないといいんですが……」


「そんなことしたら追放確定ですわね」

「はい……間違いなく」


 そう、聖都デフィデリヴェッタは宗教の中心地というだけあって、それ自体が巨大な教会のようなものだ。

 住民のほとんどが聖職者で占められており、戒律に従い、信仰に生きている。


 富と美貌を武器に数多の女性に声をかけ、ふしだらな関係を持って享楽にふけってきたトリスタンとは別世界のような生き方だ。


 トリスタンの軟派な声かけでなびくような者は少ないだろうが、仮に聖職者複数と関係を持ったなんてことがあれば、醜聞スキャンダルでは済まないレベルの事件だ。

 ことによっては破門もあり得る。


 この大陸でメジャーである白日教から破門されたらどうなるか……考えたくもない未来が待っているだろう。


 そういったわけで、おんなたらしのトリスタンは皇太子から引き離されたうえ、女遊びのできない土地に“国外留学(という名の隔離)”をさせられたとのことだった。




「あとはヴィクトワールね。彼はどうなりましたの?」


 ヴィクトワールならディートヴェルデも知っている。護国卿、ガニアンブール伯ゲールの息子だ。


 ガニアンブール伯ゲールは、伯爵家の次男でありながら、騎士として国境や大陸の南東に展開されている戦線で功績を上げ、叩き上げで軍事を司る護国卿にまで上り詰めた人物である。


 ディートヴェルデたちの住む辺境伯領は三つの国と接しているため、辺境伯領の保有している軍隊とともに、国境を守る護国騎士団が常駐している。

 そこへ護国卿が視察に来ることもしばしばあり、しかも息子を伴って来ることも珍しくなかったので、ディートヴェルデとヴィクトワールは顔見知りだった。


 ただし、ディートヴェルデも、ヴィクトワールも自分からしゃべるタイプではなかったので、あまり話をしたことはないが。



「彼は現在行方不明です」


「……は?」

 アンリの言葉に、ディートヴェルデは呆気にとられた。


「行方不明ってどういうことだ? 謹慎なり罰則なり何か受けてるんじゃないのか?」

 思わず問い詰めるような口調になるが、それも仕方のないことだろう。


 皇太子の起こした婚約破棄騒動に加担したとはいえ、ヴィクトワール自身が何かしたというわけではないし、何か問題を起こすような性格でもない。

 彼は真面目ゆえに皇太子を守るべく傍に控えていただけだ。


 だからこそ、どんな処遇を受けるのかと気になっていたのだが、行方不明とは穏やかではない。


「あの騒動から二日後、ゲール様がヴィクトワールを連れて皇都を出られたそうです。ところが数日経ってから戻られたのはゲール様だけ……ヴィクトワールをどうしたのかと聞けば『性根を叩き直すのだ』としか答えないようで」



「ゲール殿らしい行いだな」

 ディートヴェルデは思わず嘆息する。


 一騎士から叩き上げで今の地位を勝ち取ったとだけあって、ガニアンブール伯ゲールは正義感と使命感が強く、苛烈な性格だ。

 それだけに皇太子の奇行を止めなかったという息子の愚かさが許せなかったのだろう。


「国境に行ったとか、シュヴェルトハーゲンの南東戦線に送り出されたとか、ダンジョンの中に放り出されたとか、はたまた武者修行のため大陸中を行脚あんぎゃしているのだとか、いろんな噂がささやかれていますね。ただ確実なのは……」


「しばらく戻れない……か」

「ええ、そうです」



 ディートヴェルデとアンリがそんな話をしている間、セレスティナは少し目を伏せ、何かを考えているようだった。


「ティナ、どうかしたのか?」


 ディートヴェルデが訊ねると、セレスティナはハッと顔を上げた。

 しかし、浮かない顔のままアンリに問いかける。



「イロハは……いえ、“青の神子”はご無事かしら?」


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