ep.7-3・皇都からの使者(3)

 皇都からつかわされた使者が来たという知らせを受けて、セレスティナは、辺境伯夫人ミレーヌとともにおもてなしの準備をしていた。


 早文から丸二日しか準備期間がないというのに、ミレーヌは普段のほんわか加減からは考えられないほどてきぱきと指示を出し、滞在する客室の準備から晩餐会ばんさんかいのメニューの選定、日中に開くだろうお茶会の用意まで整えていった。


 あまりの手際の良さにセレスティナは思わず「お義母かあさま、すごいですわ」と尊敬の眼差しで見つめてしまったほどだ。


 そんな眼差しがくすぐったかったのか、ミレーヌは少し照れた様子で、苦笑する。


「凄いことなんて何もないわよぉ。慣れよ、慣れ。それにしても皇都の人たちってば、いつも急に訪ねて来るんだから……それに注文も文句も多いし、困っちゃうのよねぇ」

 ふわふわとした話し口だが、心なしかとげを感じる。


 どうやら皇都からの急な客人は今回が初めてではないらしい。


 辺境伯といえば侯爵相当あるいは公爵にも匹敵し得る爵位だ。それなのに、勘違いした宮廷貴族が上から目線であれこれ言ってくるのだろう。

 それも招待されていないところへ押し掛けて、勝手に御厄介ごやっかいになっているくせに……。


 セレスティナだったらとっくの昔に大爆発しているはずだ。片っ端から屋敷……否、領地から追い出して出禁を言い渡してしまうかもしれない。

 それをぐっとこらえて愛想あいそわらいとともに客人を歓待できるミレーヌは本当にすごい。セレスティナは尊敬の念を強めた。



 やがて用件は済んだのだろう。

 辺境伯ハッケネスと使者の代表者と思しき男が談笑しながら応接室から出てくる。

 そのすぐ後ろをディートヴェルデが追いかけ、残り四人の使者たちはその後ろからついて出て来る。


「おお、ミレーヌ。仕度をありがとう」

 ハッケネスは愛する妻ミレーヌの姿を見ると笑み崩れるという表現そのままに頬を緩ませ、彼女のもとへ歩み寄った。


「こちら妻のミレーヌです」

 ハッケネスの紹介を受けてミレーヌはたおやかに微笑みかけ、来客者たちに軽く会釈をする。

「ようこそお越しくださいました。どうぞごゆるりとお過ごしくださいね」


 すると使者の代表者が折り目正しく会釈した。

「ご丁寧にどうも、パペトゥリ伯スコトシュです」



 パペトゥリという名前を聞いてセレスティナはピンときた。

 パペトゥリ伯といえば彼は宰相こと尚書しょうしょきょうの下で働く上級文官の一人だったはずだ。


 一口に伯爵と言ってもその層は厚く、侯爵に匹敵するだけの権勢と格式の高さを誇る伯爵家もあれば、子爵とほぼ変わらない扱いを受ける伯爵家もある。


 パペトゥリ伯はどちらかといえば後者に分類される。


 よく言えば地道で真面目な仕事ぶり、悪く言えばパッとした功績のない地味な人間だという評価は、セレスティナも耳にしている。



 そして残りの四人も尚書しょうしょきょうの下で働いている文官だろう。

 セレスティナの記憶にない顔ばかりなので、平民か宮廷に上がりたての子息たちだろうか。


 そう思っていたのだが、やけに目立つまいとする地味な文官が一人いた。


 淡くかすむような亜麻色の髪を行儀よく整え、分厚い眼鏡をかけた青年だ。

 辺境伯と夫人から温かい歓待を受けてなお、居心地悪そうに背を丸め、視線を床へ向けている。


 セレスティナはその顔に見覚えがあった。

(あれはもしかして……アンリ?)



 アンリ・ド・ラ・バゼイラグランジェ。

 皇太子ルシュリエディトの取り巻きの一人だ。

 いわゆるガリ勉くんで、あの無駄に綺羅綺羅キラキラしく騒がしい一団の中ではおとなしい印象を受けるだろう。


 だがかなりの毒舌で、皇太子に対しても歯にきぬせぬ物言いをする胆力の持ち主だ。しかもスイッチが入ると口調が荒くなる。


 おとなしげな容姿で紳士的な振る舞いもするのに、毒舌のギャップが魅力的だと学院の女生徒には人気だった。


 まあ、そんな人気も、皇太子が青の神子ことイロハへ偏愛を向けるようになった頃に鳴りを潜めてしまったのだが。



 あの卒業パーティー後、皇太子を含め騒ぎを起こした連中がどうなったのか気になっていたが、まさかこんなところで会えるとは……。


 セレスティナはじっとアンリに視線を向ける。


 するとアンリもようやく気付いたらしい。

 観念したと言いたげな表情でセレスティナを見つめ返し、それから声も無く唇を動かす。


(後で話したい……ですって? しかもディートも同席で?)

 セレスティナはもちろん読唇術が使えるので内容を理解できる。


 セレスティナも唇だけで「10時、お茶の時間に」と告げて、自身の仕事に戻った。




 午前10時。

 サヴィニアック辺境伯邸の庭園の一角にて、ひっそりとお茶会の準備がされていた。


 青々と葉を茂らせる生垣いけがきは真四角に整えられ、壁のようにその庭を囲っている。

 大理石の柱に繊細な針金細工の丸屋根をのせた四阿ガゼボにはつる薔薇バラが絡みつき、自然のひさしを作っている。咲き誇る薔薇バラほのかな芳香を漂わせ、庭全体へどこか幻想的な空気に包んでいた。


 四阿ガゼボの中心に置かれた丸いガーデンテーブルは、天板にあしらわれたモザイクタイルの装飾を活かすためだろう、敢えてテーブルクロスを敷かずに瀟洒しょうしゃなティーセットが直接並べられている。


 用意された椅子の一つに座りながら、ディートヴェルデはいわれもない居心地の悪さを感じていた。


 セレスティナと二人きりならまだ気楽でいられるし、むしろ喜んでお茶会に出席したことだろう。


 しかし、ここにはディートヴェルデとセレスティナの他に、もう一人の参加者が座っていた。——アンリだ。


 さすがのディートヴェルデでも、アンリが皇太子の取り巻きであることくらいは知っている。


 だが在学中、全くと言って良いほど関わりがなかったので、どんな態度を取れば良いか分からず困惑しているという状況だ。


 それは相手も同じらしく、ちらちらとディートヴェルデに視線を向けるものの、話しかけてくる様子はない。


「……」

「……」

 どこか張り詰めたような沈黙が流れる。


 それを両断したのはセレスティナだった。

 しゃべらないまま黙りこくる男二人に痺れを切らし、ディートヴェルデとアンリそれぞれを横目ににらむ。


「全く……客人が居るというのに挨拶一つしないなんて何を考えていますの、ディート?

 それにアンリもアンリですわ。話があるというから場を設けたというのにだんまりを決め込むなんて……用件があるのなら早くお話しになって。さもなければお茶会を打ち切って即刻そっこく解散いたしますわよ。わたくしたちも暇ではないですもの」


 痛烈なセレスティナの言葉に、二人して「うっ」と声を詰まらせ、仕方なくお互いに向き合った。


「挨拶が遅れて申し訳ない。辺境伯領までご足労いただきありがとう……えーと……」

「アンリでいいですよ。敬称は要りません」

「じゃあアンリと呼ぶ。俺はディートヴェルデ・“ドヮヴェール”・ド・サヴィニアック。次期辺境伯だ」

「存じています。一応はクラスメイトでしたし。僕はアンリ・ド・ラ・バゼイラグランジェ。現在は尚書しょうしょきょうの下で文官をしています」


 アンリの家名を聞いてディートヴェルデは少し驚く。

「バゼイラグランジェというと、評議会の……?」


 ソルモンテーユ皇国は、皇帝を頂点として、それに仕えるしょきょうにより政治が為されている。

 だが、かつてその地位にあった者たちが好き勝手に法律や政策を濫造らんぞうし、国を混乱させた歴史があるため、法律の制定および改正、新しい政策の是非などを審議する評議会が存在する。


 バゼイラグランジェといえば、現在 評議会の長を務めている者がそんな名前ではなかったか。

 ということは……。


「ええ、バゼイラグランジェ公コンスタンティンは僕の父です」


 なるほど。ディートヴェルデは深く納得する。


 比較的地味に見えるアンリが皇太子の取り巻きを務めていたのは、親の地位があったからなのだ。

 きっと心配性の皇帝が、皇太子の後ろ盾欲しさに任命したのかもしれないが……。



「それで、話というのは何なのかしら」

 茶番は終わりだと言いたげにセレスティナが話を急かした。

 テーブルを指でコツコツと叩き、あからさまに不機嫌で、これ以上待ちたくないという意思表示までしている。


 セレスティナがアンリに対して気安い態度を取るのは、皇太子を介した付き合いがあったからだろうか。


 それにしてもなんだか距離が近いのではないか、とディートヴェルデは感じた。

 知らず知らず眉間に力が入り、表情が険しくなってしまう。


 アンリは苦々しげにため息をつき、それから話し出した。

「……まずは謝らせてください、セレスティナ。殿下を止められなくて申し訳ありませんでした」


 「止められなかった」というのは、皇太子が起こした婚約破棄騒ぎのことだろう。

 てっきり取り巻き共は皇太子の考えに賛同して、あの騒ぎを起こしたのだと思っていたので、アンリの謝罪にディートヴェルデは驚いた。


 アンリの重々しい口調とは反対に、セレスティナは素っ気なく切り捨てる。

「いいですわ。そんなこと、今さらもう気にしてなどいなくってよ」


 紅茶が冷めてしまうわ、と一口啜り、セレスティナは再びアンリを睨む。

「まさかそんな安い謝罪のためにここまで足を運んだのかしら。他にも目的がおありなのではなくて?」


「……はい」

 アンリは半ばうめくように答え、訥々とつとつと話し始める。



「僕がここに来たのは殿下から密命を受けてのことです」


 密命、と聞いてディートヴェルデとセレスティナは顔を見合わせた。

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