プロローグ・騒乱の卒業パーティー(後編)

 ——パチンッ。

 セレスティナの扇が閉じられる。

 隠された顔は泣いてなどいなかった。むしろ口元には薄らと笑みさえ浮かべている。


「ふむ。わたくしがイロハに嫌がらせをした、と仰りたいのですよね?」

 親しげに“青の神子”を呼び捨てるセレスティナ。


 その態度に眉根を寄せたルシュリエディトは、怒りを押し殺した声で問うた。

「そうだ。心当たりがあるのだろう?」


「残念ですけれど、心当たりなんて全くありませんわ」


「貴様……っ、まだシラを切るつもりか!」


「いえ、本当に。わたくしにはそのような覚えはございません」


「では、なぜイロハはあんな仕打ちを受けなければならなかったのだ!?」


「それは、わたくしには分からなくてよ。わたくしが知りたいくらいですもの」


「白々しい! イロハが嘘をついているというのか!」


「そうは言っていませんわ。ただわたくしは事実を言っているだけ。むしろ、貴方たちはイロハに何をしたのでしょう。このような目に遭わぬよう助けるのが、“真実の愛”とやらで結ばれた恋人の務めではありませんこと?」

 淡々と返すセレスティナ。


 ルシュリエディトが歯噛みする。

「ええい、言い訳ばかり並べおって! 貴様のような不信心者を婚約者の座に置いてなるものか! 婚約は破棄させてもらう!! この場に皇帝陛下が居らぬ以上、“ソルモンテーユ皇国憲章”第6条3項に基づき、王位継承権第1位の俺に裁定の権利がある。口答えは許さんぞ!」


 ルシュリエディトは自信満々にお得意の条項を口にした。


 “ソルモンテーユ皇国憲章”とは、ソルモンテーユ皇国の根幹を為す基本法であり、皇家のあり方、国民の義務、国家機関の役割や権限、法律制定手続きなどを定めた法律である。


 そして、ルシュリエディトの言う“第6条3項”とは、『場に皇帝が不在の場合、王位継承権の最も高い者が裁定する』というものである。


 ルシュリエディトはこの法律を濫用しており、ことあるごとに持ち出しては自分の我儘を通してきた。

 幼少期や学院時代なら子どもの冗談程度で片付けられてきたが、よもや17歳にもなって、しかも自身の将来を決める婚約問題にそれを持ち出すとは、誰も予想していなかったのである。



 セレスティナは困ったように眉を下げ、扇で顔半分を隠しながら、

「そうですか……そう仰るのならば致し方ありません。粛々とお受けいたしますわ」

と、しおらしい声で答えた。



 会場がどよめく。まさか受け入れるとは思わなかったのだろう。


 ルシュリエディトは満面の笑みを浮かべ、セレスティナの肩に手を置いた。

「そうか、そうか……! セレスティナよ、その潔い判断には感服しよう。ではさっさと荷物をまとめて皇都から……」


「殿下、ひとつよろしいでしょうか」

 セレスティナに水を差され、ルシュリエディトは不機嫌そうに彼女を見返した。

「……なんだ?」


 セレスティナはしおらしい声のまま、こう続けた。

「わたくしは皇都から追放なのでございましょう? でしたら、最後の御慈悲として、わたくし自身に今後の身の振り方を決めさせていただきたいのです」


「ふん、好きにするといい。俺は優しいからな。お前の最後の願いぐらい聞いてやるとも」


「ありがとうございます」

 セレスティナはそっと扇を下ろし、嫋やかに微笑んだ。そしてくるりと踵を返す。



「あっ、おい、何処へ行く!?」

 慌てるルシュリエディトを尻目にセレスティナは自分たちを囲う人の輪へ足を向けた。

 当然、巻き込まれたくない者たちはセレスティナを避けるように道を開ける。


 セレスティナは人の輪を突っ切って、ひとつのテーブルの前に立った。



 彼女の目的はただ一人。この会場において唯一この茶番劇に関心を向けなかった人物、ディートヴェルデ——この物語の主人公である。



「……え?」

 ディートヴェルデは突然目の前に現れたセレスティナに驚き、目を瞬かせた。


 その手にはオレンジの刺さったピックが握られており、今まさに口に運ぼうとしていたのだろう、ぽかんと口を開けたまま、セレスティナを凝視する。


 そんな間抜け面を晒す男に、セレスティナは一瞬眉をひそめるが、すぐに笑顔を作った。そして、周囲が見惚れるほどの淑女然とした所作で一礼する。



「ディートヴェルデ様。どうかわたくしをサヴィニアック領に連れて行ってはくださらないでしょうか」



「……は?」


「あら、聞こえませんでしたか? どうかわたくしをサヴィニアック領に連れて行ってくださいませ、と申し上げたのですけれど」


「いや、待ってく……ださい。何を仰っているのですか?」


 ディートヴェルデにとっては、それこそ青天の霹靂である。

 まさか傍観していた茶番劇がこちらに飛び火するなど微塵も考えていなかったのだから。



「む……そいつは誰だ?」

 ルシュリエディトまでテーブルに歩み寄ってくる。


 彼の無知を嘲笑あざわらうようにセレスティナはディートヴェルデを指し示した。

「あら、ご存じないのですか、皇太子殿下。こちらはサヴィニアック辺境伯の御令息ですわ」


「サヴィニアック? ああ、何もない田舎だろう?」

 ルシュリエディトは小馬鹿にしたような目でディートヴェルデを見た。


「辺境も辺境の田舎貴族がよもや皇立学院に居ようとはな。田舎臭いを通り越して存在にすら気付かなかったぞ」

 ルシュリエディトの言葉に周囲が苦笑をこぼす。



 それもそうだ。

 サヴィニアック辺境伯領といえば、ソルモンテーユ皇国の内陸部に位置する広大な穀倉地帯——といえば聞こえは良いだろうが、要は畑以外にほぼ何もないド田舎である。


 そんな土地を治めるサヴィニアック辺境伯家の当主は、ほとんど領土から出ないため、皇都での存在感など皆無に等しい。

 名前を出して初めて『ああ、そんな名前の家もあったな』と反応されるレベルである。


 そんな家でもほとんどが皇立学院の出身者であるし、現当主の次男であるディートヴェルデも、そのご多分に漏れず、皇立学院に入学し、卒業を迎えたのだが、まさかここまで認識すらされていなかったとは思ってもいなかった。


 だが、ここでディートヴェルデが激昂することはない。

 彼にとってはむしろ好都合だった。


 なぜなら、彼はこの学院生活において、空気として扱われることを望み、維持してきたからである。

 6年間にわたり、皇太子ルシュリエディトに自身の存在を気付かれなかったということは、思惑通り空気に徹することができていたという証左だ。


 しかし、この卒業パーティーで顔と名前を覚えられてしまった。

 詰めの甘さが出た結果とも言えるだろう。



 正直に言えば、今この瞬間も、ルシュリエディトの記憶から薄れやすいよう印象を残さずにフェードアウトしたいところだったが、予定変更せざるを得ない。


 目上の貴族であるセレスティナから紹介を受けた以上は名乗らなければならないからだ。


 ディートヴェルデはルシュリエディトに臣下の礼を取った。

「ご紹介に与りました、サヴィニアック辺境伯の次男、ディートヴェルデと申します」


「ほぅ、辺境伯家の次男か……」

 ルシュリエディトは値踏みするようにディートヴェルデを見下ろした。



 皇太子たる彼にとって、辺境伯家の、それも次男など、取るに足らぬ存在である。


 しかし、彼の中では、先ほどのセレスティナとのやり取りで受けた不快感が燻っており、その鬱憤を晴らす相手として、ちょうどいいと思ったのかもしれない。


 ルシュリエディトは無遠慮にディートヴェルデを眺め回す。

 そして、良いことを思い付いたというようにニヤッと口角を上げた。


「セレスティナよ」

「……何でございましょうか?」

 ルシュリエディトは満面の笑みを浮かべ、セレスティナに歩み寄る。


「俺に婚約を破棄され、さぞかし傷心であろう。そして、婚約破棄された令嬢が再び婚約者を探すことは難しかろうな……俺にだってそれくらいは分かる」

 いかにも訳知り顔、といった表情を作り、ルシュリエディトはセレスティナの背に手を添え、なだめるように撫でた。


 もう婚約者ではないはずなのに、べたべたと馴れ馴れしい触り方をされ、セレスティナは不快感に顔をしかめる。


 そんなことはつゆ知らず、ルシュリエディトは、大発見をした学者のようにもったいぶった口調でうそぶいた。


「そこでだ、賢く慈悲深い俺は考えた。お前には新しい縁を用意してくれようではないか」


「まあ、それはどのような?」

 セレスティナは、期待に満ちた声音を作って尋ねつつ、気冷めた目でルシュリエディトを見やった。


 ルシュリエディトはセレスティナの背を押し、ディートヴェルデの前に立たせた。


 そして決め台詞を繰り出さんとする舞台俳優のように、ぐるりと周囲を見回し、すぅ、と息を吸った。



「“ソルモンテーユ皇国憲章”第6条3項に基づき、王位継承権第1位の俺が命じる。セレスティナ・デュ・サンクトレナールは、サヴィニアック辺境伯家に輿こしれせよ!」

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