【第一章:ノブレス・オブリージュ⑲】

「から はさ、サークルとか入ってないの?」



「入ってない。できるだけ自分だけの時間を増やしたいからね」



「そっか。考え方は僕と同じだ」



「同じ学部に友達とかは?」



「いないよ。誰よりも遅く講義に来て、誰よりも早く帰ってるから。でもグループ活動に支障はない。人との最低限のコミュニケーションはやってみせる」



 彼女自身、決してコミュニケーション能力が低いわけではない。何せ彼女は高校時代の学級委員なのだ。それも根っからの委員長気質。学生の声に耳を傾け、意見を統合し、矢面に立ち、教師との交渉にも積極的。能動的にさえなれば、彼女のポテンシャルはどこにでも発揮できる。



 ただ大学生になってから、なんだか消極的になった。それは僕も同じだ。



「そうする必要性がなくなった、というだけだ。やらなければいけないからやったまでで、やらなくていいならやらない」



 ドライというよりかは、ただただ形式的なだけだ。



 きっとまたそういう立場に立たされたときは、あのときと全く変わらない姿を見せるだろう。



 ただ、僕としては。



「から の好きなほうをやればいいと思うよ」



「好きなほう?」



「そう。やりたいほう」



「私がやりたいことは、私に求められていることだ。それを提言するなら、君が私に求めている姿を例示してみればいい」



「それじゃあ、笑顔のやまない瑛摩から、とか」



「君がそれを求めるのであれば、なんなりと」



 彼女は笑った。だけどそれは、僕をからかっているだけだ。



「だけど、求められた姿になりたいというのは本当だよ。私はなるべき姿でありたい。この世界の変数は、私だけで十分だ」



「変数?」



「そう。私さえ適切に変われば、世界の秩序が保たれる。こんなに素晴らしいことはない」



「でも、実際はそうじゃない」



「…それは、認めざるをえないかな」



 彼女は苦笑した。



「ただ、自分が変数でありたいと思うことに変わりはない。君がいつでも自由な在り方でいられるように、私は善処しよう」



「それは、お互いじゃだめなのかな」



「お互い」



「お互いフェアじゃないと、落ち着かない」



 彼女は僕の目を見た。そのとき、彼女の瞳の深さをはっきりと認識できるくらい、長い時間見つめあった。



「君の気持ちはよくわかる。私も今、その気持ちを思い出した」



「う、うん」



「だけど私は、この人生に借りを作ってしまった。だから、私の人生の均衡を保つためには、変わり続けなければいけない」



「なら、それでもいい」



 瑛摩から は、目をそらした。



「から が自分の負債を回収しきれたと思ったとき、また言ってほしい」



「そんな日が来るのだろうか」



「待つのも役目だ。僕は生憎、待つのは嫌いじゃないんだ」



 はじめて彼女に皮肉を言えた。



 そうだ、これが正しいんだ。僕たちの関係性の意味など考えるより先に、彼女は僕にとって■■なのだから。



 だから、彼女を待ち続ける。



 部屋で一人、そんなことを思っていた。



 今日も窓からあの星、ウインクが見える。ただ、ずっとカーテンを開けていると虫が飛んでくる。あることだけ確認して、カーテンは閉める。



 そろそろ彫刻に取り掛かろう。この夜中が勝負だ。



 丸みを帯びた大まかなシルエットから、具体的な姿を想像する。これから向かっていく形がどのようなものであるか、そのイメージを今のうちから掴んでおくことは大切だろう。今後例えば、方向性に大きな転換があったとしても、それは前提が形作られているからこその転換と見なせる。



 ナイフの刃を押し出す。ゆっくりと、材にくびれを生み出していく。木くずがナイフの刃を反って、帯状に産生されていく。ときにそれを払い、その刃の当たる傷跡をこの目で直接見つめ、あとどれくらいの掘削が必要なのかを確認する。



 刃向きと繊維の方向は、意識せずとも手に伝わってくる。だけど僕ももう初心者じゃない。多少の干渉は、上手にかわせるものだ。



 薄く、小さく削っていく。その一つ一つが、材に新しい形を与えていく。



 思えば思うほど、彫刻は不思議だ。この世界はないものからあるものへと変わっていくのに、これは大きな存在をより小さくしていくことで形を生み出していく。



 その理由は簡単だ。存在の本質は大きさではなくて、その形にあるのだから。



 小さいものから大きいものへ、または大きいものから小さいものへ。そのいずれにせよ、僕たちの形はより複雑で、個性のあるものになっていく。形を得ることを、僕たちは誕生という。



 人が人の形になったとき。星が星の形になったとき。



 それでは、形のないものは存在しないのだろうか。僕たちはその手に掴めないそれの誕生を、どのようにして確かめるのか。



 そこに形を求めることは、果たして正しいのだろうか。

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