【第一章:ノブレス・オブリージュ⑤】
「お疲れ様」
「そっちこそ、授業終わったばっかでしょ?」
「今日は三限で帰れるから良い。で、こっちが君の充電器。代金は?」
「はいよ」
ちょうど冷蔵庫にあってくれてよかった、一本の缶コーヒー。砂糖とミルクは濃いやつだった。
「助かる」
「家にストックしてあるんだ。借り作ったときように」
「それも助かる」
から は目の前でタブを開けた。唇が繊細に動いて、黒褐色の液体を口腔に流し込んでいく。
「いいね」
彼女はそれを飲むとき、絶対に「おいしい」とは言わない。普段の食事のときは、さりげなく口にするのに。
評価の基準は、良い、か、悪い。それだけだった。
なぜなんだろう。
「忘れ物、しないように。こんなことばかりでは、君の借りがどんどん増えていく。私もべつに、君から奢られたいわけじゃないから」
「迷惑だった?」
「あるぶんにはあるだけ良い。歓迎するよ」
そうだ、元々このシステムを始動したのは僕だった。
一つの借りにつき、一本のカフェイン飲料。
これは僕の信念であり、勝手な契約でもあった。
「それじゃ、また明日。スマホの充電忘れないように」
ああそうか、帰っても充電を忘れたら意味ないか。
そんなことに気づかされた頃には、彼女はとっくに帰路の途中。僕はその、細くて小さい背中を見送るだけだった。
手元に渡った充電器は、丁寧にケーブルをまとめられていて、眠ったように冷たかった。
文化研究棟から、僕の家までの帰り道。これが嫌いだった。
道は中途半端に広いくせに、木に覆われて薄暗い。
普段は考え事でもしながらいつの間にか終わっている帰路のはずが、この道は僕に思考すら許さない。
この道はいつでも僕を待っている。あの日の自分をさばくために。
今日もあそこに、人が立っている。
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