公任、ムカデ退治に巻き込まれる
おおまろ
第1話 満面の笑みの斉信、公任のため息
公任は前方を行く一行を眺めている。
彼の視線の先には、枯れ草を山のように抱えている頭の中将とその部下数人が歩いていた。
(どうしてもっとサクサク歩かないんだ。追い越さなきゃならないじゃないか。うーんシカトして追い越そうか。あんな荷物を抱えている奴らに挨拶したって、ロクな目にあわん)
触らぬ神にタタリなし。扇で顔を隠し、何も見えていないふうで横を通り過ぎようとしたのだが。
「やあ!こんなところにありがたい人手がいるぞ。助かったよ我が親友」
と、目ざとく声をかけられる。
扇の陰ででチッと舌打ちした公任はため息をつくと、さも今気がついたような顔をして、
「おやおや!誰の声かと思ったら頭の中将殿じゃないか」
わざとらしく驚いてみせた。
「これから草焼きをしなきゃならないんだ」
「ほおお。それも仕事の一環か。最近は近衛府もいろんな仕事を手広くこなしているんだな。いやいや本当にご苦労さん。じゃあな」
「おいおい待ってくれよ。違うんだ。知ってるだろ。宮中で行われる大祓(おおはらえ)に合わせて、中宮が朝所(あいたどころ)にお移りになったのを」
「ああ。そんな説明口調にならずとも知っている。登花殿から職の御曹司に直接お渡りになるのは、確か方角が悪かったはずだ」
「方違えでいったん朝所にお移りになったはいいが、いかんせん建物が古い。ムカデが落ちてくるという苦情が出てね」
「それは恐いな。おちおち寝てられやしないだろう…そうか、その枯れ草はムカデを煙でいぶして駆除するためか」
「察しがいいな。そうなんだよ。中宮は父君の死に大きな打撃を受けておられるので、できるだけ配慮をしてさし上げるようにとの今上の仰せだ」
「慈悲深い御言葉だ。確かに、朝所はムカデの多発地帯だ。風通しも悪くておまけに暑い。そりゃあストレスもたまるだろう。だがそんな諸雑事は、移る前に済ませておくべきことじゃないのか?そもそもおまえのする仕事か?中宮大夫の…」
怠慢だな、という言葉は、今は言ってはいけない言葉だった。ただ今の中宮大夫は道長殿であり、ほんの4、5年後には入内できる年齢の、美しい手駒の愛娘を持っている。強力すぎる後見をなくした定子中宮の面倒をみるメリットなぞ、もはやあろうはずもない。
「私は今上の御ためのみに働いているんだよ。あの気の毒な墨染めの女王に配慮を、と仰せなら、身を粉にして働こうじゃないか」
そうか。それじゃがんばれよ。
とはとても言えない。
「一時的な仮の宿とはいえ、朝所には一週間近く滞在されるはずだったな。居心地よくしてさし上げるのが、中宮サロンの常連たる者の義務だと思うぞ。仕方ない、では私もひと肌脱ぐことにしよう」
「助かるよ我が親友!ここに居る部下たちは殿舎の中に入れない身分の者もいるんだ。君なら私と一緒に殿舎に入れるからありがたい」
「おまえのためじゃないぞ。仮住まいで不自由な思いをしておられる中宮とその女房たちと、何よりも御心やさしい今上の御ためだ」
「じゃあ気が変わらないうちに!さ、腕を広げてくれ」
斉信は強引に自分の抱えていた枯れ草の山を公任に押しつけ、自身は部下から均等に枯れ草を分けてもらう。部下たちの抱えている山の高さが、彼らの額が見えるくらいにまで低くなった。
「しかしよく考えてみればおかしな理屈だよね。大祓するから、家族が亡くなって触穢(しょくえ)中の人間に出て行けなんてさ。中宮もついでに清めてもらったらいいんだよ。そうは思わないか?公任」
「そうだな。喪中で穢れている中宮が、内裏で堂々と暮らしていることに問題アリと言うのなら、ついでに中宮もお祓いしてもらいましょか、と誰かが言うと思っていたんだがな」
「誰が」
「高内侍の一族とか」
「あははは。隆家殿くらいなら臆せずに言いそうだねえ。なにしろ隆家殿は道長殿と仲がいい。しかし二位の新発意(しんぼち)殿なら、お祓いの儀式の中に得体の知れない修法でも紛れ込ませそうだ」
「とにかく、愛想笑いを振りまいてとっとと済ませてしまおう。昼には大祓の準備も待っているんだからな」
枯れ草を抱えた一行は、「煩わしい事だ」とか何とか言いつつも、結構楽しそうに歩いている。それは目的地が女だらけの園だということと、その女の園が、美しき女主人の人柄を反映して、ウィットに富んだ会話と心地良さを提供してくれる空間だからだ。
頭の中将たちが朝所に入ってしばらくして、建物の出入り口のあちらこちらから、枯れ草を焼く香ばしい煙がうっすらとたなびきだした。あたりに鄙びた、けれどやさしく懐かしい匂いが漂い始める。明るく平和な夏の朝…のはずだったのだが――。
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