第6話 始まる高校生活

 シェアハウスで生活することになってから数日が経ち、高校生活が本格的に始まった。朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋を柔らかく照らしている。俺は目を覚まし、まだ眠い目をこすりながらベッドから身体を起こす。

 学校に通う日々が始まったばかりだが、すでに少しずつ新しい生活に慣れてきたような気がする。


「今日も頑張ろう」


 心の中でそう自分に言い聞かせ、制服に袖を通す。今日もまた、新たな一日が始まる。

 高校に行き始めて一番に驚いたのは、金子先輩が生徒会長をやっていたことだった。学校が始まるまで、そんなそぶりは一度も見せたことがなかったが、今思えばあの落ち着きようは生徒会長たる所以だったのかもしれない。


 俺が通う高校は、駅からのアクセスがよく制服も可愛いということから、県内ではかなり人気があるらしい。地元の高校なんかは、緑色の主張が激しくてカメムシ制服なんて呼ばれているせいかあまり人気がない。

 シェアハウスからの距離もそんなに遠くなく徒歩で三十分、自転車で十分程度だ。他の三人は自転車を使っているが俺は運動不足気味なので歩いて登校している。


 一年四組の教室は、校舎の一階にある。教室に入ると、既に多くの生徒が席についており、今日の授業に向けて準備をしている。徒歩の俺とは違い、自転車で通っているミアはすでに席に座っていて、教科書に目を通していた。


「おはよう、ミアさん」


 俺が声をかけると、ミアは顔を上げて微笑んだ。


「おはよう、悠紀。今日も一緒に頑張ろうね」


 ミアの笑顔を見ると、少し緊張が和らぐ気がする。俺たちはまだ学校に慣れていないが、こうして一緒に頑張れる仲間がいることが心強い。


「始めるぞー、席につけー」


 そうこうしているうちに、授業が始まり、教室内に静けさが戻る。俺は教科書を開き、先生の言葉に耳を傾けるが、背中を軽く叩かれる感触があった。後ろを振り返ると、伊藤がニヤリと笑いながら俺に小さなメモを差し出してきた。


「これ、読めよ」と無言で促され、俺はメモを開いた。


「部活、どうするか考えたか?」


 少し汚い字でそう書かれていた。俺はペンを取り出し、同じメモの隅に「まだ迷ってるけど帰宅部かな」と書き込んで後ろに渡す。伊藤はそれを受け取り、少し考え込んだ様子を見せた。


 休み時間になり、伊藤が椅子を俺の方に引き寄せながら問いかけてきた。


「俺はさ、サッカーかなって思ってる。悠紀は本当に帰宅部なのか?」


「うーん、俺は特に得意なのもないし、何も入らないかも」


 俺の返事に不満そうな顔をする。


「つまんねーの。部活動って青春だろ?」


「いいだろ別に、クリーニングをどこに出すのかは個人の自由、洗濯の自由ってさ。」早い! 安い! きれい! っと言ったら答えはなんだ、志村」


「クリーニングしむ--って何言わせてんじゃ!」


 たわいもない話をしていると、突然、ミアさんが笑顔で問いかけてくる。


「志村ってだれ? そんなことはどうでもよくてゆーき、私書道部に入ろうと思うんだけど、どう?」


 志村は志村一択だろ。山梨県民なら誰でも知ってる。閑話休題。ミアさんの言葉に俺は少し驚いた。まさか書道部とは思ってもみなかったからだ。


「書道部か……」


 俺は少し考え込む。ミアさんが書道に興味があるなんて知らなかったし、なんとなく彼女には運動部が似合うと思っていたからだ。


「どうして書道部に?」


「日本に来るまえから、文字の美しさに興味を持っていたの。それに、集中して一つのことに取り組むのが好きなのよ」


 ミアさんの言葉には真剣さが感じられる。彼女はただ楽しそうだからという理由ではなく、自分の興味や好奇心を大切にしているんだと、俺は改めて彼女のことを見直した。


「ゆーきも一緒にどう?心は書道部に入るっていってたから一緒に入れば、もっと楽しいと思うよ!」


 彼女は目をキラキラ輝かせながら詰め寄ってくる。


「どうすんのさ、悠紀くん。俺だったらこんな可愛い子のお願い断れないけどな〜」


 ニヤニヤと見てくる伊藤を無視して考える。

 彼女の誘いはとても嬉しいが彼女ほどの熱意がない俺が入部したら周りの士気を下げてしまうかもしれない、そんなふうに思うとやはり俺には入部する勇気はなかった。


「……俺はやめておく」


 ***


 その後の授業は淡々と進み、いつの間にか放課後になっていた。


「なにぼーっとしてんだ?帰宅部はさっさと帰るんだな」


「伊藤こそ早く行かないと、顧問に怒られるんじゃないのか」


「入部届まだ提出してないから平気なんだよ。これから提出しに行くけど悠紀も行くか?」


「行かないよ、関係ないし流れで入部なんてなったらやだから」


「ちぇ、つれないやつだなぁ、まあ、また明日なー」


 そういうと伊藤は教室を飛び出して行ってしまった。


「俺も帰るか」


 教室を出ると、廊下は生徒たちで溢れており、俺はその流れに身を任せ、下駄箱へと向かって歩き始めた。


 廊下を歩いていると、向かいから内海さんが女子二人と会話しながら歩いてくるのが見えた。彼女は進学クラスのため、同じ学校に通っていながらもなかなか出会う機会が少ない。こうやってたまに廊下ですれ違うか、体育の授業ぐらいでしか会うことがない。

 彼女がこちらに気づくと、微かに微笑んで軽く会釈をしてくれた。


「内海さん……」


 俺も同じように会釈を返すが、言葉をかけるタイミングを逃し、そのまますれ違ってしまう。一度は足を止めたものの俺は下駄箱へ向かう歩みを止めなかった。

 靴を履き替えていたその時、背後からゆっくりと近づいてくる足音が聞こえた。振り返ると、そこには見覚えのある金子先輩が、穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。


「悠紀君、一人で帰るの?」


「あ、はい。特にやることもないので帰ろうかなと。金子先輩はなにを?」


 逆に質問されるとは思っていなかったのか少し驚いた顔をした先輩だったが、すぐにいつもの表情に戻る。


「私は新入生を弓道部に誘っているのだよ。君もどうかね?」


「あー……俺は帰宅部でいいかなって思ってて。さっきもミアさんからの誘い断ったとこなんですよ」


「そうか、残念だ。家以外でも距離を縮められる場所だというのに」


「それってどういうことですか?」


 まっすぐな目で俺を見つめてくる。


「悠紀君、いや悠紀。君とはもう何日も同じ屋根の下で生活しているというのに距離が遠すぎないか?私は先輩だから百歩譲っていいとしても、彼女たちとは同い年だろ」


「で、でも」


「でもじゃない、この件については週末に話そうと思っている」


「はい……」


「さっ堅苦しい話はここまで。今日の夜はチンジャオロースにするつもりだから帰りに買い物よろしく。間違っても作ろうなんて思わないでくれよ」


 そう言って先輩は颯爽と去ってしまった。やっぱりこの間、料理作ったの間違いだったか。母さんが家に帰ってからのことを少し思い出しながら、一人残された俺はただ沈む太陽を眺めながら歩いた。

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