第4話 迷子

 俺は買い物袋を片手に、シェアハウスへの帰り道を歩いていた。まだ新しい住人たちと過ごす時間は短いが、早く馴染むためにもどんなことを話そうかと考えている。だが、早朝からの準備やら、新しい住人との挨拶で、少し疲れを感じ始めていた。


「さて、早く戻らないと……」


 心の中でそう呟き、歩みを進めた。だが、知らぬ間に道を外れていたのか、見慣れない景色に軽く眉をひそめた。ちょっと買い物に出かけただけで道に迷ってしまうとは考えてもいなかった。地図アプリを開こうとポケットに手を入れるが、スマホが見つからない。

 自分の部屋に置きっぱなしなことを思い出した俺は、小さい頃の記憶を頼りに歩き続け、ようやく大通りに出ることができた。


「ここに出たってことは、あっちに行けばいいのか」 「えっと、確か……こっちじゃなかったっけ?」


 声を出した瞬間、別の声が響き渡った。驚いて前を見ると、目の前に同じく道を確認していた少女がいた。彼女もまた、俺に気づいて顔を上げる。


「え……」 「え……」


 お互いに目が合い、数秒間、驚きと戸惑いが交差する。彼女は肩につかないくらいの黒髪を外ハネにした、どこか柔らかく儚げな雰囲気を持つ少女だった。スマホで道を確認していた彼女の姿を見て、思わず声をかけた。


「あの、どうかしましたか?」


 彼女は驚くと俺に不安げな視線を向けた。大きな瞳に浮かぶ不安と戸惑いが、そのまま伝わってくるようだった。


「あ、すみません。ちょっと道に迷っちゃって……」


 彼女は少し困ったような笑顔を浮かべている。その表情に、俺はまるで道端に捨てられた子犬を見つけたような感覚を覚えた。


「どこに行くつもりだったんですか?」


 なぜか使命感のようなものを感じ、彼女の目的地を尋ねた。


「えっと……住所はここなんですけど、地図がうまく読めなくて……」


 彼女はスマホの画面を見せてくれた。そこには、俺が今住んでいるシェアハウスの住所が表示されていた。


「えっ!?……」


 思わず声が漏れ、胸の鼓動が速くなった。まさか、こんな形で新しい住人と出会うとは思ってもみなかった。

 その言葉を聞くと、彼女は驚いたように目を見開き、すぐに微笑んだ。その表情には先ほどまでの不安はないように見える。


「そうなんですか!良かった、道案内してもらえると助かります!」


 思いがけない展開に、俺は緊張しながら、彼女をシェアハウスまで案内することになった。

 歩きながら、彼女との会話が自然と始まった。彼女は柔らかい口調で話し始めた。


「本当は、もっと早く来るつもりだったんですけど、道に迷っちゃって……」


「道に迷うのって、結構焦るよね。俺もついさっきまで道に迷ってて、あっ、でももう道分かるから安心して!」


 俺は変に心配させないように必死に説明すると、彼女はクスッと笑った。


「あなたも方向音痴なんですね、ちょっと親近感湧いちゃいます」


 彼女の笑顔に、俺は少し照れくさくなった。

 照れを誤魔化すかのように俺は、彼女の持つ大きな荷物に目をやり、会話を続けた。


「結構荷物多そうだけど、遠くから来たの?」 


「ちょっと遠くの街から来たんです。両親の仕事の都合で引っ越すことになって……。それで、自分のことも色々考えたいなって思って、このシェアハウスで暮らすことにしたんです。」


 彼女の表情が少し真剣になったのを見て、俺も素直に自分の境遇を伝えることにした。


「俺はさ、両親が『家事ができない男は結婚できない』とか言って急に一人暮らしすることになったんだ。笑えるよね」


 彼女は真剣な表情のまま、それでいて柔らかい口調で話し始めた。


「そんなことないです。それって、ご両親があなたのことをよく見ているってことじゃないですか。私なんか……」


 そこまで言った彼女は、ふと話を止めて小さく笑った。


「……って、こんな暗い話をするつもりじゃなかったんですけどね!なんだかおかしいですよね、初対面なのにこんなに話しちゃって」


 彼女は自分の言葉に少し照れた様子で、俺が手に持っている買い物袋に目を向け、話題を変えた。


「ところで、膨らみを見るに結構買ったみたいですけど、何を買ってきたんですか?」


 彼女が急に話題を変えたことで、俺は一瞬戸惑いを感じた。でも、今はあえて追求しない方がいい気がした。きっと、まだ俺たちの距離が縮まる前だから。


「え……っとね、主に食材と日用品かな。必要なもの、色々と頼まれてさ」


 彼女は興味津々ながら少し不安そうな顔をした。


「食材大丈夫ですか?さっきまで道に迷ってたんですよね?」


 彼女の言葉を聞きは俺は一気に血の気が引くのを感じた。

 俺は彼女の言葉に反応して、慌てて買い物袋の中を確認した。冷たい汗が額を流れ、心の中で「まさか……」と焦りが募る。


「えっと……あ、大丈夫だ、まだ冷たい……と思う」


 袋の中の冷蔵食品を手で触れながら、そう呟いた。幸い、袋の中の食材はまだなんとか無事そうだった。俺は自分が道に迷っていた時間を思い出し、心の中で冷や汗をかいた。


「ふぅ、良かった……。でも、これ以上はまずいかも」


 彼女は俺の様子を見てクスッと笑った。


「ふふ、無事で何よりです。でも、急いだ方がいいですね」


「そうだね……」


 俺たちは再び、さっきより早足で歩き始めた。少しの沈黙の後、彼女がふと口を開いた。


「でも、今日みたいに迷ったり、色々な人と出会ったりすることもあるんですね。そういうのって、ちょっと楽しいかも」


 彼女の言葉に、俺は少し考えた。確かに、こんな予想外の出会いも、シェアハウスでの生活の一部なのかもしれない。そして、こうして新しい住人と話しながら、俺も少しずつこの新しい環境に馴染んでいけるのだろう。


「そうだね、意外と悪くないかも」


 俺はそう言って彼女に微笑み返した。彼女も笑顔を返し、俺たちは無言のまま、シェアハウスに向かって足を速めた。やがて、シェアハウスが視界に入ると、俺は少しホッとした。

 シェアハウスの前まで着くと、俺たちは一度立ち止まり、互いの顔を見合わせた。


「やっと着いたね」


 俺がそう言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。


「はい、ありがとうございました。本当に助かりました」


「いやいや、こっちこそ助かったよ。迷ったおかげで、こうして会って、話ができたから」


「……ってそうだ!そういえば自己紹介がまだじゃん。俺は和泉悠紀。改めてこれからよろしくね」


 彼女も微笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。


「私は内海心うつみこころです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 俺たちは改めてお互いに挨拶を交わした。

 新しい生活が始まる期待感と共に、シェアハウスのドアを開けた。

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