情死で死に戻りました。相手の王太子とやり直したくありません

綾南みか

第1話 死に戻りしました


 怖い……、死ぬのは、いや……。


 弱々しい、でも必死な心の呼び声で、私はその身体の奥底から目を覚ました。

 眼の前に昏い顔をした男がいる。昏い瞳で私を見て引き金を引く。咄嗟に嫌だと思った。がむしゃらに男から離れようと手を伸ばす。

 それで、銃口が逸れて弾は私の頭を少し傷つけて逃げて行った。それでも衝撃で吹き飛ばされ、私の身体は床をゴロゴロと転がる。


「痛い……」

 裂けた傷口から血が溢れ出てみるみる床に血溜まりができた。

「アンナ」

 昏い男の声が響く。

「済まない、楽にしてやろう」

 銃口がもう一度私に向けられる。

 いや……、ともう一度言う。首を横に振る。

 男は唇の端を歪めただけだった。


 銃声が鳴り響いて私の身体が跳ねる。痛いのか痛くないのかもう手も足も動かない。痙攣を繰り返して目も見えなくなって、闇に閉ざされた。


  ◇◇


 気が付くとベッドの上なんかではなく、広くて立派な庭園にいた。この国の王妃殿下がとりわけ可愛がっておられる末の王女殿下の10歳になる誕生パーティで、王国の近い年の貴族子女が集められてガーデンパーティの最中である。


 側に母親がいて賑やかな会場の隅の方に寄り添うように立っている。私の身長はその母親の胸の辺りまでしかない。どうしてこんなに小さくなっているのか。

 着ているドレスには覚えがあった。8歳の時に買ってもらった一張羅で、この後我が男爵家はどんどん没落してゆく。ドレスどころではなくなったのだ。


 先程のアレは夢なのか。いやそうではない。現実に起こった事だ。まだ頭が焼け付くように痛い。今のこの状態の方が夢に近い。

 私にはその記憶が耐えられなくて「お母様、お母様……」とガタガタ震えながらしがみ付いた。

「まあどうしたの、アンナ。あら熱があるわ」

「どうしたのだ」

 殆んど気を失いかけてぐったりする私を抱えておろおろする母に誰かが声をかけてくれた。どこかで聞いた声のような気がする。でも押し寄せる記憶の洪水に耐えられなくて、私は気を失った。


  ◇◇


 そして今度こそ私は自分のベッドで目を覚ました。高熱が出て切れ切れに浮かんでは消えて行く夢で前世と今世一回目の記憶を思い出した。

 そうだ、私は男に拳銃で撃たれて死ぬ前に一度死んでいた。それはこの世界と違う世界、この世界より少し進んだ世界だった。前々世、私は働いていたような気がするが、それ以上はもう記憶の欠片がてんでんバラバラで分からない。


 そして生まれ変わって、前世の記憶を思い出すこともなく、あの男と心中しようとしたのだ。何と儚く美しい愛の物語か……。


 とんでもない。私は恋に酔ったおバカな娘だったのだ。没落待ったなしな男爵家の令嬢など結婚してくれる相手は誰もいない。親子以上に年の離れた男との結婚かもしくは娼館行きが待ったなしで、既に人生は終わったようなものだった。一緒に死のうと持ち掛けられた相手が王子様なら文句ない。

 そんなおバカな私だった。


 この世界は没落した男爵家の娘には厳しい。それでも何とかして生きる術はある。前々世を思い出した今の私なら言える。何で早く思い出さなかったのよ自分。根性なし。


「アンナお嬢様、お気付きになられたのですね」

「ライザ」

 ここは私の部屋だわ。見慣れた家具がある。相変わらずオンボロね。


 中年女性のライザは侍女で執事の旦那と一緒に男爵家で働いてもらっていたけれど、お給料を払えなくなってとうとう他家に移って貰ったんだわ。まだライザがいる。ということは。私はベッドから起き上がろうとしたがライザに止められた。

「まだ少しお熱がございます。無理をなさってはいけませんよ」

「ライザ、鏡が見たいの」

「まあ、どうなさったんですかね」ライザはブツブツ言いながらそれでも手鏡を持って来てくれた。


 鏡の中の私は子供に戻っている。ダークブラウンの髪にグリーンの瞳の丸顔の子供。まだかろうじてお貴族様だ。没落寸前の男爵家の娘アンナ。それが今の私だ。

「心配はございませんよ。お医者様は知恵熱だろうと仰っていました。お食事を持って来ますね」

「ええ、ありがとう」


 ヤバイ、没落待ったなしだ。前世の記憶で何とかならないかと思っても、記憶はまだ切れ切れで一つも嵌まらないバラバラのジグソーパズルのようだ。料理は得意ではないし、特別な知識も無いようで、焦っても何も浮かばない。アンナは考えるのに向いてない性格かしら。だから、あんな馬鹿な事をしたのだろうか。


 ライザが食事を持って来てくれた。

「消化の良いものになっておりますよ」

「ありがとう、ライザ。私頑張るからね」

「まあどうなさったのですか」

 ライザが笑うけれど、私は笑ってはいられない。

「ところでライザ、今はいつかしら」

「頭でも打ったんですか、お嬢様。今は神聖歴579年2月3日ですよ」

 頭は確かに撃ったわね、あの男が拳銃で。笑えない冗談だわ。

 私たちが死んだのは神聖歴589年1月だったから10年戻っている。

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