第53話 とある大学教師の情熱
生徒を守れませんでした。
あんなに可愛い子たちなのに。
悔しい悔しい悔しい。
夢を与える仕事のはずです。なんで子供たちの夢を守ることができないのでしょうか。
本当は学生の頃から魔工具の可能性を信じていました。
だが、魔工具は取るに足らないものだという風潮が根強かったのです。
既得権益があったから。
魔工具が発達すると困る人がいるから。
魔工具より、薬学を。薬学より魔法陣や魔法を。
周囲の目を気にしてばかりの私は、自分の心を偽って薬学の道を進みました。
親が喜ぶから、他の誰かが喜ぶから。
そんな風に思えたから。
本当は違うことをしたかったのに。
魔工具の未来を信じていたのに。
みんなと一緒に魔工具の価値を笑いました。
みんなの目が怖くて、馬鹿にされるのが嫌で、他人の評価を気にして、自分の夢を偽ったのです。
「私は薬で身近な人を救いたいです」
それは事実でした。
でも何番目かのやりたいことでした。
論理的な結果より、過度に飾り立てた文章による論文を。
自分の情熱を偽って、魔術協会に媚びた卒業論文を書きました。
文字を重ねるたび、自分を嫌いになっていきます。
世界を解明する論理展開の美しさは、過度に飾り立てた文章より美しいと思っていたから。
へらへらと笑って媚びて、魔術教会や偉い人達にすり寄りました。
大人になるってそういうこと。
自分に言い聞かせて。
そう思って、当時の私は全てから逃げました。自分自身からも。
世界を変えると信じた魔工具から目をそらすように、学ぶことをやめ、薬学へと逃げたのです。みんなに人気だからと言う理由で。
本当に学びたいことは、他にあったのに。
教師になり、誰もやりたがらないからと渋々といった風に魔工具の授業に立候補しました。本当はずっと、魔工具に夢を見ていたから、うれしかったのですが。
やる気のない子たちばかりで、嫌になり始めた頃のことです。
天才たちが現れました。
世界を変える天才です。
他人の目を気にしながら、それでも自分の心に正直な、熱い心を持った、どこまでも真っ直ぐな女の子。
破天荒な発想と緻密な実験、そして熱意の天才、シャルロッテ。
情熱の真っ赤な髪と瞳、周りの目を理解しながら、まっすぐ突き進む強い心を持った、冷静な女の子。
基礎の理論を学び積み上げ、破天荒な天才にもついていく、やわらかな感性をもった、天才、セシリア。
もう一度夢を見られると思いました。
悪意ある大人たちから、守る方法を考えればいい、それだけを思っていたのです。
なのに、どうして。
頭が真っ白になりました。
大人なのに、何もできませんでした。
どうしていいかわからなくて、魔術協会の監査が入る前に、魔工具の魔術回路を破壊し、論文を切り刻み、データを燃やすことしか思いつきませんでした。
誰かに利用される前に。
あの子たちの努力だけは不正に利用させてはならない。
それしか考えられませんでした。
シャルロッテ様は大学を辞めてしまいました。
結局何も守ることが出来なかったのです。
涙があふれます。
自分の無能さにも、この世界の薄汚さにも。
何より、生徒の夢を奪ってしまったことが悲しかったです。
生徒に同じ気持ちを味合わせることが、悔しくて仕方がなかったです。
傷ついたシャルの顔を思い出す。
苦しそうにシャルの顔を叩いたセシリアを思い出す。
どうして。
あの場をおさめるのは大人である自分しかいなかったです。
いいえ、彼女たちを守ると決めていたはずです。
ところが結果はどうだ。
ことごとく自分が嫌いになりました。
無能で、生きている価値もないクズが、私エイラ・ガレノアです。
全てを忘れたくて、好きでもないお酒を飲んで飲んで飲みまくりました。
ところがお酒が強かったようです。全てを覚えています。
逃げてばかりで、お酒にすら付き合いきれないと言われた人間が、私エイラです。
飲み歩き飲み歩き、何やら眩しいほどに賑やかな場所に着きました。
どこかあたたかくて、笑顔で溢れる場所です。
クズで愚図な私も、ここでなら……。
でもダメでした。
美味しい料理を食べると涙が止まらなくて。
だから好きでもないお酒を飲んで飲んで飲みまくりました。
そしたら店主が、暖かいスープをくれました。
心が疲れていたのかもしれません。
人生で一番のあたたかさを感じました。
そのスープは愛を感じる、やさしい味で。
だから気持ちが溢れてしまって。
つい愚痴をこぼしてしまって。
知らない人が同じテーブルで酒を飲み始めて。
なぜか、シャイロックとヴァイオレットの人達が喧嘩していて。
なんででしょう。
でも、すごくたのしそうに見えました。
互いが本音だからでしょうか。
性根が好い人たちだからでしょうか。
互いの言い分を理解しているからでしょうか。
それとも、似た者同士だからでしょうか。
喧嘩しているのに楽しそうなのが、訳がわからなくて、幸せな夢を見ているようで。
もしかしたらシャルロッテ様と、セシリア様と、ネルさんとクラリッサさんと、もう一度……また情熱を咲かせることができるかもしれないって思ってしまって……。
お酒を美味しく感じました。
生まれて初めて思いました。
だから、結局浴びるように飲みました。
チュンチュン。
そして朝。
見知らぬベッドで起きました。
終わった。
服が上等な部屋着になっています。
酔い潰れてお持ち帰りです。
終わった。
華美ではないが、どこか美しい家具の並ぶ、広い部屋のベッドの上です。
どこかの金持ちの。
完全に終わった。
部屋の扉が開け放たれました。
それは慣れ親しんだ開け方で。
可愛らしく悲鳴を上げたはずですが、喉が酒焼で野太い悲鳴になりました。
恥の上塗りというやつです。
金髪の少女が小首をかしげています。
「ぅ?」
お持ち帰りしてくれた金持ちはシャルロッテ様でした。
さらさらな金髪に碧眼、お人形のような整った顔。
いつものように、前と変わらず、右手を高く上げました。
「エイラ先生っ!」
これは夢でしょうか?
まだ私を先生と呼んでくれるなんて、そんな都合の良いことがあるわけがありません。
だってシャルロッテ様は大学を辞めたのですから。
何一つ、教師としての役目を果たしたことはないのですから。
私と彼女の関係はもう壊れているはずで。
「大学辞めてくださいっ!」
「……え?」
「一緒にっ! 研究したいっ! エイラ先生とっ!」
こんな幸せがあっても良いのでしょうか?
私はエイラなんですよ、神様。
幸せにする相手、間違えてませんか?
もう一度、人生、やり直す機会をくれるのですか?
夢を、追いかけても、いいのですか?
情熱の花を咲かせても、良いのですか?
私、遠慮なんてしませんよ?
後悔しても、しりませんよ?
だって、私の本当の夢はっ。
ずっと心の中で燻らせていた、本当の夢はっ。
「エイラ先生っ! 一緒に! 魔工具の研究をっ!」
「もちろん……もちろんですっ! シャルロッテ様っ!」
涙が溢れてとまりません。
きっとまた皆んなで情熱を咲かせることができるはずだから。
落ちぶれて、呑んで呑んで呑まれて酒に溺れて、どこまでも堕ちるつもりだったのに、私はうつくしい希望の朝を迎えました。
私は、夢を追いかける勇気に満ち満ちています。
……。
「チュンチュン、みんな、朝が来たよ」
すがすがしい朝だ。
俺は横たわるみんなに声をかける。
ここは街角勇者亭……。
ではない。
街角ゲロまみれ亭。
勇者はどこだ。
勇者ならば名乗りを上げろ。
おぉ、どうしたことか。
現実に翻弄される、ゲロまみれの大人しかいないぞ。
とんでもない臭いがしやがる。
うすぎたねぇ大人の臭いだ。
でも嘘偽りない大人の姿でもある。
「我こそ勇者と思うものはゲロを吐け」
おえええええ。
おえ、おえ、おええええ。
地べたに這いずりながら必死に生きる大人もまた、現実に立ち向かう勇者なのだ。
途中参加したライアンや花屋のドランも、すやすやと夢の中だ。
だが時折思い出したようにゲロを吐く。
きっと勇者だからだ。
知り合いどもが、俺の街角勇者亭をゲロで彩っていく。
こんなこと頼んでない。
これが俺の夢の果て。
俺の夢はゲロまみれになることではない。
こんな結果は望んでいなかった。
だが悔しいかな。嫌いではなかった。
そんな俺も、酸いも甘いも知っている、おっさんだからだ。
誰も聞いてないからこそ、心中を声に出す。
これは理不尽な世界への、俺の取るに足らない街角の宣戦布告。
「
若者には大きな志を持ってほしい。
大人には大きな志を支えて欲しい。
なんて冗談。
大人も子供も関係ない。
皆で志を持てばいい。
これは夢の果てではない。
夢の始まりだ。
俺にも夢がある。
全てをかけて叶えたい夢だ。
この世界を変えるほどの、俺の身に余る大きな夢だ。
」
幼い頃からの夢。
おっさんになっても俺は大志を抱き続けている。
人には呆れられるかもしれない変な夢だ。
だが、俺にとって大事な夢。
不幸にまみれたあの人の、笑顔に欠かせないことだから。
あの人の笑顔を、理不尽な世界から奪い続けろ、俺の同志達よ。
おえええええ。
おえええええ。
理不尽な世界への宣戦布告に相応しい掛け声が、街角に満ちている。
「朝だよみんな。起きてみんな。どうして返事がゲロばかりなの」
おえええええ。
おえええええ。
おえ、おえ、おええええ。
この世の地獄。
辛いものを吐き出して、また現実と戦おう、大人たち。
「街角勇者ゲロまみれ亭にようこそ」
「エルさん……これは、いったい」
地獄の光景に呆然とするユキナに俺の自慢の屋台を紹介する。
「休みだっ! と言って、この子達飛び出して行ったのですが帰ってこなくて……」
ユキナの視線の先には赤毛のネイとメイドたち。
ネイが横たわったまま言った。
「メイド長すみません……ハインリッヒはなかなかの気概があるやつでっ……」
とネイはやり切った顔を真っ青にしながら、カッコ良いセリフを吐いているが、吐くべきではないゲロまで漏らしている。
ネイはゲロにまみれていた。
「ですが……」
とネイは震える手でゲロをふき取る。
「「全身全霊でやってやりましたよ」」
と二人のメイドも顔を真っ青に努力を報告している。
俺の気のせいでなければ飲んでは吐いてを繰り返す、無限ゲロまみれ状態であった。
人としての尊厳を失っていた。
確かに全身全霊でやっちまってるな。
現在進行形で。
酔っ払いの身内を見る目って、皆んな同じだよな。
ユキナを見て思った。
「……帰りますよ」
三人は冷たい瞳のメイド長の言葉に立とうとしたが、千鳥足でフラフラとして、すってんころりん。
おえええええ。
ゲロを吐いた。
「「「むり、です」」」
ユキナが絶対零度の瞳でメイド達を見下ろしている。
そして俺を見た。見ないでくれ。
彼女たちを抱えて帰ってもらわなきゃ困る。
「それとエイラ先生だ」
ゲロを吐きながら、幸せそうに寝ている女性を指差した。
「連れて帰ってくれ。きっとシャルが喜ぶ」
はぁ、とため息をつき、ゲロで汚れるのも気にせず、ユキナはエイラを抱えた。
見た目と違ってずいぶん力持ちですね。
少し怖い。
「あなたたちは自力で帰ってきなさい」
「「「はいっ」」」
メイドたちは満足そうな顔をした。
称賛は待っていないぞ。
君たちを迎えるのは後悔だけだ。
朝日の中を懸命に千鳥足で歩く勇者たちに合掌。
さて俺も片付けをするか。
近隣住民の迷惑になるからな。
夢の時間は終わり。
現実と戦おう勇者たち。
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