第58話 シャルロッテのちょこれーと
「いつも、いつも、ありがとうっ! 今までもっ! そして、これからもっ!」
シャルの声がヴァイオレットの屋敷に飛ぶように跳ねている。
シャルは母親、ユキナ、エイラを含めたメイド達にチョコを配ってまわっていた。
一人一人の好みに合わせたチョコレート。甘さを控えたり、甘さを足したり、ドライフルーツの酸味を足したり、焼き菓子を加えたり、ナッツを閉じ込めたり……。
メイド達一人一人に、世界で唯一のチョコレートを作って渡していた。
堂々と世界に売り出すためのチョコレートを作る振りをしながら、実はみんなの好みに合わせたチョコレートを作っていたのだ。彼女たちの反応を伺いながら。
それは何処かの誰かのようなやり方で。
正々堂々と。けれど劇的な効果を狙うやり方。
そしてその動機は、誰かを想う心で。
だからこそ、うれしいと思わずにはいられない、サプライズ。
そんなサプライズを受けた、『今日のシャル様』会の面々は崩れ落ちて涙を流す。
その喜び方は様々だが、皆、大層喜んでいた。
この日、シャルの嬉しそうな足取りの後には、メイド達の涙の染みが出来ていたという。メイドの涙の染みの跡を追えば、それがシャルの歩いた道だった。少し歩けばメイドが泣いている、また歩けば別のメイドが泣いている。
通称、ヴァイオレット家のメイド狩り事件である。
メイド達の中で、シャルを語る上で欠かせない事件となった。
……。
「ありがとうっ! シャルロッテ様っ!」
「ありがとうございます〜シャルロッテ様」
ネルとクラリッサはシャルにチョコをもらって満面の笑みを浮かべた。
そして口に入れて、幸せそうな表情を作る。
「こちらこそっありがとうだっ! そしてこれからもよろしくっねっ!」
けれど一人、その光景を寂しそうに見る女の子がいた。セシリアだ。
「あの、シャル様……私の……」
不安そうに上目遣いでシャルを見る。
嫌われてしまったのではないか。
シャルが意地悪をするわけがないから。
彼女だけがチョコを貰えていない。
カーターですら貰ったと自慢していたのに。
セシリアは今にも泣きそうだ。
その珍しい光景にネルとクラリッサのテンションは上がる。遠慮がちな子供のような、欲しいけれど欲しいと言えない、いじらしい少女の顔だったから。
シャルが少し頬を膨らませている。
何かが気に食わないから。
「あ、あの、シャル様、意地悪は、嫌です……」
「……シャルちゃん」
シャルはじぃっとセシリアを見つめる。
昔のように呼んで欲しかったから。
セシリアは顔を真っ赤にした。
髪と瞳の色に負けないくらい真っ赤に。
赤い色は悲しい色ではない。
情熱の赤、恋の赤、愛の赤。
そして……。
「し、シャルちゃん。チョコ、くださいっ」
赤い前髪を押さえて、目を少しそらしながらも上目遣いで、頬を真っ赤にして。
セシリアのその表情は……。
彼女だけが見ることができないその表情は。
赤い色の、魅力で溢れていた。
シャルはセシリアの大好きな、あまいあまい、真っ白なチョコレートを渡す。
「お菓子同盟っ! セシリー、大好きだよっ!」
とシャルは次の場所へと駆けて行く。
まだチョコを渡したい相手がいたから。
残されたのは、しあわせそうに白いチョコレートを青い空に掲げる少女と、どうやってそんな少女を弄ろうかと、にやにやと笑みを浮かべる幼馴染だった。
「セシリアっ!」
「セシリア〜」
二人は大好きな幼馴染に抱き着いて言った。
「「ホワイトチョコレート、食べさせてっ!」」
三人で甘いチョコレートを食べ、幼い頃のように、好きなお菓子について会話の華を咲かせていく。
……。
――エル視点――
「エル君っ! うううっ! リッタぁっ!」
シャルからチョコをもらった。
俺もリッタも。
だけど大きさも包みの美しさもリッタのものとは違う。
ふんふんとシャルは嬉しそうだ。
開けてみろと言わんばかりに、目を輝かせている。
リッタが美しい包みを開ける。
中からはミルクチョコレート。
圧倒的な完成度のチョコレートだ。
リッタはチョコの作法など知らないとばかりに、かぶりつく。けれど小さな口で、はむはむと。
「うめぇですっ! シャルロッテのちょこれーと、最高じゃねぇーですかっ!」
俺の作った物以外はいらないと言っていたリッタが、うれしそうに食べている。
その光景に俺は、にやける顔をおさえることができない。
俺は異世界のレシピを知っている。
だが、すべての料理を究めることはできていない。
レシピに沿って、異世界の料理を作ることができるだけだから。
当然だ。料理の道は甘くはない。
異世界の料理全てを究めるには、俺一人では到底無理だ。
俺の想像をはるかに超えた早さで、シャルはチョコレートの高みに近づいていっている。彼女が人生をかけてくれたおかげで。
それが、たまらなく嬉しい。
俺の同志の一人目だから。いつか世界に、シャルのような人を増やしていきたい。
しあわせそうなリッタの顔を見て、心から思う。
彼女の寿命は長いから。
心から、願っている。
「エル君……エル君も」
シャルが不安げな顔で俺を見上げていた。
俺のは大きくて不恰好な包みだ。
その包みを開ける。
中のチョコも不恰好で。
ところどころ混ざりきっておらず、滑らかでない部分がある。
何も知らない人が見たら、このチョコよりも、うつくしい見た目のチョコを選ぶかもしれない。だが、俺はこのチョコの価値を知っていた。
シャルを見ると頬を赤くしている。
俺は彼女の捧げてくれた時間に感謝を抱く。
いつか俺が家で、シャルに教えたチョコと同じだったから。
彼女は全ての工程を手作りしたのだろう。
カカオ豆を選定し、洗い、
その果てのない工程を知っているから。
よく見れば、少し目の下にクマがあった。
作るのは大変だったろうに。
一口食べる。
渋みと苦みが多く残る、おいしいチョコレートだ。
それは世界に一つだけのチョコの味で。
彼女の努力の味だった。
「シャル。辛い思いをさせてごめんな。本当によく頑張った。本当にすごいことだ」
「うううううっ」
ぶんぶんと首を横に振り、シャルは喜んでいる。頬を真っ赤にさせて。
そして、とことこと10歩ほど距離をあけた。そして俺に正対、むんっと楽しそうな笑みを浮かべて、拳をぎゅっぎゅっと握る。
地面を踏み抜く体勢を作った。
嫌な予感が頭をよぎる。
「おい、シャルやめろよっ。俺はおっさんだっ」
「エル君っ! いくぞぉっ!」
掛け声と共に全力で地面を蹴り出し、だだだっと走って……。
そして、俺に向かい、飛び込んだ。
腹に衝撃を感じながらも何とか受け止める。
信頼の全身全霊の突撃。
受け止めると信じて疑わない行為で。
胸の中で、さらさらな金髪がもぞもぞと動く。
そして懐から顔を出す。
全力でぶつかってきたからか、少しおでこが赤くなっていた。
うつくしい青い瞳に見つめられる。
悪戯な笑みを浮かべて。
真っ白な頬を真っ赤に染めて。
シャルの身体はあたたかい。
「エル君っ! いつも、いっつも! ありがとうっだっ! 大好きっだよっ!」
それはきっと家族に向ける親愛の情で。
真っ直ぐな好意に笑ってしまう。
彼女の髪からは、どこまでもやさしい、ちょこれーとの甘い香りがした。
……。
――ユキナ視点――
「お母様っ! ユキナっ! 行ってくるねっ!」
奥様はすました顔で、シャル様からチョコを受け取りました。
シャル様が部屋から出ていきます。
これからみんなに幸せを届けに行くのでしょう。
時折、メイド達のシャル様の名前を叫ぶ、涙にぬれた声が響いてきます。
奥様は固まった状態で、チョコの包みを見つめていました。
ずいぶんと時間が経ってから、ようやく包みからチョコレートを取り出します。
板チョコを一口サイズに割りました。
ぱきっと小気味よい音が部屋に響きます。
匂いをゆっくりと味わうように楽しみます。
少し離れた私ですら感じられるほどの、やさしいチョコの香りで。
奥様は、まるで世界で一番うつくしい宝石を見るように、そのチョコの断面を眺めていました。
そして、チョコを口の中に入れます。
目をつぶり、じっくりとチョコを味わい、噛むことなく溶けていくことを感じて、奥様の頬に涙が一筋流れました。
奥様は膝から崩れ落ちました。
ドレスのまま、床に座り込む、一生に一度見られるかどうかという珍しい光景です。
奥様の号泣を見るのは初めてで。
ただただ、涙を流しています。
そして、奥様は私に縋りつくように泣き始めました。
「ユキナぁ……うううう、私の娘はぁ……ううううう、私のシャルはぁ……自慢のぉ……自慢のぉっ!」
よっぽどうれしかったのでしょう。
不敬なのですが、私は奥様を抱きしめました。
シャル様にそっくりだったから。
いつかのシャル様のように、奥様は赤子のように泣いています。
血は争えないのでしょう。
さすがヴァイオレット家の血筋と思わずにいられません。
私の目頭も熱くなっていきます。
頬に涙が伝る冷たい感触があります。
ぽたぽた、ぽたぽたと床に染みを作っていきます。
一人の少女の才能を、世界は手のひらを返すように放っておかないのでしょうが、きっとシャル様は変わらないのでしょう。
小さな胸に秘めた、大きな情熱の花は、きっと咲き続けていきます。
これこそが私の望んだ物語の結末です。
私が信じた、シャル様の情熱です。
いつだって世界を変えるのは、人の強い気持ちなのですから。
シャル様の『好き』は世界を変えます。
シャルロッテのちょこれーと。
たかがお菓子。されどお菓子。
彼女のチョコレートは苦しみと悲しみと、喜びと。
……溢れんばかりの情熱で、出来ています。
どうぞ、世界のみなさん。
どこまでも、やさしくて甘いチョコレートに笑顔を。
それこそが、シャルロッテの望む、結末なのですから。
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