第48話 しあわせのちょこれーと開発②


 何度も何度もチョコづくりを繰り返し、気づけば冬が過ぎ去り、春の訪れを感じる気候になった。

 チョコの頂きは、依然として見えない。

 だが、成果は着実に表れ、十分においしいチョコを製作できるようになっていた。


「もう十分に美味しいけどなぁっ!」

 とネルがチョコを食べ、八重歯を見せて言った。

「シャルロッテ様は~まだ納得いってないみたいですねぇ~何か気になること、あるんですか~」


「脂分が浮き出ちゃうっ。少しざらつきが……残ってる気がする」

「言われてみれば、少しざらつきあるかもっ?」


「この白い点、白い線、脂分だと思う。カカオバター……」

 シャルが指さすチョコには、白い点々や線が所々にあった。

 セシリアが応えた。


「そういえば、エル様はカカオ豆の脂分について言及していましたわね」

「……ぅ? セシリー、元気ない? 疲れているなら、休む、大事っ」

 

 シャルがセシリアの顔を覗き込んで言う。

「い、いえ……」とセシリアが距離を取る。

 そらした視線の先で、動かした状態で忘れていた摩砕まさいの存在に気づいた。

「あ、シャル様、こちらの魔工具起動した状態で忘れていますわ……え?」


 セシリアは滑らかなチョコレートを目の当たりにした。

 非常にきめ細やかで、液体の、宝石のような光沢。

 目で見ただけでは粒の存在は見られない。


 その美しさに見とれる。

 あまりに滑らかなチョコレートだったから。

 完全な液体のようで。

 あわてて魔工具を止めた。


「セシリア様っ! どうしたーのっ!」

 ネルがひょこっと顔出す。

 セシリアが無言でチョコレートを掬ってみせた。

 そして板チョコに固める容器に垂らしていく。

「えっ!? み、みんなっ! ちょっと来てっ!」

 ネルの驚きの声に皆、集まった。


「せ、セシリーっ!? なに!? これ!」

 シャルが美しいチョコレートにぴょんぴょん飛び跳ねる。


「わ、わかりませんわ。昨日から起動した状態で忘れていた摩砕まさい作業の魔工具が……きっと、要因かと思いますが」

 セシリアが何度もチョコレートを掬って、垂らして見せる。

「全然……粒が、ない。これ、すごいことだっ。今までっ見たことないっ」


 魔工具の中のチョコレートを全て、板チョコに固める容器に垂らしていった。

 そのどれもが粒を確認することが出来ない。

「色々な温度と時間で、固めて見ますわ」

「うんっ!」


 ネルがタタッとチョコを抱えて冷凍ボックスとの間を行き来する。

「他の摩砕まさいの魔工具はっ、しばらくっ、起動した状態にしておくっ!」

 シャルの声に皆頷いた。


……。


 シャルは固めたチョコを手に取る。

 匂いは、すばらしい。見た目も宝石のような光沢。手に持っても、すぐには溶けない。割ると、パキっと小気味の良い音が鳴った。その音が手から伝わり、背骨を駆け抜けていくかのようで、背筋がぞくぞくとした。


「今の音なにっ!? チョコってこんな音……するの?」

 ネルの声にシャルがこくこくうなずく。


 セシリアが他のチョコの出来上がりを眺めて言った。

 興奮しているようで、宝物を前にした子供のように瞳孔を開いている。


「今までにない出来上がりですわね! 粒のざらつきは見られませんし、白い点や線がないものもありますわ」

「このチョコは~適切な温度で固めれば~脂肪分が浮き出ないのですね~」


 シャルが割ったチョコをおそるおそる口に含んだ。

 噛む必要がなかった。

 舌の上でゆっくりと溶けていくのを感じる。甘味が広がり、口の中はチョコの魅惑の香りが満たされていく。

 シャルはぱたぱたと腕を動かす。

 うれしかった。うれし過ぎて、声が出ないのだ。


 その様子に我慢ならないとネルが、セシリアが、クラリッサがチョコに手を伸ばす。繊細でうつくしい、小気味よい、チョコの割れる音が研究室に響く。

 口に入れ、三者三様のしあわせな表情を作った。

 濃厚でありながら、やわらかな味。


 それは異世界で精錬コンチングと呼ばれる工程……チョコレートの四大発明の一つだった。


「もしかしたら……」

 セシリアの言葉に皆顔を見合わせる。


「チョコレートは撹拌し続ければし続けるほど……」

「なめらかになるっ!」


 シャルが拳を突き上げた。

「全員でっ、長時間稼働のっ、最適解を模索っ!」

「えぇ、シャル様! 変化点の発見ですわね! 最短効率の、最高の時間の発見!」

 シャルの声に、我慢ならないとばかりにセシリアが声をあげる。

 貴族としての顔を忘れた、幼い頃のようなセシリアの表情に、ネルもクラリッサも笑顔を浮かべた。貴族としての仮面を砕くように、お菓子好きの情熱が内から湧き出てきたかのようで。


 どれだけの時間を回すと、くちどけがよくなるのか。

 ……くちどけの良さが向上しなくなるまでの過不足のない時間を探していく。


「同時にっ! 最高の甘さもっ! 味も見つけるっ!」

 シャルの言葉に皆理解した。

 チョコレートの開発の……一つの頂きが見えたことに。

 いよいよ、糖を加える量の調整、好みの味を探る段階に入った。

 世界に唯一無二のチョコレート開発の始まりだ。


……

 

 さらに一月が経ち、思い通りのチョコレートを狙ったように作ることができるようになっていた。

 三日間起動を継続すると、素晴らしいチョコレートが出来上がった。

 だが、酸味や渋みの好みでは一日起動で丁度良いと感じることが分かった。

 バランスや用途に合わせ、チョコレートを作っていく必要があった。


 チョコレート作りはあまりに繊細で、難しく、奥が深くて。

「ちょこれーとっおもしろいっ」

 ノートには既にびっしりと文字が書き込まれている。

 何冊も何冊も使い倒し、それでもまだ、書き込む必要があった。

 そのすべてが宝物で、シャルの頭の中にはその結果すべてが入っていた。

 ノートが視界に入るたび、シャルの頬は真っ赤になり、そのうれしさが溢れているようだ。思い出の、宝物のノート。


 けど、セシリアがいよいよ元気がなかった。

 そしてセシリアがシャイロック商会のガイウスと、度々会話している所を見かけていた。きっとガイウスのせいだ。シャルはそう思う。


 ハインリッヒと距離を置いた方が良い、とユキナに言われて、少し喧嘩になった。

 腹が立ち過ぎて、むぅっ、と部屋に引きこもってしまったので、その理由はわからない。意味もなくユキナはそんなことを言わないことに気づいていた。


 反省だ。

 もしかしたらセシリアが元気がないこともわかるかもしれない。

 それにユキナの悲しそうな顔を思い出すと胸が痛いから。

 帰ったら謝って、理由を聞こう。


 シャルがセシリアに声をかけようと考えたところで、エイラが青ざめた顔でふらふらと研究室に入ってきた。血の気が引いている。

「エイラ先生っ、どうしたのっ?」

 シャルはとことこ近づき手をとる。


「シャルロッテ様……すみません、研究は中止、になるかもしれません」

「……え? な、なんでっ?」


 シャルは訳が分からなかった。

「大学に圧力がかかってるみたいで。詳しくは私にも伝えられなかったのですが。調べてみた所、おそらくシャイロック商会から研究の盗作疑惑を、それに魔術教会から魔工具の精査も……」

「とうさく? せいさ? ど、どういう意味っ。わからないっ。わかりやすくっ。教えてっ。エイラ先生っ」


「大学でチョコレート作りの噂が広まっているのはシャルロッテ様もご存じと思います」

「う、うん。たまに聞かれる」


「シャイロック商会も食べるチョコレートの開発をしているらしいのです。シャルロッテ様がその製法を盗んでいると主張しているようで。それに魔術教会は魔道具を魔工具と偽っているのでは、と。魔術回路を精査させろと」


 魔道具はマジックパックのような、現代の魔術体系では実現不可能な、過去の魔法文明の遺物だ。

 魔工具は現代人が作り出すものであり、両者は明確に区別されていた。

「製法を盗むなんてっそんなことしないっ! それに魔工具だって、一からっ!」


 シャルがエイラに向かって叫んだ。

 そしてみんなの方を見る。

「みんなでっ一生懸命っ、一から導き出したものだっ! みんなにったくさんたくさんっ協力してもらったっ! 時間も知識も技術もっ! 不正なんてっ何一つしてないっ! そんなくだらないことっしないっ!」


 だが、ネルもクラリッサもセシリアも、シャルを真っすぐ見返すことはなかった。

「し、してないよっ本当だよっ」

 最初は自分が疑われているとシャルは思った。

 けど様子が違う。


 特にセシリアは完全に目を伏せている。きれいな赤い髪でその表情は見えない。

 ようやくシャルも違和感に気づく。

 無意識に考えないようにしてきた可能性で。

 それは信じたくないもので。


 セシリアとガイウスが一緒にいた。

 ハインリッヒとシャイロックだ。

 ユキナからハインリッヒと距離を置けと言われていた。

 大学内ではハインリッヒとシャイロックの政略結婚の噂が陰で飛び交っていて。

 くだらない噂だと信じてなかった。

 そんなかわいそうな話、信じたくなかったから。

 自分が疑われている方がまだ、しあわせだったかもしれない。

「せ、セシリー?」


 顔をあげたセシリアの赤い瞳がシャルを真っすぐ見返す。

 決意の籠った強い瞳で。

「盗作をして何が悪いのですか?」

 相対する敵と立ち向かう物語の悪役のような、意思の籠った瞳だった。

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