第44話 魔工具のための魔法(シャルロッテ)
シャルは朝も早くから、タタタッと大学内を駆けていた。時間も惜しかったから縦ロールも巻いていない。
早く研究室で実験をしたかったから。
研究室に向かう途中に真っ赤な髪の幼馴染セシリア・ハインリッヒを見つけた。
「セシリ……」
声をかけようと思ったのだが、隣にシャイロック商会のガイウスがいた。
「なんでっ――」
と止まろうとしたが無理だった。
勢い余って壁にぶつかって、しこたま額を打ってしまう。おでこを真っ赤にしたまま、「隠れなきゃっ」とつぶやきシャルは死角の柱に滑り込む。
隠れてからあまりの痛さに独り悶絶する。
涙に滲む視界でセシリアを捉えると、先週のテスト結果が張り出されていた場所。
朝早いから彼らしかいない。
セシリアがガイウスに一方的に捲し立てられているように見えた。
「鼻毛、嫌い……」
大学の数式のテストで一番を取った際に、難癖をつけられて以来、しつこく嫌がらせをしてくるから。
関わりたくないと助けたいの狭間で悩んでいる間に、二人が別れた。
残されたセシリアはテスト結果を見ていて、真っ赤な長い髪で表情は見えないが、拳を握っているように見えた。
シャルは音もなく近づく。
視線の先の順位はほぼセシリアが1位。
セシリアが2位の科目はシャルが1位だった。二科目だけだが。
ガイウスは10位圏外のようで載っていない。
セシリアはすごいっとシャルは思う。
そして魔法陣の科目がトップであることに気づいた。
一緒に魔工具の開発できたら、いいなって思う。
セシリアはお菓子が大好きだから。
一緒にお菓子道を進めたらきっと楽しい。
「せ、セシリー。お、おはよっ」
少し驚いたようだったが、セシリアは笑顔を浮かべた。
「おはようございます。シャル様。……ごめんなさい。もう行きますね」
「え、あ、うんっ」
なぜかセシリアは避けるようにどこかへと向かってしまった。
お菓子同盟……とシャルはつぶやく。
「誘えなかったっ。次こそっ」
シャルは、幼馴染のセシリアと誓った、小さい頃の約束をまだ覚えている。
……。
「エイラ先生!」
シャルは研究室のドアをあけ放った。
シャルの登場に慣れたのか、エイラは驚いた顔を作ることもなく、やさしい笑みを浮かべている。
でも、その目の下にはクマがあった。
ここ最近のエイラはいつもそうだ。
「シャルロッテ様、今日は早いですね」
「ぅぇ? 先生、寝てない? 体調? わるい?」
「そんなことありませんよ。今日も元気いっぱいです」
と笑みを浮かべたエイラに安心する。
シャルはぱたぱたと腕を振った。
「魔術回路の接点を構成する魔法陣! 学びたい! どうしたらいいですか!?」
とてつもないやる気に満ち溢れていた。
エル君のチョコのお菓子を食べた。
夢のようなおいしさで。
でも皆に馬鹿にされて、怖くて、魔工具作りを諦めそうになった。
けど、エル君の顔を見て思い出した。
自分が何をやりたいのかを。
どれだけチョコがすばらしいお菓子なのかを。
いつだっておいしいお菓子は人を幸せにすることを、思い出したのだ。
だから母様にも気持ちを伝えることができた。
それはすごいことだ。
厳しいことを言われたけど、研究することを後押ししてくれた。
謝った方がいいとアナベル姉様に言われたけどその理由が分からなかった。
だってダメなら禁止したはずだから。
母様は努力をしろと言った。
何かを成すまでヴァイオレットを名乗るなと言われただけ。
頑張れ頑張れと言っているように聞こえていた。
だからシャルはやる気に満ち溢れている。
今思えば、エル君のチョコを食べた時、母様は無言で完食していた。
いつもなら食べ方を注意するのに。
その母様が味わうように食べていたのだ。
やっぱりお菓子は、みなをしあわせにする。
今度は自分で作ったちょこれーとで母様を笑顔にしたい。
「魔法陣の研究している先生を紹介しますね。ごめんなさい、シャルロッテ様。私の専門は薬学だから……学生レベルのことなら答えられるのですが。一から魔法陣を開発するのは荷が重くて」
シャルは笑顔で顔を横に振る。
「けど、私も悔しいから勉強しますね。データの取得もこれだけ進んでいるのよ」
エイラは、シャルのデータ取得を参考にフォーマットを作り、実験を繰り返した。丁寧に描かれた結果が示されている。
整然とした、公平な実験によるデータの羅列はうつくしかった。
「先生っ!」
パタパタと腕を動かす。
「よろこんでもらえたみたいでうれしいですよ」
「あり、ありがとうっ! ちょこれーとっ! 一緒にっ! うぅ!」
……。
たのもぅー。
心の中で叫び、実際には、ささっと忍び込むように、エイラから紹介された魔法陣の研究室に入った。話を通してくれているはずだから無言でいいのだ。挨拶もせずに私十年目よという玄人感と、何食わぬ顔で学ぶ作戦。
普段ならこんなに恐ろしいことはしないが、夢のためだ。
目立たないとこ、目立たないとこ、と思いながら、座る席を探す。
せ、セシリー。
幸運の真っ赤な髪っ。
大好きな幼馴染の色っ。
真っ赤な髪の幼馴染を見つけて、転がるように彼女の席の隣に座った。
セシリアは一瞬引き攣った笑みを作った気がした。だがそれはすぐのことで。美人な顔をやわらかな笑みに変える。
「あら? シャル様。どうされたの?」
「魔法陣っ。学びたいっ。セシリー、なんでっ?」
「なんでってわたくし、魔法陣と魔術言語学を学べるこの研究室に所属していますの」
シャルは運命だと思った。
「せ、セシリー、一緒にっ料理の魔工具っ作ろうっ」
「料理? 魔工具……ですの? わたくし、魔工具は専門外ですが……」
シャルがふんふんと説明する。
紙に図をざざーと描いていく。
主の魔力供給源のクリスタル、魔術回路、その先に複数の魔法陣。
そして他にもいくつかクリスタルを描く。その先は、『?』と書かれた魔法陣。
だが、主の魔術回路はどの魔法陣にもつながっていない。
『?』の魔法陣に、注釈で、これとっても欲しいとシャルが強く描く。
「シャル様……それではこちらの魔法陣は起動しませんわ」
「そうっ……うぅ! そうなのっ! セシリーっ!」
間違いを指摘したというのに、シャルは身を乗り出す。
「このクリスタル触るとこっちつながってっ。こっちのクリスタル触ると、こっちにつながってっ……魔術回路を構成するためのっ。可変接点を作る魔法陣ほしいっ……できる!?」
「魔術回路のための、魔法陣、ですの……?」
「相性の悪い魔法陣、組み合わせると、必要魔力、増大っ。だから魔工具ダメっ。簡単なことしか、できないっ。それに触ってる間しか動かないっ。不便っ。でもっ。普段切り離されてればっ、バイパスで魔力供給を自己保持すればっ……」
「……複雑な魔工具を実現できる?」
囁くようなセシリアの言葉にシャルがこくこくと頷く。
「主のクリスタルと別にっ。魔術回路を構成するための小さなクリスタルっ。こっち触ると、こっちの風の魔法陣っ。こっち触ると、火の魔法陣っ。接点がくっつく魔法陣、離れる魔法陣、バイパスの保持で触ってなくても魔力供給が続く魔法陣っ……できる!?」
セシリアが顎に、白く長い指をあてる。
目が大きく見開き、ぶつぶつと何かつぶやいていく。やがて。
「……できる、と思いますわ」
シャルが諸手を挙げて喜ぶ。
「そもそも魔法陣は光の魔法で描くことが可能ですから。クリスタミス……微細なクリスタルの粉末で魔法陣を描きますが、それは魔力伝導性がいいから。魔力そのものである光の魔法陣で接点を代用できない道理はありません。光と相性の悪い魔法は使えないことになりますが。その場合は闇の魔法で接点構成し……」
「うぅっ。セシリーっ! い、一緒にっ、料理の魔工具っ!」
周りの注目が集まることもお構いなしに、喜びを爆発させる。
「し、シャル様……」
セシリアが困ったような笑みを浮かべて声をひそめる。
シャルが目的を説明する。
するとセシリアは目を伏せて考えた。
シャルは待てをされた犬のように、挙動に注視する。
セシリアは周囲に目を向けて……。
最後にシャルを見た。
「掛け持ちで構わないのでしたら……」
シャルは大好きな幼馴染に抱き着いた。
大学での二人目の協力者が、大好きなお菓子同盟の幼馴染だったからうれしかったのだ。
「あり、ありがとうっ!」
シャルはこの研究室にはもう用はないとばかりに、転がるように次の場所へと向かう。タダダッシュ。
チョコレートを作るためにはまだまだやらなければならないことがあったから。
まだスタート地点にすら立っていないのだ。
研究室を飛び出し、校舎外へと出て、箒に跨り、ずばばっと鍛治職見習いのいる研究棟に向かうため、ギュンギュン青空に舞い上がった。
……。
セシリアはシャルが飛び出すように出て行く様子を見送った。
彼女の描いた図を眺める。
シンプルにして、理論に裏打ちされた論理展開に基づく魔術回路。
奇才の発想。
魔法陣を発動するための魔術回路ではなく、魔術回路を構成するための魔法陣。
相性の悪い魔法陣の組み合わせを切り離し、可変な接点を魔法で構成し、相性の悪い物を一つの魔工具に共存させるという発想。
魔術回路の接点の構成をあえて切り離し、魔法陣を用いて可変的に繋げるという前例は聞いたことがない。
もし一つの魔工具に複数の魔法陣が共存できるのなら、それは世界の革命だ。
戦いも暮らしも何もかもが変わる可能性を秘めているとセシリアは思う。
それに魔力供給を保持する回路。
人が触るのは最初だけ。
周囲を見ると、研究室の生徒達がセシリアを見ていた。
ひそひそと噂話をするように。
セシリアはシャルが描いた図を折りたたみ、バッグに隠した。
私はどうすれば……。
一緒にちょこれーとっ! 約束っ!
と嬉しそうに飛び出していったシャルを馬鹿にする声が、耳に入った。
シャイロック派の生徒達。
彼らはいつもヴァイオレット伯爵家の三女の奇行を笑っている。
「なんだったの、あれ?」
「さぁ?」
学園祭で支持者が減ったかに見えたが、それは一時的だった。なぜならガイウス自身の価値はもともとなかったから。
シャイロック家の資本力が減らない限りは、彼らの評価は揺るがない。再びシャイロック派が大多数を占め始めていくのは当然の流れだった。
シャルが政治的な動きに聡かったら話は変わっていただろうが。
それに……今はハインリッヒ家もシャイロック家の支持を表明しているから。
「セシリア様……」
離れた所で様子を見ていた、ネルが心配そうに声をかけてくる。いつもの快活な様子はない。ネルは長年ハインリッヒ商会と親交のある、大規模農家の娘。
「シャル様に協力して〜良かったのですか?」
クラリッサも隣に座り、セシリアの手を握って言う。
彼女も昔からハインリッヒに仕えている料理長の娘だ。
彼女達の視線の先は、研究室の生徒達に向いている。みなひそひそと話しながら、セシリア達を見ていた。
セシリアはあえて聞こえるように言った。
「協力ではありません。利用するだけです」
それを皮切りに、シャルを馬鹿にする声が遠慮なく聞こえてくる。
ネルは目を伏せ、クラリッサはセシリアをじっと見つめている。
セシリアは空いてる手を強く強く握った。
どうすれば正解かわからない。
ただ、彼女の発想をこの研究室の人間達に知られてはならないことだけは確かだった。
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