第6話「公爵令息の言う楽ちんなお仕事」
一時間後。
エリオット君は眼鏡をかけたインテリそうな紳士と一緒に戻って来た。
彼に「場所を変えましょう」と言われ、テラスから書斎に移動した。
書斎のテーブルの上には、私が予想していたより、多くの書類が詰んであった。
「エリオット君、あの書類ってもしかして」
「アメリー様にお仕事を紹介するために必要な書類です。
あなたには全ての書類に目を通し、サインして貰います」
やっぱりそうですよね。
まさか就職するのに、こんなに沢山の書類にサインしなくてはならないなんて知らなかった。
「かけてください」
彼に言われ、テーブルを挟んで向かい側の長椅子に眼鏡の紳士が座り、私もソファーに腰掛けた。
何故かエリオット君は私のすぐ横に腰掛けた。
馬車の時から思ってたけど、距離が近い。
もしかしてエリオット君は、人との距離感を測れないタイプの子なんだろうか?
彼とは六年以上年が離れている。彼に対して恋愛感情はない。
だが美少年がすぐ側にいるのは目の保養にはなる。
だけど彼が側にいると、心臓がバクバクと音を立てて騒がしいので、心臓にはあまり宜しくない。
「アメリー様、どうかされましたか?」
ああ、またそんな極上の笑顔で話しかけないでほしい。
胸がドキドキしちゃうよ!
「なんでもないよ。早く書類をチェックしてしまおう」
「そうですね」
エリオット君が私の前に次々に書斎を並べていく。
「ここと、ここ。あとここにもサインをお願いします」
私は書類の内容を確認し、サインをしていく。
こんなにサインが必要なんて、よっぽどしっかりしたお屋敷に就職するのだろう。
どこぞの高位貴族の家庭教師の仕事だろうか?
学校の成績は良かったし、お祖母様から刺繍やお菓子作りや詩や絵を習ったから、家庭教師の仕事なら出来そうな気がする。
小さな女の子に「先生」と言われる生活も悪くない。
「これで最後です」
エリオット君に書類を渡され、私は我に返った。
いけない、いけない。
妄想の世界にトリップしている場合ではなかった。
目の前の眼鏡の紳士が雇用主か、もしくは雇用主の知り合いだったら、不採用にされてしまう。
私は書面の内容に目を通しサインをした。
私が全ての書類にサインを終えると、エリオット君と眼鏡の紳士が書類の確認作業に入った。
「全ての書類に不備はありません。あとは提出するだけです」
眼鏡の紳士がそう言うと、
「そうですか、ありがとうございます」
エリオット君は安堵の表情を浮かべた。
「エリオット君、私いつ頃から働けそうかな?
なるべくこの家の人に迷惑かけたくないから、早いほうがいいんだけど……」
相手側にも新人を受け入れる準備があるから、すぐには無理かもしれない。
しかし、この居候という不安定な立場からなるべく早く脱出したかった。
「その点は心配いりません。明日から働いていただけますよ」
エリオット君が満面の笑顔で答えた。
「本当? 助かるよ! それなら直ぐに荷物を纏めるね」
と言っても、身一つで家出してきたから荷物なんてないんだけど。
「その必要はありません。
就職場所はここから近いですから、今日はゆっくり休んでください。
明日、就職先に案内しますので」
「そっか、そうだよね」
ゲッス様に婚約破棄されたのが今日の午前中。
お昼に帰宅した父と喧嘩して家を出たのが昼過ぎ。
それから一時間ぐらい放浪して、エリオット君に拾われた。
公爵家に招かれ、お風呂やエステを堪能して、お茶をごちそうになったのが夕方。
書類を書き終えた時には窓の外は真っ暗になっていた。
「今日は美味しいものを食べて、ゆっくり休んでください」
「ありがとう。
残り物で構わないから分けて貰えると助かるよ。
それから納屋でいいから貸して欲しいな」
公爵家の残り物でも豪華そうだな。
それに公爵家なら納屋でも立派だろうし、一晩ぐらい眠れるだろう。
「そんなことアメリー様にさせられません!
夕食はシェフにアメリー様の好きな物を作らせますし、一番良い客室を用意します!」
「いやいや、それじゃあ悪いよ」
お風呂を借りて、エステをしてもらって、ドレスを買って貰って、お茶までごちそうになって、仕事まで紹介して貰えたのに、これ以上は望めない。
「どうか最高のおもてなしをさせてください。
でないと姉に会った時に、俺が叱られてしまいます」
彼には、彼の立場というものがあるらしい。
エリオット君は眉をハの字にし、泣きそうな顔をした。
そんな顔しないでよ。断り辛いよ。
「いいのかな? お言葉に甘えちゃって?」
美味しいご飯とふかふかのベッドはとても魅力的だ。
実を言うと断るのが惜しいと思っていた。
「ええ、自分の家だと思って寛いでください」
彼は明るい顔をした。
そういう顔をすると年相応に見える。
先ほど応接室で書類のチェックをしていたエリオット君は、大人びて見えたから、今の彼の方がいい。
「いや、そこまで図々しくはなれないよ」
「気にしなくていいんですよ。
…………いずれ、いやすぐに……あなたの家になるんですから」
エリオット君、今何て言った? 小声だったから聞こえなかったな。
その日は、エリオット君や執事さんやメイドさんのおもてなしを受け、豪華な夕食をご馳走になった。
ロブスターにキャビアにサーモンにローストビーフに牡蠣……美味しかったなぁ。
あんな豪華な料理、実家じゃあ誕生日や新年のパーティでも食べられなかった。
最後にそういう料理を食べたのは、末の妹のイザベラの披露宴だったなぁ。
あのときは、
「あれが妹に三人も婚約者を奪われた女よ」
「よく恥ずかしくもなく披露宴に来れたわね」
「みすぼらしいドレスに貧相な体、あれじゃあ妹に婚約者を奪われても仕方ないわよね」
と散々陰口を叩かれ食事どころではなかった。
私だって妹の結婚式や披露宴になんか出たくなかった。
父に、
「式に出席しないなら勘当だ」
「式に出ないなら金持ちの商人の後妻にする」
と言われて脅されて出席するしかなかったのだ。
どっちしろ勘当されるなら、もっと早くに家を出ていくべきだった。
全部家を出ていく勇気のない、ヘタレだった自分のせいだ。
夕食の後、メイドさんに案内されたのは当主のお部屋では? と勘違いしてしまうほど広くて豪華なお部屋だった。
見るからに高そうな絵画や壺が飾られている。
気軽にそのへんの物に触らないようにしよう。壊しても弁償できないからね。
しかし、こんなに綺麗な部屋が客室とはね。
伯爵家の当主である父だって、こんなに広い部屋に住んでいない。
公爵家の当主は、いったいどれだけゴージャスな部屋に住んでいるんだろう?
壁が黄金だったり、室内に噴水があったりするのかな?
うーん、私には想像するのすら難しいわ。
もう、なんにも考えないで寝てしまおう。
メイドさんが、持ってきてくれたネグリジェに着替え、ベッドに潜り込んだ。
天蓋付きのお姫様の使うようなベッドは、枕もベッドもふかふかだった。
お腹いっぱいになった私は、一日の疲れが出て、すぐに眠りについた。
エリオット君がどんな仕事を紹介してくれたか分からないけど、明日から仕事に忙殺される日々が始まるんだ。
今日はゆっくり休ませて貰おう。
よーーし、明日からバリバリ働くぞ〜〜!
エリオット君が紹介してくれた仕事が、私の予想の斜め上をいっていることを、この時の私は知らなかった。
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