風の矢を放つ者

宵闇久遠

風の矢を放つ者

夜明け前、町の入り口にリュウは静かに佇んでいた。彼は旅人の姿をしており、腰には短剣、背には弓と矢筒を携えているが、それらが目立つことはない。風のように自由気ままに各地を旅する彼にとって、町に立ち寄り、しばしの安息を得ることは日常の一部だった。


リュウには「風の矢」という二つ名があり、過去に多くの冒険者が彼の名を聞いたことがあるだろう。しかし、彼は自分の名声を好まなかった。目立つことを避け、ただ旅人として静かに暮らしたかったのだ。この町でも彼は、特に何かをするでもなく、のんびりと時間を過ごしていた。



そんなリュウが宿屋でくつろいでいると、町に戻ってきた冒険者たちが疲れ切った様子で宿屋に駆け込んできた。彼らは戦いに敗れ、深い失望と焦りを感じていた。


「またやられた…。あの魔物、強すぎる…。」


その声にリュウは耳を傾けたが、興味を引くことはなかった。彼はただ旅の疲れを癒すためにここにいるだけだった。戦いや冒険には、もうあまり関わりたくなかったのだ。しかし、冒険者たちの話は次第に彼の耳に入ってきた。


「…今度こそ倒さなければ、この町が危ない。誰か、助けてくれる者はいないのか?」


その言葉に反応したのは、リュウではなく他の宿泊客だった。誰かがリュウを見て、小さく囁いた。


「…あれは、もしかして『風の矢』のリュウじゃないか?」


その一言があっという間に冒険者たちの間に広がり、彼らは驚いた表情でリュウを見つめた。


「本当にあのリュウなのか…!噂に聞いたあの弓使いなら、きっと力になってくれるはずだ!」


リュウはため息をつき、わずかに肩をすくめた。「僕はただの旅人だよ。今は戦いに関わりたくない。だから、悪いが他を当たってくれ。」


だが、冒険者たちは引き下がらなかった。「リュウさん、どうかお願いです。あの魔物を倒すには、あなたの弓の力が必要なんです!このままでは町が滅びてしまいます!」


リュウは彼らの切実な訴えに一瞬沈黙した。自分は戦いを避けたかった。だが、町が危機に瀕していることを知って、完全に無視することもできなかった。リュウは深く息を吐き、静かに答えた。


「わかった。だが、僕一人でできることは限られている。みんなで協力するしかない。それでもいいなら、一緒に行こう。」



翌朝、リュウと冒険者たちは森の奥へと向かう準備を整えた。冒険者たちの顔には再び戦う決意が漲っていたが、同時に緊張も見え隠れしていた。リュウもまた、内心で不安を抱えながら、黙々と支度を進めた。戦うことを避けたかった自分が、再びこんな状況に巻き込まれるとは思っていなかったからだ。


町の外れに広がる森は、日が昇るにつれてその暗さを増していった。木々は不気味なほどに背が高く、まるで行く手を阻むかのように入り組んでいる。森に足を踏み入れると、空気は急に冷たくなり、風が木々の間を低く唸りながら吹き抜けた。


リュウは静かに森の中を歩きながら、目を細めた。彼は風の流れを感じ、その変化を敏感に察知していた。ここに潜む魔物が、異様な気配を漂わせていることを感じたのだ。


「この森の中、何かが待っている。」リーダー格の冒険者が声を潜めて言った。「前回はこの先で奴に出くわした。」


リュウはその言葉に頷き、弓を握る手を少し強くした。彼の心の中には、不安と冷静さが入り混じっていた。いつも通りの弓技で乗り切れるかどうか、確信は持てなかったが、風を信じて進むしかなかった。


やがて、霧が立ち込め始め、視界はどんどん狭まっていった。木々の間から微かに見えるのは、巨大な黒い影だった。赤く輝く目が彼らを睨みつけ、低く唸り声を上げる。


「来るぞ…!」冒険者たちが身構えた。



魔物は咆哮を上げ、闇の狼のような姿でリュウたちに襲いかかってきた。冒険者たちは一斉に攻撃を仕掛けたが、魔物は異常なほど素早く、闇の力で彼らの攻撃をはじき返した。


リュウは冷静にその様子を見つめながら、弓を構えた。彼の弓は風の力を受けて矢を放つ。矢は風に乗って飛び、魔物の急所を狙ったが、その動きは予想以上に素早かった。矢は目標に届く前に霧に包まれてしまった。


「くそっ…!」冒険者たちは再び挑んだが、次第に魔物の圧倒的な力に追い詰められていった。


リュウは再び風の流れを感じながら、魔物の動きを見極めた。彼は静かに心の中で呟いた。「風よ、僕に力を貸してくれ。」


彼は深く息を吸い、再び弓を引いた。風が彼の周りを包み込み、矢に宿った。魔物が再び攻撃を仕掛けるその瞬間、リュウは放たれた矢を見事に魔物の急所へと導いた。


矢は一瞬の隙を突き、魔物の心臓を貫いた。魔物は苦しそうに吠え声を上げ、ゆっくりとその巨大な体を崩れさせていった。


冒険者たちはその光景を見て歓声を上げた。「やった…ついに奴を倒したぞ!」

 


町に戻ると、冒険者たちは歓声を浴びながら無事の帰還を祝った。町の人々もリュウたちを称賛し、ささやかな宴が開かれた。リュウはその喧騒の中で一人、静かに酒を飲みながら、また次の旅について思いを巡らせていた。


「君がいなければ、この町は救えなかった。ありがとう、リュウさん。」リーダー格の冒険者が感謝の言葉を述べた。


「僕はただの旅人だよ。でも、少しでも役に立ててよかった。」リュウは控えめに答えたが、その目には次の冒険への決意が宿っていた。


翌朝、リュウは静かに荷物をまとめ、町を後にした。風が彼の背中を押し、新たな旅路へと誘っていた。彼の心には、また次の冒険が待っていることを感じながら、笑顔を浮かべて歩き出した。


リュウの旅はまだ続き、どこまでも風と共に。

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