ブルー・ブラッド

高村 芳

第1話

「ねえ、誰か来る」

「しずかに」


 俺は妹の口を手で塞いだ。遠くから、ごつごつと靴音を鳴らして何者かが廊下を歩いてくる。左足だけ若干音が小さい、この歩き方は……施設長の護衛をしているあの男のものだ。俺は心の中で舌打ちする。廊下の足元に据えつけられた照明が遮られ、大きな影が俺らの檻の前で止まった。


「出ろ」


 錠がガチャンと外される。俺は妹と手をつなぎ、おそるおそる檻を出る。ライフルを持った髭の男は俺の頬に唾を吐きかけてから「ついてこい」と廊下を元来た方向へ戻っていく。


「なにかあったのか」


 そう尋ねた瞬間、男はライフルで俺を殴りつけた。頬に灼熱を感じ、口のなかに鉄の味がぬるっと広がる。


「檻から出たからって調子に乗るな、クソガキが」


 男はライフルの銃床で、まだふくらんでもいない妹の胸をこづく。妹は暗い瞳で男を見つめている。


「おまえらを買う金持ちが現れたんだとよ。せいぜい可愛がられてから野垂れ死ねや」


 男は唾をとばしながら下品に笑う。俺らを殴ることでしか威張れないクソ野郎め。俺は唇から流れた血を手の甲で拭い、妹の手をもう一度強く握りしめて男の後ろをついていった。



 シャワーを浴びてから、今まで一度も袖を通したことのないような柔らかな服に着替えさせられた。そのあと護衛の男に連れてこられたのは、目が眩むほどに豪華な部屋だった。地面はふかふかなカーペットが敷かれていて歩きにくい。大きなソファに座っているのは、この「養育施設」で「施設長」と呼ばれている老人だ。そして施設長の正面に座るもうひとりの男に、俺は目を奪われた。


 少しの汚れもないスーツを細身の体にまとったその男は、美しい顔をしていた。アジア系の顔つきでとても幼く見えるが、年齢は三十代くらいだろうか。醸し出す雰囲気は柔和だが、こちらを見つめる冷たく鋭い眼光が、彼も〝こちら側の人間〟なのだということを物語っている。


「彼らが、例の」


 スーツの男の声はよく通った。


「ああ。いい出来だろう」


 施設長がニタリと口角をあげて葉巻の煙を吐き出すと、スーツの男は「すばらしい」と返事をしながら立ち上がって俺たちの方を見る。


「君たち。名前は?」


 黙っていると、施設長は「あれを見せな」とスーツの男を指差す。ああ、と思い出したように、スーツの男が胸元の内ポケットを探る。


「貴方から買った〝アレ〟を見せないと、彼らは指一本動かさないんでしたね」

「ここに来る前からコイツらが持ってたモンでな。ソレを持ってさえいれば、コイツらはアンタの操り人形さ」


 スーツの男は、おそらく高い金で買ったであろうネックレスを掲げた。錆びたチェーンに、鈍く光る指環がぶらさがっている。あれは、俺らの……。


「これでふたりはアンタの所有物だ。女は、言えばアッチの処理もするぞ」


 施設長はカカカカ、と笑って葉巻を灰皿に押し付けた。スーツの男は、俺らの目の前にネックレスを掲げる。俺は不思議に思った。男の所作からして、戦闘訓練は受けていないはずだ。なのに何なんだ、この威圧感は? スーツの男の薄い唇がやおら開かれる。


「私は今日、このご老人から君たちを買った。いまから、私が君たちの主人だ。君たち、名前は?」

「skj01です」俺が名乗る。

「skj02です」妹が名乗る。


 スーツの男はフッと微笑んだ。薄い唇が、まるでナイフで切り裂いた傷のように引き結ばれている。


「よろしい。ではさっそく初仕事だ。コイツらを殺せ」


 彼の細い指が、施設長とその背後に立つ護衛の男を指差した。瞬時に、俺らは姿勢を低くした。妹がスーツの男を床に伏せさせるのを見て、俺は護衛の男に飛びかかる。ライフルの銃口がこちらを向く前に、部屋の壁を蹴って男の左側から背後に回り込む。銃声が部屋に響き渡る。左足だけ少し筋肉量が少ない護衛の男は、振り向くのが半歩遅れる。そのあいだに俺は肩の関節をきめた。銃口は上を向き、大きな音とともに天井に穴があく。その隙に、妹は拳で割った窓ガラスで施設長の首を掻っ切っていた。施設長の首筋から噴き出る血を浴びながら、妹は護衛の男の首に足を巻きつけ、体重をかけながら腰を勢いよく捻った。鈍い音が部屋に響くと、護衛の男の首はあらぬ方向に曲がり、無駄な筋肉をたくわえた重たい体が床に崩れ落ちる。ライフルの硝煙がはれるよりも前に、護衛の男は息をしなくなった。青白い顔で細い息をしながら、施設長は豪華なソファに体を沈めたままだ。彼に向かって、俺は護衛の男のライフルを放った。それでやっとしずかになった。


 スーツの男はスラックスについた埃をはらいながら立ち上がる。足元に転がっていた施設長の葉巻の火が燻っているのを見て、靴底で消した。


「上々だよ。よくやった」

「ありがとうございます」


 俺たちは声を揃えて応えた。顧客の要望に沿った殺し屋を提供する「養育施設」の長だった老人は、頭の半分が吹き飛んでしまっている。スーツの男は興味がなさそうにその肉の塊を一瞥した。


「私の持ち物である君たちを殴り蔑み、侮辱した。だから君たちに殺してもらった。あと、私は葉巻の煙が嫌いでね」


 スーツの男は俺の殴られた側の頬に手を伸ばした。深い井戸の底のような瞳で俺らを見つめる。


「私のことは〝アサギ〟と呼んでくれ。ああ、『様』をつけなくていいし、敬語も使わなくていい。むしろ使ってくれるな、堅苦しいから」


 ヘンな男だ。俺の思いをよそに、彼は続ける。


「私には敵が多くてね、これから君たちには大いに役立ってもらう」


 彼は先ほど掲げたネックレスを、惜しげもなく妹に手渡した。俺らが驚いていると、「君たちの大切なものなんだろう?」とアサギは応えた。


「こんなものを人質にとらなくても、君たちがしっかり働いてくれることくらい、目を見ればわかる。ええ、っと……。ああ、コードネームしかないのか」


 ふむ、と彼は考え込む。


「決めた。君たちに名を与えよう」


 彼はひとつうなずき、俺らに向き直った。


「君は、はなだ」俺の目を見てアサギは言う。

「君は、瑠璃るり」妹の目を見てアサギは言う。


「金の髪と青い瞳をもつ幼い兄妹の殺し屋たち。これから、私は君たちに命令と不足のない衣食住を与える。君たちは仕事をまっとうすることだけを考えて、私のために生きてほしい。いいね、縹。瑠璃」


 ハナダ。どういう意味かわからないが、不思議と嫌な気分にならない。「ルリ」と、妹の唇から小さく漏れるのが聞こえた。俺らは声を揃えて言った。


「わかったよ。アサギ」

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