明治三十二年秋、子規庵にてへの応援コメント
こんにちは。
二人の漱石、、そういうことだったんですね。
子規の文を読んでいると、自信満々に決めつけたり噛みついたり、たしかに石に漱ぐって言い張るタイプだと思いますね。
楽しく読ませていただきました!
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
漱石の由来を改めて確認していたら、子規が称していたというのを知ったのです。
このネタは使うしかない、と思って書きました(笑)
おっしゃるとおり、子規って、「おれが一番!」みたいな雰囲気があるので、「漱石」にふさわしい男だと思います^^;
ありがとうございました!
明治三十二年秋、子規庵にてへの応援コメント
子規と漱石って……あの、私が読んだら、いけなかったのでは? いやいやいや、自重します。混ぜたら危険! です。
失礼しました。子規も漱石も、学生時代にとても好きでした。こんなに静かで懐かしく、哀しい場面があったと思うと、深い感動を覚えます。
ありがとうございました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
えっ。
子規と漱石ってそうだったんですか。
いや、別に読んでいただいてもOKだと思いますよ^^;
……閑話休題。
子規と漱石、私も好きでした。
よくこんなものを作れるなぁと感心しきりだった記憶があります。
そして、この二人が一緒に旅したり柿を喰ったり、ウナギを食べたりした(子規が奢ると言ったくせに、漱石に奢らせて食べた)エピソードが好きなんで、こういう話もあったんじゃないか、と思って書きました。
お褒めいただき恐縮です。
ありがとうございました。
明治三十二年秋、子規庵にてへの応援コメント
こうだったのかもなあ、こうだったらいいなあ、というお話を、読みやすくてしかも面白く教えていただけるお話で、やっぱり凄いなあと嬉しくなりました!面白かったです!
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
子規と漱石って、けっして善人ではないけど、不良同士のつながりみたいな、こういうやり取りをしていたんじゃないかな、と思って書かせていただきました^^;
お褒めいただき恐縮です。
ありがとうございました!
編集済
明治三十二年秋、子規庵にてへの応援コメント
子規も漱石と名乗ってたのは知りませんでした
2人の文豪の青春譚のようで
おもしろかったです
作者からの返信
私も子規=漱石は知らなかったのです^^;
wikipediaを眺めていたら、偶然発見して、「これは」と思って、使わせていただきました。
こういう、明治という時代を駆け抜けた人たちの青春、一度は書きたかったのです♪
ありがとうございました。
明治三十二年秋、子規庵にてへの応援コメント
二人の漱石というのがとても良いです。
漱石にとっては、子規は大樹みたいな人だったのかな、と思いました。
子規は病床にあっても心を高く遠く馳せる事ができた人でしょうから、物理的な距離は関係なかったのかもしれませんね。
作者からの返信
まずはレビュー、ありがとうございます!
正岡子規というと、おっしゃるとおり、まずその「子規(ほととぎす)」という号に象徴される、喀血などの病気が連想されます。
でも子規は、その病床に伏してからが、その文芸活動が凄まじい人です。
きっと、かつての号であり、親友である夏目金之助に譲った「漱石」にふさわしい、負けず嫌いだったことでしょう。
実は、当初のプロットでは、子規が病気の自分よりはいいじゃないかと自虐混じりに漱石を励ます流れでしたが、書いているうちに「らしくない」と感じ、このようなお話となりました。
この方が、子規という人の心の強さが出ていると思いまして。
そこをご評価いただいたようで、何よりです。
そして、応援コメントの方も、ありがとうございます。
「二人の漱石」、気に入っていただけて何よりです。
公開直前になって、この方が「らしい」サブタイトルだと思って差し替えたタイトルですので。
漱石はメンタルが不安定でしたが、子規は最期まで透徹とした心を保っていたそうです。
だからこの二人はコンビで動いていたんだろうな、と勝手に想像していました。
また、おっしゃるとおり、子規はその俳句や短歌の活動から、病床にいながらも遠くを見、近くも美を見つけられるので、距離はかかわりのない心のあり方だったのでしょう。
ありがとうございました。
明治三十二年秋、子規庵にてへの応援コメント
子規の「くだもの」は知らなかったです。
いい歳をした男2人で林檎の皮を吸う。
ちょっと可笑しくて、もの悲しさもあっていいですね。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
子規って、随筆も面白いんですよ。
それにしても、林檎の皮を吸うのが旨いって公言するところが凄い(笑)
恥ずかしがる漱石の方がまともな反応だと思います。
……まあでも、学生以来の親友同士なんで、こういうのもいいかな、と^^;
ありがとうございました。
明治三十二年秋、子規庵にてへの応援コメント
子規の食い意地の汚いところとか同輩に傲慢なところとか、なんか愛嬌があっていいんですよね。子規の魅力と漱石との友情が詰まっていて楽しめる作品でした。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
子規って決して善人ではないというか(笑)、厭な奴だと思うんです^^;
でも、ああいう状況になっても前のめりであり、おっしゃるとおり、愛嬌があって好きです。
子規の人となり、そして漱石との間柄をお楽しみいただけたようで、何よりです。
ありがとうございました!
明治三十二年秋、子規庵にてへの応援コメント
日本の文芸界の基礎を作った二人の友情に、胸が熱くなりました。逆境や困難の中でも、前のめりになって、自分の道を究めようとしてきたからこそ、小説や俳句の今があるのでしょう。
恥ずかしながら、「漱石」のペンネームの由来は知っていましたが、元々は子規のものだったとは知らなかったです。子規の贈った俳句など、実際の物事と物語が絡まるのが、毎度のことながらうまくて唸ってしまいます。
「黄金林檎の落つる頃」は、一生懸命考えたタイトルですが、まさか漱石の口から出てくるとは思いませんでした。非常にありがたくて、物書き冥利に尽きます。
最後に大変遅くなりましたが、自主企画への参加、ありがとうございました!
作者からの返信
最初は司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」でこの二人の仲のことを知りました。
でも、「坂の上の雲」は子規と漱石より、子規と秋山真之の話の方がメインなので、あまり描かれていませんでした。
そこがちょっと不満だったので、このたび、こういう自主企画という機会を得て、自分なりに描いてみようと思った次第です^^;
この二人の友情をどう描くか――はちょっと悩みました。
でも、漱石なら英国留学は外せないと思いまして、その直前というタイミングにいたしました。
悩み多き人生の漱石ですが、ここが一番悩みが大きいと思ったのです。
「漱石」のペンネームについては、これは調べている時に偶然知りました。
でも、子規ならそういう筆名を使って、かつ、あっさりと譲るだろうなぁと思ったものです^^;
林檎の俳句は、林檎で調べているうちに見つけたもので、実はこれが子規を描こうと思ったキッカケになりました。
こんな面白い俳句があるのなら、使わなきゃ、と(笑)
「黄金林檎の落つる頃」というタイトル、「落つる」と使っているあたりが、いかにも俳句っぽいなぁと思っておりましたので、そこは俳人に言わせようと考えており、そこで漱石です^^;
そのあたりをお気に入りいただけたようで、何よりです。
また、レビューの方、ありがとうございます。
子規も漱石も、その人生は苦闘そのものでした。
でもその苦闘の人生をたくましく生き抜いたのは、明るく、ユーモアを大事にしたからなんじゃないかと思い、「林檎の句」を使わせていただきました。
そのため、その「林檎の句」にウェイトを置いたレビューをいただき、嬉しい限りです^^;
ありがとうございました!