第5話 妖精と心配性


 夜ご飯は、絶対リゾットが食べたい。トマトとチーズがたっぷり入ったやつ。


 そう思ってしまうとそれ以外に考えられなくなったので、すぐに作ろうとしたのだが肝心のトマトがない。

 ディアに取ってきてもらおうと思って探しても見つからず、台所の前で代替案を考えていると、目の前に黒いウサギが降ってきた。


「わっ!? 何!?」

「あのね、あのね! すーーっごく悩んでたから、助けに来たんだよ!」


 子供のように幼い声。黒いウサギの背にはうっすら透明な羽が生えており、空中に浮いている。


「妖精……?」

「『正直者の黒兎』だよ! クロって呼んでね!」


 よく分からないが、やけにフレンドリーだ。


 知能を持った魔力の塊を妖精と呼ぶらしい。昔、孤児院の本で読んだ。澄んだ魔力が好きだというから、この森に住んでいるのだろう。

 大体は動物の形を持っているというが、魔王が使役したという魔獣との一番の違いは、言葉が通じるかどうかだそうだ。


 ただ、好奇心の塊で、善悪の判断がないからこそ、彼らの言葉には気をつけなければいけない、とも。


「私は、ミレリア。よろしくね」

「よろしく、よろしく! ミレリア、何に困ってたの?」

「……夕飯にトマトが食べたいんだけど、この家にはなくて」

「それならクロが案内してあげる! この家から北の方角へ向かったら、食べ頃のトマトがなってるんだよ!」

「ここから近いの?」

「近い、近い! 少し森に入るけどね!」


 クロはキラキラした目で、「早く行かなきゃ日が暮れちゃうよ!」と私の周りを回っている。


 ディアから家を出る時は報告しろと言われているが、肝心のディアが見つからないのでは仕方がない。


 少しトマトを取りに行くだけだ。

 ディアの魔力に怯えた動物たちはこの辺へ近寄らないと言っていたし、大丈夫だろう。

 私はエプロンを脱いで籠を持ち、玄関へ向かう。


「クロ、案内してくれる?」

「もちろん!」


 小さな妖精は、嬉しそうな声でそう言った。









 実際、クロが案内してくれた場所は近かった。

 木々を掻き分けて森を進むと、艶々したトマトがたくさん実っていたのだ。


「美味しそうなトマトがたくさん……!」


 うっとりしながら籠にトマトを摘んでいく。

 クロと、どれが美味しそうか話しながら摘んでいると、籠は少しずつ重くなってきた。

 取りすぎないように気をつけたいが、明日作るパンにつけるソースの分も欲しいと考えると、うん。もう少し欲しい。


「クロ、どう思う? もう少し取っても……」

「危ないよ、危ないよ!」

「え?」


 慌てて振り返ると、既にクロの姿はなかった。不思議に思いながら呼びかける。


「クロ? どこに行ったの?」


 キョロキョロと辺りを見渡すが、全然見つからない。危ないとは、一体何だろう?

 とりあえず籠を持って、今日は引き返そうかと足を踏み出した、その時だった。


「………………!?」


 目の前には大きな獣がいた。鋭い牙に、薄汚れた灰色の毛並み。狼だ。


「――――ッ、――――ッッガァ!!」


 理性を一切感じさせない慟哭をあげた狼は、じりじりと私ににじり寄ってくる。


「ま、待って。待って、待って待って……!」


 本物の熱と、殺意。激しい衝動にあてられて、味がすくむ。逃げないといけないのに、足が震えて動いてくれない。


「………、っあ」


 いつの間にか落としていた籠から溢れたトマトが狼に踏みつけられ、呆気なく潰れて赤い汁を散らす。きっと私も、すぐにこんな風になる。

 逃げないと。どこかへ逃げないと!

 何かに突き動かされるように逆方向へ走り出したが、狼はすぐに追ってきた。


「──────グルァッ!!」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 体力のない私は、あっという間に木を背にして追い詰められてしまった。

 目を逸らしたら食べられるような気がして見つめ続けていたが、狼はゆっくり間合いを詰めてきている。


「やめて、無理、っやだ! 来ないで!」


 狼は一気にこちらへ飛びかかってくる。

 今世もこんなに短かいだなんて。こんなところで死ぬなんて。もう、おしまいだ。


 そう覚悟した瞬間、私はあたたかい手に抱きしめられていた。


「お前はどうしてそんなに無鉄砲なんだ!」

「…………ディ、ア?」


 パチクリと目を瞬かせる。彼越しに見える狼の身体は上から潰されていて、ピクリとも動かなくなっていた。


「助けて、くれたんですか?」

「見れば分かるだろ。大体、この程度の獣なら魔法でどうにでも……!」


 彼はそう言って、ハッとしたように口をつぐんだ。


「もしかしてお前、戦う手段がないのか?」

「……はい。今も、助けてもらわなかったらっ、間違いなく食い殺されていたと思います」

「…………簡単に死ぬんだな」


 ディアは怯えたように、私の首に強く回していた手を緩める。

 ──────生命力が強そう。

 彼が私をそう言っていたのを思い出す。しぶとそうだと思っていたやつが、呆気なく死にそうになっていたから驚いたのだろうか。


「それなら余計に、なぜ勝手に家の外へ出たんだ! この森は安全な場所じゃないんだぞ!」

「……ごめんなさい」


 クロに声をかけられたとは言え、家を出る選択をしたのは私が悪い。ディアが助けてくれなければ、私はトマトのために死んでいたところだった。


 バクバクと心臓の音が耳元で大きく響く。

 それと同時に、私より激しい心臓の音が聞こえて、それがディアのものだと分かったから、私は余計に何も言えなくなって、ただ涙が出そうになった。


「これからどこかへ行く時は絶対に俺に声をかけてくれ。勝手に目の届かないところへ行って、お前が死にでもしたら、俺は……!」


 熱の籠った声に、心臓がギュンと縮んだ。

 違う。私じゃない。心配してるのは私なんかじゃなくて、私がフレミリア様と同じ容姿だから、傷ついている姿を見たくないだけ。死んで欲しくないだけ。


 そう分かっているのに、不甲斐なくも胸がドキドキしてしまった。

 だって、こんなにも心配されることなんて、今世では初めてだったから。


 目を逸らせず、ただじっとディアを見つめていると、彼は切迫した声で絞り出すように、こう言った。


「また一人きりに戻るなんて、気が狂いそうだ」

「…………え?」


 彼はずっと私を追い出したいのだと思っていた。でも、そんな言い方だとまるで、私がいることで救われているみたいだ。

 そう。まるで、『私』が死ぬことを、恐れているみたい。

 驚いて見上げた私を見て、ディアはハッとしたように付け加えた。


「……あの人が愛したこの森で死人を出したくないだけだ。あの人が帰ってきた時にお前の墓があったら、俺はあの人に合わせる顔がない」

「なるほど」

「だから、お前のことは俺が守ってやる」


 こんなにカッコいいセリフを言っているのに、頬と耳は真っ赤に染まっていて。恥ずかしそうに口元を手で押さえているディアは、可愛らしかった。

 こんなに強い人を可愛いだなんておかしいかな。でも、そう思ってしまったのだから、仕方がない。


 いつの間にか、手の震えはなくなっていた。


「……ふふ。ありがとうございます」

「別にお前のためじゃない。……それに、お前のパンが食べられなくなるのは惜しいからな」


 やっててよかった、前世でパン屋。

 ディアの体温で安心したのか、頭の中でそんなことを考える余裕も出来てきた。


 彼は私から離れると、落ちていた籠を拾いあげて、トマトを一つ一つ元へ戻してくれた。私もそれに慌てて加わる。


「ディアはすごく強いんですね」

「お前が弱いだけだ。……お前、崖から落ちたら死ぬのか?」

「死にますね」

「……腹に穴が開いたら?」

「死にます」

「…………そうか」


 ディアは噛み締めるように頷いたかと思うと、私の手をしっかりと握りしめた。










 翌日。

 ディアの腕に包帯が巻かれていたので、昨日怪我をしたのかと心配していたら、「昔、フレミリア様に巻いてもらったものだ」と花が咲くような笑顔でそう言われた。

 どうやら、怪我が治った今でも保存魔法をかけて、後生大事にしているらしい。包帯はアクセサリーじゃないですよ。


 ちなみに、昨日私に尋ねたようなことになってもディアは死なないのかと尋ねたら、真顔で「当たり前じゃないか」と言われた。

 これ、私がおかしいのかな?


 とにかく、それだけ丈夫で、戦闘力もあるディアから見たら、狼に襲われた程度で死にかけていた私は余程弱く見えるのだろう。


 彼は、少し日光を浴びようと軒先へ出ただけでもピッタリと着いてきてくれるようになった。

 もう私が何をしていても心配なようで、料理中も読書中も、気づいたら後ろにいる。そう、今も。


「…………なんだ?」

「いや、その、落ち着かないというか」

「大丈夫だ。すぐに慣れる」


 そんなわけないでしょうが。

 とんでもない美形がすぐ後ろにいるのは心臓に悪いのだが……うん。好意は有り難く受け取っておこう。

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