第12話 追想と解放
頭が、痛い。
どうにか目を開けるが、グラグラと視界が歪んでいる。
「…………生きてる」
すぐに自分の身体を見下ろすと、ポッカリと空いていたはずの穴は開いていなかった。
ただ拘束されているぐらいで、怪我の一つもない。頭が死ぬほど痛い以外は元気そのものである。
どうして、と考えて、すぐに自分が"フレミリア"ではないことに気がつく。
今世の私は、ミレリア。前世の私もミレリアで、パン屋の娘だった。でもすぐに死んじゃって、また生まれ変わって、この孤児院に拾われて、追い出されて──────。
あまりに膨大な情報量に、頭が処理落ちしてしまったらしい。強い目眩がして目を閉じる。
次に目を開けた瞬間、
「────────!?!?」
声にならない悲鳴が喉から上がる。
あの森を一人で任されるほど強い魔法が使えて、形だけとはいえベルさんという婚約者がいて、しかもディアにあれだけ慕われるなんて、どれだけ素敵な人なんだろうと思ってたけど、フレミリアって私だーーーーっ!?
何が「フレミリア様ってどんな方だったんですか?」だ。何が、「本当に、フレミリア様じゃない」だ。私だよ!
しかもディアやベルさんの中の『
もう嫌。消えたい。情けなくて涙が出てくる。
「………………消えたい……」
脳裏に涙を流していたディアの姿が過ぎる。
──── 置いていかれるぐらいなら、俺はあなたと一緒に死にたかった。
あんなことを言わせるなんて、私はあの子になんて酷いことをしてきたんだ。
すぐ、すぐに謝らなければ。許してくれるかは分からないけど、とにかく地に伏せて詫びよう。
いやいや。待って。一旦待って。
あれだけ
そもそも記憶さえあればこんなことにはならなかったのに、と悔やんで、ふとベルさんが言っていたことを思い出す。
確か、自分に魔力を込めて傷をつけ、記憶と魂を結びつけるとか言ってたはず。
私にそんな繊細な魔法は使えない。もしかするとディアがやったのだろうか。いつ。いつの傷だ。
「私に傷なんて…………あ」
ハッとうなじを抑える。傷、ある。絶対これだ。
だって前世から生まれつきあるとか、普通に考えたらおかしいもん。
「ひぃ…………」
どうしよう。証拠がどんどん揃ってきた。
怯えた拍子に身体が震えて、私を拘束している縄が肌に食い込んだ。痛い!
一旦このことを考えるのはやめよう。まずはここから逃げて森へ戻らないと。
そのためにはシスターをどうにかしなければならない。しかし肝心のシスターは遠くで昏倒してしまっている。
「これ、私がやったんだろうなぁ」
眼前に広がるのは快晴。16年間暮らして住み慣れた孤児院は半壊していた。
シスターに何の魔法をかけられたのかはよく分からないが、人格を消すとか何とか言っていたから、その類いの魔法だろう。そして、
ただ、拘束を外せるような繊細な魔法なんて使えない。風の魔法で切ろうとでも考えようものなら身体ごと切ってしまうかも。
今の状態なら誰に襲われてもそうそう負けないと思うが、逃げる術も思い当たらない。
さて、どうしよう。今日も空は青くて綺麗だな。
衝撃的なことが起こりすぎて現実逃避を始めた私の耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「あのね、あのね! 今すぐここから逃げた方がいいよ!」
「クロ!」
ぴょこんと空中へ現れた黒兎は、何やらすごく焦ったように私の周りを跳ね回っている。
「そんなことわかってるよ!」
「そうじゃないよ! 嵐が来るんだよ!」
忠告はしたからね、とクロは一瞬で去っていった。薄情ものめ。せっかく助けが来たと思ったのに!
逃げろと言われても、拘束具を外してくれないと逃げることなどできない。
小さな溜息を吐いた、次の瞬間。
とてつもない轟音が響いて雷雨が降り始めた。
「え!?」
空はどす黒い色に染まっていて、さっきまでの晴天が嘘のようだ。驚いて瞬きを、一つ。
次に目を開けると、今まで見たことがないほど切実な表情をしたディアと目が合った。
「……お前は本当に、俺がそばにいないとダメなんだな。少し目を離しただけでこれだ」
冷たい声だった。ディアがため息を吐くたび、私たちを避けて嵐が吹き荒れる。
「どうすればいい? 部屋に鍵をかけて閉じ込めたらいいのか?」
普段は透っている綺麗な目が、今は濁って仄暗い目をしている。
いつの間にか私の拘束は解かれていて、私はディアの腕の中にいた。いわゆるお姫様抱っこの状態。そう気がついたのは、少し時間が経ってからだった。
「お前を傷つけたやつは誰だ。殺してやる。……いや、失ってからじゃ遅いんだったな。お前まで失ってしまったら、俺は、俺は─────」
ディアからあり得ないほど濃い殺意が湧き立つのが分かる。
作り物のような綺麗な顔が不快そうに歪む。彼のこんな顔は見たことがない。
「でぃ、ディア! 私、大丈夫です! ほら見て、怪我一つないでしょう!?」
「あぁ、大丈夫だ。この国ごと滅ぼして、早く一緒に森へ帰ろう」
「どうして!?」
「この国に俺たち以外がいなければ、もう何も奪われない。最初からそうすれば良かったんだ。あの森さえ残っていれば地上全てが滅んだって問題ない。……あぁ、お前は上で暮らした方が安全かもしれないな」
「でも! フレミリア、様は」
「こんなことは望んでいないだろう。でも、もう仕方ないじゃないか。……これ以上、どうしたらいいのか分からないんだ」
片目から涙を流しながら笑っているディアは、本当に今にも壊れそうだ。
私のせいだ。私が呆気なく死んだから。私が記憶を取り戻さなかったから。私が、攫われたから。弱いから。
ディアをこんなに追い詰めるほど寂しい想いをさせてしまった。ディアはこう見えて泣き虫なのに。私が一人きりにしてしまったから。
私たちの周りにとてつもない量の魔力が渦巻いているのが分かる。ディア本人もおそらく制御出来ていないのだろう。
きっと彼は、昔の私と同じようなことをしている。自分たちだけを守って、あの森以外の全て破壊するつもりだ。
いくら私に魔力が戻ったといっても、桁が違う。とてもじゃないが止めきれない。莫大な魔力の暴走で人化が解け始めてきているのか、ディアの腕が鱗に覆われていく。
────このままでは、本当に国が滅んでしまう。
何とかディアの気逸らして、魔力を散らさないと。
「…………ッ、!」
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。きっと今そんなことを言っても、彼は止まらないだろう。
私が彼の動きを止めるための嘘だと思われる。今まで散々私はフレミリアじゃないと言ってきたのだから。自分で自分の首を絞めてしまった。
言葉はもう届かない。
……それなら私は、一か八かの賭けに出る。
「ディア!」
彼の名前を出来るだけ大きな声で呼んで、私を抱き抱えている腕の中から必死に手を伸ばした。そして、そのまま首に腕を絡める。
自分で言うのも恥ずかしいが、ディアは
「───────っ」
強引に顔を近づける。
私はこの子のためならもう一度死んだって構わないのだ。
「愛してる」
声に出さずに口の形だけで言葉を発して、冷たい唇にそっとキスをした。
ディアは一瞬、何が起こったのか分からない顔をして、パチパチと瞬きをする。それから呆然とただ遠くを見つめているうちに、虚ろだった目に光が宿り、腕からは鱗が消えて、完全に動きを止めた。
周囲の魔力が荒れ狂う。ディアの気が逸れたおかげで、人間では到底耐えきれないほどの魔力がゆっくりと離散していく。
「…………ミレリア?」
「ディア、大丈夫だから」
「なに、が」
「私は大丈夫。だって、何があってもあなたが守ってくれるんでしょう?」
だから、泣かないで。
指で涙を拭うと、光を取り戻した目に私の姿が映り込んで、すぐにぼやけた。
「……ミレリア」
「うん」
「ミレリア」
ディアは自分に言い聞かせるように何度も何度も私の名前を呼んで、最後には私をキツく抱きしめた。そういえば、"ミレリア"と名前を呼ばれたのは初めてな気がする。
胸が苦しくなるほどのハグは昔と全く変わらなくて、何故だか私も泣いてしまった。
どうにかディアの魔法が収まった後。
半壊した孤児院には突風と共にベルさんがやってきて、シスターを捕縛して去って行った。
彼が私の姿を見て、「久しぶりだね」と笑いかけてきた時は本当に死ぬかと思った。なんで分かったんだろう。記憶を思い出したところで見た目は何一つ変わらないのに。
前世より今世の方が話しているぐらい関わりもなかったのにな。怖すぎる。
とにかく。あの人には今度ちゃんと説明するとして、まずはディアに記憶を思い出したことを伝えないと。罵られようがされようが、受け止める覚悟は出来ている。
そう決意を固めていたのだが、森へ戻ってもディアの目は昏いままだった。
「……どうして俺のことを置いて、あの孤児院へ?」
「え」
「追い出されて森へ来たと言っていたじゃないか。それでも戻るぐらい、俺のことが嫌だったのか?」
「いや、」
「そうやってまた俺は────」
「ち、違います! 私はあなたにサプライズ、というかプレゼントを……!」
この流れで別れの餞別だとは言えなかったので、ところどころぼかしながらクロに孤児院へ飛ばされた話を伝える。
すると、彼は私が渡した爆蘭をしげしげと見つめ、「俺のためだったのか」と小さく呟いた。
「じゃあ、俺を嫌いになって逃げ出したわけじゃ……」
「全然ないです!」
「よかった。また置いていかれるぐらいなら、今度こそ殺してやろうと思った」
「今度……こそ?」
物騒な言葉が出てきたので、冷や汗をかきながら聞き返すと、ディアは真顔のまま頷いた。
「俺が知らないうちにどこかで死なれるぐらいなら、もういっそ俺が殺して、後を追おうかと。あの人もお前もいない世界なら、生きている意味なんてない」
「………………」
「分かってる。フレミリア様への想いは、ずっと俺の一方的な片想いだ。早く死んだ方が良い。希望なんてない。それなのにずっと、ずっと……あの日、花を渡して笑ってくれたあの人の面影が、消えなくて」
「花……?」
思い出したばかりの記憶を探って、ディアが初めて私の名前を呼んでくれた日のことを思い出す。
そうだ。私は彼に、自分の目の色とそっくりなカレンデュラの花束を渡したんだった。そうか。だからあの森に、花畑を。
私、すごく愛されてるな。思った以上に、愛されすぎている。
てっきり師弟愛がいいところだと思っていたせいで、彼の煮詰まった気持ちの重さに震えた。
そういや昔も、俺はあなたの世話をするために生きてるんですよ、とかも言ってたな。あれ冗談じゃなかったんだ。
これを全てフレミリア本人に聞かれていると知ったら、彼はどう思うだろう。いや、それ以上に私が恥ずかしすぎて、このままでは私がフレミリアであることなんてとてもじゃないが伝えられらない!
脳内で大爆発が起きている私をよそに、ディアは淡々と話を続ける。
「もう、ダメなんだ。フレミリア様を、彼女だけを待っているのに、愛しているのに。ミレリアと話しているとどうしても楽しくて、もうこんな生活は辞めたいと思ってしまった。幸せになれと言われても幸せになんかなれない。待っているだけの人生は辛い。変わらない毎日は地獄みたいだ。一人は寂しい…………」
一人は、寂しい。
そうだ。一人は寂しいんだ。
だから私はかつて、ディアと出会えて、信じられないぐらい幸福だった。
私を待っていてくれたことは嬉しいけど、ディアを不幸にしたいわけじゃない。前を向いて、幸せになってもらわないと。
彼の手を握る。冷たい彼の手に、私の体温が染み込むように。
「あたたかいでしょう?」
「……だから何だ」
「幸せって、あたたかさだと思うんです。誰かが隣にいるあたたかさ。フレミリア様があなたに幸せになって欲しいと言ったなら、一人でいる必要なんてないんじゃないですか?」
「でも、俺はあの人、だけを」
「幸せになったあなたを見て、フレミリア様は喜びます。間違いないです。ディアがそれだけ想っている人が、あなたの不幸を望むような人のはずがない」
そう。これは
臆病な私は、今すぐディアに記憶が戻ったと言えないから、せめて伝えたいことだけは伝えなければならない。
「とにかく、私は明日からもディアと一緒にいます。あなたがそれを望んでくれるなら」
「……いいのか。そんな、そんなこと」
「もちろん!」
ディアは、涙を堪えながら笑いかけた私の握り返してくれた。
「ミレリア。ありがとう」
その声は初めて聞く、弱々しい声で。
ディアは弟子だ。私の大切な弟子。生まれ変わっても、彼の方が強くなってしまっても、守るべき存在ということには変わりない。
そのはずなのに、心臓がドクンと脈打ってしまった。記憶が戻る前。フレミリア様、逃げて! なんて冗談半分で言っていたけれど、きっともう逃げられない。
「こちらこそ、助けに来てくれてありがとう!」
私はじわじわと赤くなっているだろう顔を隠すために、思いきりディアに抱きついた。
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