星夜見は口にする

人生

プロローグ 死が二人を分かつには

 いつか、この静かな夜を思い出す




 今夜は月がきれいに見えますね、とわたしは言った。


「あぁ――アレが落ちてきて、都を滅ぼしてくれないものか」


 皇太子殿下はため息雑じりにそう応えた。


 私の視線は思わず真横へ向かった。


 帝国首都のはずれ、【小帝区しょうていく】。その中央に建つ『桔花きっか邸』の、そのまた中央。つまり一都市の中心にそびえるこの物見櫓『星見台』の最上階で、都市を一望できる場所に立ちながら、この都市を預かる最高責任者ともいうべきその人は――

 あろうことか、


「爆発、炎上。この闇夜が一息に燃え上がる……。逃げ惑う人々、混乱、暴動……。この屋敷も、この櫓も崩れ落ち、瓦礫と化して……」


「…………」


「都は、朝には焦土と化している。瓦礫の山には誰とも知れぬ亡骸が転がっていて、私の姿はどこにもない……」


「……それで?」


 私が促すと、かの方は櫓の欄干にもたれかかり、月に照らされた【小帝区】を眺望しながら、涼しげな横顔で詩でも詠むように、


「おぉ、哀れ、皇太子は死んだのだ……」


「不敬ですよ。不敬罪ですよ」


「この館の関係者が皆死ねば、もはや誰も皇太子の顔を知る者はいない……。首都から皇帝陛下が駆けつけるまでに幾ばくかの猶予がある。その間に――」


 月は人を狂わせる、そうした魔力を持つという。


 顔を上げたその人の瞳にもまた、狂気が浮かんでいた。


「私は、この国から逃げ出すのだ……!」


「…………」


「市井の民は誰も皇太子の顔を知らない。都から抜け出すのは造作もないだろう。皇帝陛下ちちうえ皇后陛下ははうえ、首都に住まうその他近親者でなければ私を判別は出来ない。あとは適当な死体を用意出来れば……!」


「……荒唐無稽ですね」


 自身の死を偽装し、高貴な身分を捨てて荒野へ身を投げ出すという。「それから」について問うのは野暮だろう。それ以前の問題だ。


「どうやって死体を用意するんですか? 誰を身代わりにしようというんです。そもそも、? ……バレますよ、殿下が犯人だって」


 


「誰も私を罪には問えまい? なにせ、皇太子だぞ」


「その身分を捨てたいと言いながら、それを利用するなんて。殿下はとんだ恥知らずですね……」


「使えるものはなんでも使うさ」


「そして挙句の果てには殺人犯で、逃亡犯。誰に頼ることも出来ず、なんの庇護も得られない荒野を彷徨う。そこまでして、殿下は何をお望みなんですか」


「もちろん――」


 皇太子さまは深く頷くと、慈愛に満ちた表情で私を見つめた。


 切れ長の目、青い瞳。夜闇に冴え冴えと、月光りを受けて白く浮き立つ肌。影に溶け込むような黒髪を束ね、人目を忍ぶような暗い色合いの衣を身につけた長身シルエット


 美しく大人びた青年は、まるで子供のように微笑んで、言った。


「お前と添い遂げるためだ」


「私は結構です」


 何度目とも知れない愛の言葉プロポーズにすげなく返し、私は遠く、きらびやかな明かりをともす首都の方へ目をやった。


【アイオロス大陸】のほぼ全域を支配した『帝国』の首都、名を【ニルバナ】。数十万の人々が暮らし、朝には朝の、夜には夜の活気で賑わっている。都内に小高い丘があり、その頂上に皇帝陛下の住まう『京花宮きょうかきゅう』がある。


 かつて、この【小帝区】もまた、王族の住む離宮の一つだったという。そうした経緯からか、街にはところどころ、かつての宮殿の一部だったと思しき城壁などが残り、それを再利用するかたちで人々は住居を増設していった。かくして、現在私の眼下に広がる、木造と石造の新旧建築が入り乱れる街並みコントラストが誕生したのである。


 この地を指して人は『学園都市』という。


 ある時代から帝国一の学習院がつくられ、国中の子供たちがこの学び舎で育ち、巣立っていった。そのためこの街の住人の大半が学生やその関係者、教員たちであり、街の自治・運営のほとんども学生や卒業生たちが担っているのだ。


 ここには多くの人々が息づいている。


 人口は数万、首都に比べれば当然少ない。というより、この地もまた首都の一部だ。

 首都のはずれ、その一画。学園都市、あるいは【小帝区】の名で親しまれるこの街【シバルバ】には、もう一つ、帝国にとって重要な側面がある。


 それはここが【小帝区】と呼ばれる所以でもある。帝国の属国、植民地など、大陸の様々な地域の人々や文化が一か所に集った、「帝国の縮図」とも評されるこの都市は、全てある目的のためのお膳立てなのだ。


 それは、実験。あるいは、実践の場。


 この【小帝区】は、即位戴冠前の皇太子が、治政を実践しながら学ぶための広大な実験室なのである。


 だから、この都市は全て、殿下のもの。

 この地に息づく人々は皆、都合よく使い捨てのできる、実験動物モルモット


「月が落ちてきたら、さすがに我々も無事では済まないでしょう。……そう、逃げ出すどころじゃないですよ、きっと」


 私は月を見上げた。雲一つない夜空に、煌々と輝く真白の星。


「…………」


 今度はあちらが黙り込む番だった。夜風を、冷たく感じる。私の身体は熱を帯びていた。


「『それから』も何も、ありません。きっとそれはこの世の終わりです。生き残った人がいたとしても、それまでの世界の法則は通用しないでしょう。確かに、我々はこの"縛り"から解放される。ですが、それは賢明スマートじゃない」


 照れ隠しでもなければ、怒っているのでもない。ただ、少し熱くなった。


 ……私の命は、この地に生きる人々すべてに代えられるものではない。


 誰かを殺してまで生きたいと思うほど、添い遂げたいと願うほど、恥知らずこどもではいられない。


 たとえそれが意味のない睦言、ただの冗談だとしても――ほかならぬ貴方の言葉だから、私は黙ってはいられない。


 ほかならぬ貴方が、私をこうしたのだから。


「……殿下が死にたいというなら。ぜんぶ終わりにしたいというなら、話は別ですけど」


「…………」


 真面目マジ返答レスポンスされても、といったところだろうか。困惑気味の沈黙に、私の熱も少し落ち着く。いい気味だ、と少し可笑しくなった。


「なんにしても、月はそうそう落ちないでしょう。いくら殿下の口が上手くても」


「彗星なら降ってくるかもしれない」


「……降ってくるんですか? ……え?」


「どうだろうな」


「…………。私に空の星は読めませんから。仮に降ってくるとしても、そのとき都合よく逃げ出せるかどうか」


「……ふむ。言われてみれば、自然はこちらの都合で動いてはくれないか」


「……なんですか、それ」


 まるでさっきまで、偶発的な自然災害までも計画のうちに含めて然るべきと思っていたような、そんな口ぶりである。皇族というものは、私のような庶民とはものの見方が異なるのか。


 神帝カミカド・ヒッセイ――それが、かのお方の名である。


 同じ高さに立って、同じ月を見上げていても、私たちはどこまでもいっても「庶民」と「皇族」――たとえそれが「学び舎」という場所にあったとしても。


 私だけは、この人を同じ『学生』だとは思えない。

 私だけは、知ってしまっているから。


 だからこんなにも近くに在れるのだけど。




「……はあ。しかし、私の身にもなってくれ」


 殿下は深く長いため息を吐いた。


 次期皇帝陛下の頭を悩ませる問題、それは。


「ついに明日、この屋敷に各地の姫君がたが参られる……。"ヨメ選び"が始まるのだ……」


「『晴夢ハレムの儀』です。あと、せめて『花嫁』、『妃選び』と言ってください」


「お前は知らんのだ……。それがどれだけ大変なものか……」


「殿下も知らないでしょう、これから始まるんですから」


「……むかし、父上が言っていた。あれは楽園の名を冠した地獄だと。若い娘たちのいる『接待喫茶キャバクラ』だと思って覗いてみたら、むさくるしい男たちばかりの『騎兵倶楽部キャバルリークラブ』だったかのような……」


「なんですか、それ」


 きゃば、くら? とは、なんだろう。首都の方にはまだまだ私の知らないものがたくさんあるようだが、とりあえず皇帝陛下の口から出ていい言葉でないことは分かった。


皇太子という宝を奪い合う、女たちの意地と面子の張り合い。恐ろしき修羅の場。武器ではなく言葉で互いを傷つけ合い、勝つのは一人……。まさに死合いデスゲーム


「…………」


「想像してみろ……。私はこれから、顔も気立ても良い女子に迫られ尽くされ、」


「…………」


 死ねば?


「その一方で、その女子の裏の一面を垣間見、あまりの相違ギャップに戦慄、幻滅するのだ。そのくせ、私はその中から一人を選び、愛のない相手と添い遂げなければならない」


「……それぜんぶ、殿下の想像ですよね?」


 仮にも、各国各地の姫君たちだ。そんな、腹黒い女子がいるはずが……、


「母上も言っていた」


「おかみさまも……!?」


「なにせ母上、その前回勝利者である。……熾烈極まる女の闘い、その裏では皇太子に我が子を嫁がせようとする家ぐるみ国ぐるみの権謀術数が跳梁跋扈し、次なる利権を得ようと人々が死に物狂いで暗躍する……。私はもちろん、姫君たちも多大な重圧プレッシャー心労ストレスに曝され、それはもう毎日が徹夜明けのようだと……」


「それは……」


 ……確かに、明日世界が滅びないかな、などと吐き出したくなる気持ちも、多少は分かるような気もする。なんだか申し訳ないことをした、という後ろめたさもないではない。


「こんな静かな夜を過ごせるのも、今日で最後かもしれない」


 ふと囁かれたそれが、何よりの本心だったのだろう。言葉は尾を引き、いつまでも私の心を落ち続ける。


「…………」


 私が殿下の傍に立てるのも、あるいは。


 明日、この『桔花邸』に各地から姫君たちがやってくる。既にこの都内で暮らしている方も、明日からはこの屋敷で、同じ屋根の下で、殿下と暮らすことになるのだ。


 いつ終わるとも知れない共同生活は、殿下が「一人」を心に決めるまで、続く。


 そこに、「庶民」の立ち入る余地はない。


「……明日からは、忙しくなる」


「そう、ですね」


 姫君たちはもちろん、個々人でやってくるのではない。その付き人や護衛役といった人々も、今後はこの館に常駐することになるだろう。生活の環境が大きく変わる。


 そして、『晴夢』の始まりは、これまで市井の人々の前に姿を現すことのなかった皇太子が、ついに公の場に"お目見え"することも意味する。


 直接街の管理運営に携わってこなかった殿下も、それこそ公然と、ついに政務へ着手することになるのだ。


 屋敷周りだけでなく、街じゅうがしばらくは賑わうことになる。皇太子のお披露目という数十年に一度あるかどうかといった、一大行事ビッグイベント――そして、美しき姫たちとの日常恋愛という、最高の見世物エンタメ


 皇族は神であり、支配統治する王であり、そして民草への奉仕者なのだから。




「【小帝区】でもっとも高いこの櫓から、飛び降りて――」


 夢見るように、吸い込まれるように頭上の真白の穴を見つめながら、


「お前と死ねたら、どれだけ幸せだろうか」


 まるで死だけが自由さいわいだと言わんばかりに。


わたしのいのちは奪えませんよ」


「……ならば、私はお前の何を奪えるだろう」


「奪ってばかりじゃないですか。心を、時間を、自由を、このいのちを」


「――――」


「それともなんですか、この身が欲しいとでも?」


 まずは唇から、とでもいうように、殿下は一歩、私に身を寄せた。


 私は手の甲で口元に触れながら、一歩、空間を維持する。境界を保つ。


 二歩、散歩。軽々しく、警戒を抜けて。

 四歩、護法ごほうの気配。私は身軽に、欄干に飛び乗った。


 足元には、深淵。首都の絢爛さを背にして、私は微笑む。


 手の届かないところに立って、手を伸ばそうとする貴方を見つめて。


 そうすればどこまでも、


「私は、この地に身を捧げるのです」


 沈んでいく――闇の底へと。


 そして私は、星を見た。



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