剣と魔法の異世界ファンタジーの戦場における日本人転生者の回想録

寸陳ハウス

記録① 〈王国軍〉戦列重装歩兵──マクシミリアン

 この前、初めてこの世界の戦場を経験した。ここは確かに剣と魔法の異世界ファンタジーの世界だった。でも戦場は思っていたものとはまるで違っていた。


 その日の朝、平原には今まで見たこともない数の軍旗がはためていた。従軍してから初めて敵軍を見た。軍旗には星のマークが描かれていた。

 そもそも戦場はどこなのか、これが何のための戦争かなどもわからないまま、いつものように軍は動き出していた。百人隊長に言われるまま整列した。所属する部隊は最前線となり、自分は最前列となった。

 百人隊長の号令と鼓笛隊のドラムマーチに従い、前進が始まった。地面は揺れていた。しばらく歩くと、ようやく敵の姿が見えてきた。対面する敵兵は自分と同じように槍と盾で武装していた。

 見えたと同時に、敵陣から無数の火の玉が飛んできた。次の瞬間、すぐ隣の戦列はまるごと消し炭になり、黒焦げた土くれの周りは飛び火した炎に焼かれる兵士で溢れ返っていた。単純な炎魔術なんだろうが凄まじい威力だった。戦列を構成する兵士たちは、盾も、鎧兜も、防壁魔術も空しく燃やし尽くされてしまった。


 悲鳴と断末魔の中で、自分はもちろん、部隊全員の足が止まった。しかし部隊を指揮する百人隊長は「進め!」と怒鳴り、背中を蹴った。


 また歩くのか──もちろん恐怖はあったが、このときはそれよりも疲労感の方が勝っていた。


 鎧を着、兜を被り、槍を担ぎ、盾を持ち、短剣を佩いただけで体はいっぱいいっぱいだった。そのうえに個人携帯の食料、水、備品の入ったリュックを背負うので、最初は動くことさえままならなかった。しかし行軍は徒歩だった。それは末端に限ったことではなく、馬に乗るのは騎兵以外では上級指揮官、馬車にのるのは魔術兵と後方事務員、そして自力で歩けない負傷兵だった。一瞬で場所を移動することが可能なファストトラベルも魔術としてあるらしいが、この世界でそれは魔術を極めた者のさらに一握りが体現できるという、ほとんどオカルトの類だった。


 再び前進が始まった。空には炎が飛び交っていた。目の前の敵軍はこちらと同じように炎に焼かれていた。

 しばらくして、今度は矢が空を飛び交った。矢は盾で防げたが、隣の兵士は膝に矢を受け動けなくなってしまった。「隙間を埋めろ」と百人隊長が怒鳴ると、二列目の兵士が前に出てきて隣に並んだ。

 地面が揺れが激しくなった。どこからか現れた敵騎兵が戦列に突っ込んできた。随伴召喚獣だろうか、馬郡の中には牙を剝き出しにする猛獣もいた。

 「構え」という百人隊長の号令とともに、その場で盾の上に槍を構えた。押し寄せる地鳴りとぶつかった瞬間、腕がもげたと思った。しかし構えた槍の穂先は馬の体を刺し、敵騎兵は落馬した。

 起き上がろうとした敵騎兵を隣の兵士が刺した。思わず隣の兵士と目が合った。そしてお互い笑った。しかし次の瞬間、彼は馬よりもさらに大きな影に襲われ倒れた。

 戦列に唸り声と悲鳴が響いた。猛獣の牙は鎧を貫き、腹を食い破っていた。半分になった体の至るところから血が噴き出し、それが雨のように降った。

 前からは炎、矢、騎兵、戦列歩兵。隣には猛獣。どうすればいいかわからないまま、暴れる猛獣に体を吹っ飛ばされた。ぶつかった瞬間、全身の骨が折れた気がした。でも動けた。地面は堅かったり柔らかかったりした。起き上がると、吹っ飛ばされた先には死体が散乱していた。

 槍と盾はなかった。自分の物が見つかるはずなどないが、しばらく辺りを探した。探しながら、ふと顔を上げると、最前列では何が何だかわからなかった戦場が初めてよく見えた。


 空も、地も、人も、何もかもが燃えていた。


 重装戦列歩兵の槍と槍がぶつかり合い、軽装歩兵が剣で切り合い、弓兵が一心不乱に矢を放つ。騎兵が駆け、随伴召喚獣が暴れ、魔術兵が炎を、防壁魔術を、治癒を操る。その全てが、悲鳴、怒号、断末魔と混じり合い、入り乱れ、響く。しかしそんな戦場の音がどれだけ大きくなっても、鼓笛兵のドラムマーチは鳴り止まない。


 それを見て、ここは確かに剣と魔法の異世界ファンタジーの戦場だと思った。


 どれだけその様子を眺めていただろうか。突然、後ろから殴られた。反射的に腰の短剣を抜いた。装備に鷲のマークがあれば味方で、星のマークがあれば敵兵であるが、ハンマーを持ったその相手は血と泥に塗れて何者なのか全くわからなかった。だが襲われたので刺し返した。

 刃は相手の腹に刺さった。だが相手はまだ殴ってきたので、今度は相手が動かなくなるまで何度も刺し、殺した。しかし正直なところ、あれが敵兵だったかどうかは今でもわからない。


 その後は味方の部隊に拾われ、槍と盾を持たされ、そのままそこで使われた。今度は戦列後方となったため、最初は槍を振り下ろすだけだったが、前の兵士が死ぬたびに前に出るので、最後には結局最前列で敵とどつき合う羽目になった。やがて、勝ったのか負けたのかもわからないまま、日暮れとともに戦いは終わった。


 生き残りはした。しかし疲れ果てた。動けなかった。

 その後、蹴られて目覚めた。気付くと朝になっていた。所属する部隊は半分になっていた。目の前には相変わらずあの百人隊長がいた。


 また思った。ここは確かに異世界だった。しかし特別なスキルも、便利なチートも、上位者からのギフトもなかった。普通は与えられるであろうものは何もなかった。あったのは己の力でどうにかしなければ見捨てられ死ぬだけという現実だった。


 この世界に転生した当初、自らを上位者と呼ぶ天の声に挨拶はされた。しかしその後は「マクシミリアンと名乗れ」と言われたくらいで何のフォローもなく、どこかの森の朽ちた神殿前に捨て置かれた。

 のどが渇いたので川の水を飲んだら腹を壊した。食料もなく、どうにもならなくなってとりあえず町に出た。しかしこの世界の住人と接し、まず言葉が通じないことに焦った。唯一通じた言葉は「日本人か?」という言葉だけで、「日本人だ」と返すと町の人材斡旋業者のもとに案内された。

 人材斡旋業者はヨーロッパ系の白人女性だったが日本語で話せた。ただ、「また日本人か」と呆れられた。

 何がしたいかと希望を訊かれたが、まず、騎士、魔術師、聖職者、貴族などの人気の職種は、相応の地位や技能、素質がなければ無理だと説明された。次に、農奴、荷運び夫、掃除夫、鉱山労働者などの中で一番の花形が兵士だと紹介されたし、それが一番マシな選択肢だと思った。それで〈王国軍〉に参加することになった。


 でも、今は兵士なんてやるんじゃなかったと後悔している。兵士が、戦場がこんな壮絶なものだとは思いもしなかった。そうはいっても、言葉も通じないこの世界で他に生計を立てれる仕事は現状思いつかない。

 5年──自分が所属する部隊を率いる百人隊長は、それで軍属から解放され、この世界の市民権を貰え、年金で生活できると言った。希望するなら退職金で元の世界に戻ることも可能だと話した。


 残り4年半。無事に生き延びられれば、元の世界、日本に帰れるかもしれない。でも自分は望んでこの世界に来た。それなのにまたあの平和で退屈な日常生活に戻るなんて、情けなさすぎる。


 残り4年半──それは希望で、絶望だった。


 この世界は日常的に戦争をしていた──こんなのがあと4年半も続くのか──疲れた。もう何も思い出したくないし、何も考えたくない。元の世界のことも、この世界のことも。

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