「僕は反対です!」「ですよね」

 渡された誓約書を握り締め、第二王子ジュリアンはプルプルしていた。小型犬みたいでちょっと可愛かった。


「……み、身分の差が埋まっても……陛下のおっしゃる通り、この地味女が王妃にふさわしくなければ、どうにもならんでしょう……!」

「それについても調査済みだ。これはジーナの、学生時代の成績表。学友に聞き込み調査をして分かった日常の過ごし方、食堂でよく食べるメニューとお小遣いの使い方」


 なにさらしとんじゃボケェ!!!!


「成績は上の中、無遅刻無欠席、全ての事柄において欠点らしい欠点はない。何か特別な才能があるということはないが、そこがよいと私は思う。厳しい后教育にも根気よく取り組んでくれそうじゃないか。生き物係としてウサギの世話もちゃんとやってるし……」


 調査員がすごいな。


「さらに実家の木綿問屋は小規模ながら順調、実父のトム・モビール氏は働きながら、妻亡きあとは男手ひとつで娘を育て上げ、取引先にも近隣住人にも人柄を評価され、行きつけの弁当屋の売り子ベラ(人妻)にも密かに想いを寄せられている」


 調査員ほんとすごいな!?

 優秀すぎて惚れそう。この調査員と結婚したいです。その方があたし、幸せになれる気がします。


「――以上をもって、ジーナは未来の王妃とすることを見据え王宮に入ってもらうのに十分な人材と確信している。しかし王宮で、ジーナを悪く言う口さがない者もいるだろう。そこで私は、公爵邸を訪ね、ジーナの後見人となってくれるよう頼んでみた! ちょうど令嬢の侍女兼茶飲み友達を探していたとのことで、快諾された! 公爵令嬢の親友となれば、サロンでイビられることはないだろう!」


 ……もう突っ込む気にもならない。

 黙って目をそらすだけのあたしの様子に、エリオット王子は何を思ったか、不意に両手をガシッと掴んできた。きらきらと無駄に光る青い目で、あたしの顔をじっと見つめて、


「それでもなお、君を傷つける者がいたら……私が守る。誰が相手でも、必ず」


 いや守らなくていいです。

 それよりおうちに帰りたい……。



「は……話にならない。不愉快だっ! 僕は失礼させてもらう!」


 そう言って、ジュリアンはサロンを出て行った。


 あーあ……怒っちゃった。

 しかしエリオットはニコニコとしたまま、弟に「行ってらっしゃい」と軽く手を振ると、改めてあたしの手を取った。


「ではジーナ、踊ろうか」

「……え。で、でも……」


 あたしは辺りを見回した。やっぱり、ものすごい数の視線があたしたちを取り囲んでいる。周りにいるのは貴族、王族、貴族、貴族、大金持ち、王族……全員きらびやかに着飾っていて、なおかつそれに負けない華がある。このパーティードレスも、彼女らにとっては普段着同然なのだろう。衣装に着られているようなあたしとは立ち振る舞いが全く違う。貴婦人たちの赤い唇から「誰、あの地味な子?」という声が聞こえてくるようだ。

 これは照れるとかいう問題じゃない。嫌だ。

 あたしも女の子、王子様との舞踏会に憧れたことが全くないわけじゃない。しかしこれじゃあただの見世物、晒し者だ。楽しい気持ちで踊れるはずがない……。

 あたしが本気で嫌がっているのを察したのか、王子は寂しそうな顔をして……手を離してくれると思いきや、逆にぎゅっと握りしめ、強くあたしの体を引っ張った。何!?


「おいで、ジーナ!」

「ど、どこへですかっ?」

「人目のないところ。君は人前で話をするのが苦手な子なんだね?」


 違う、そういうこととはちょっと違う。

 合ってるけども、ちょっと違う。


「秘め事は二人きりで。それには私も賛成だ。さあ、静かなところへ行こう。さあさあさあ」

「ちょ、ちょっと待って……っ」


 本当は「離して!」と大きな声をあげたかったけど、そうすると余計に目立ってしまう。あたしは口をつぐんだまま、王子様に引っ張られていったのだった。



 エリオットがあたしを連れてやってきたのは、サロンから離れた静かな場所。庭園の景色を望むことができるバルコニーだった。

 星空を背景に、王子様はキラキラ輝く笑顔で言った。


「ここなら誰にも邪魔されないね」

「そうですね」


 あたし的には、あなたが今あたしの人生の邪魔者ですが。という言葉は何とか飲み込む。


 ……さて、この男を一体どうやって巻いたものか。いや、この場から逃げ出したところで、この男はそれに気づきもしない。必死であたしを探して迷子になったと思い込んで諦めないだろう。それならいっそ、ちゃんと言った方がいい。


「ジーナ、改めて君に伝えたいことがあるんだ」


 そうそう、あたしも言わなくてはいけないことがある。


「私は、君のことが好きだ」

「あたしは嫌いです」


 王子の目が点になる。


 ――ああっ、思わずそのまんま返してしまったっ!

 あたしは慌ててブンブンと首を振った。


「ち、違います、すみません、嫌いではないです!」

「そ、そうだよな? そうだよなっ?」

「はい! ただ好きじゃないってだけです!」

「ぐはぁっ!」


 なぜか吐血するエリオット。


 えっ、これも駄目だった!? 我が国の王太子殿下を振る文言、なんていうのが適切なの!?

 よろよろしながらバルコニーの手すりを杖にして、立ち上がるエリオット。


「す、す、好きじゃない……というのは、その……つまりどのくらい好きということだろう」

「ええっ?」

「この愛のために死ねるを5、大好き今すぐ結婚したいを1として、5段階評価のどのあたり……」

「その感じだとたぶんマイナス12です、なるべく関わりたくないがマイナス10くらいなので」

「がはあっ!」


 再び吐血するエリオット。

 大丈夫? この失血、致死量ちがう? 王国存続の危機だったりしないよね?

 なぜか王太子があたしに好意を持っているらしい、ということには、さすがのあたしも気付いていた。しかしまさか、ここまでダメージを与えるとは思っていなかったのだ。

 だってこの舞踏会のお誘いも、婚約者を間違えたお詫びで。あたしへの好意ももともと婚約者だと思って見ていたからで……。


 ……ただ顔が好みのタイプだったから。それだけ……違うの?


 それだけではなかったから、こんなにもあたしのことを強く求めてくれているの?


「エリオット様……どうして、あたしのことをそんなにも。身分の垣根を越えてまで、あたしを妃にしたいと思われているのでしょうか」


 あたしは問うた。なぜか手を、祈るように胸の前で組みながら。

 エリオットは答えた。


「顔が好みだったから……」

「……。…………そ。それだけ?」


 思わず、問い返す。エリオットはシリアスな表情で、端正な顔を横に振った。


「それだけじゃない。体型もストライクだ」

「それってつまり貧乳フェチ」

「違う。正確に言うとバランスだ。乳房が小ぶりであることと胸元に肉が無いとはまた違うだろう? 君は貧乳というより鳩胸なんだ。全身の配分加減と言おうか……乳以外の部分が骨ばっていない、なんなら肉付きが良い寄りの太さと柔らかさがあって、華奢過ぎない……」

「だいぶ気持ち悪いです王子」

「サプライズ感が良いのだ。贅肉はないがくびれも無く、そのままなんにもないかと思いきや尻がでかい」

「なんやわれこら」


 思わず暴言が飛び出たが、王太子は気にもしなかった。心なしか顔がホクホクと楽しそうにのぼせている。


「ふくらはぎが発達していて足首がきゅっと細いのがたまらなくセクシーだ。このアンバランスさが絶妙なバランスなんだ。端的に言って抱きしめたい。抱き枕にしたい。頬ずりしながら寝たい。つむじから爪先まで全部私の理想だ。わかるか? わからないだろうな。わかってくれ」

「わかりましたけど気持ち悪いです」

「ガッフォゥッ!!」


 王太子、本日三度目の吐血。

 今度こそ地面に膝をつき、しばらく悶絶をしていた王子。


 …………このひとは、ちょっと直情的だし思い込みは激しいけれど、人の話を聞き入れないわけではない。ちゃんと訂正すれば、本人の中でも更新してくれる。

 あたしは、あなたの想いを受け入れない――そうはっきりきっぱり伝えれば、ちゃんと、理解する。

 あたしは彼と向かい合い、ゆっくりと、気持ちを伝えた。


「あたしは……あなたに好意は持っていません。一方的に好意をもたれるのは、迷惑です。……ごめんなさい」


 エリオットは、あたしが話している間、じっとあたしを見つめていた。聞き終えても無言で、その場で微動だにしなかった。

 結構な長い時間が経過して――エリオットは立ち上がった。そしてあたしの目をまっすぐに見て、頭を下げた。


「……わかった。……もう、無理は言わない。今日は来てくれてありがとう。私のことは気にせず、食事を楽しんでいってくれ……」


 そう言ってからバルコニーを出ていくエリオット、若干その足元がよろよろふらふら揺れている。白いマントを羽織った背中が、煤けて真っ白になっているようだった。


 なんか……悪いことしたかなぁ。


 エリオットに言った言葉は、真実本心だった。王子と村娘、どうせ結ばれることのない身分差。そうでなくても、顔面の作りを見比べれば彼とは不釣り合いなことなど一目瞭然だ。深い仲になれるわけがなく、中途半端に関わるのは百害あって一利なし。


 地味に生きたい、というわけではないが、人に恨みを買うような悪目立ちはしたくない。地味顔に生まれて十八年、あたしなりに築いた処世術なのだ。


 ……でも………。



 見えなくなった彼の背中の残像に、あたしは呟いた。


「好意が迷惑、はちょっと嘘……」


 本当は、嬉しかった。王子様があたしなんかに、と光栄でもあるが、それ以上に、あたしは彼という人間に好感を持っていた。

 今日みたいに無理やり攫われるのは御免だけども、いいひとだと思う。伝えてしまうとややこしくなるから、口に出さなかったけどね。

 ……理由はなんにせよ……あんなにあたしのこと好き好き言ってくれる人、この先もういないだろうしな……。


 ……でもあたし、王妃になんかなれないよ。


 なんとなく肩を落としながら、王子が去っていった道をたどる。王宮というのは無駄に広大だ。さっきのサロンに戻るまでに、わたしは長い道を歩いて——



「動くな!」



 突然、後ろから口を塞がれて、近くの部屋に引きずり込まれた。

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