Black Box

チヌ

シオンの憂鬱

 深夜、未だ人がちらほらと残るオフィスの中で、如月は大きな伸びをして息を吐いた。月末月初は特に忙しく、経理部の残業は事後申請を黙認されている。ブルーライトをずっと目に浴び続けているせいか、凝りが肩や頭にまで広がっている気がする。眼鏡を外してほんの少しの休息をとっていると、首筋に冷たい金属が当てられる感触がした。

「お疲れ様。コーヒーはブラック、だったよね?」

 差し出された缶を受け取り、一息に飲み干す。その様子を、上司の清水は可笑しそうに見ていた。一気飲みをすることに対してか、ゴクゴクとよく鳴る喉に対してか、どちらにしろこの華奢な体格に似合わない豪快さが面白いのだろう。

「お疲れ様です。ご馳走様でした」

「はは、相変わらずいい飲みっぷりだ。仕事も順調みたいだね」

「恐縮です」

 如月は先月ここに派遣されてきた。清水は如月の教育係であり、独り立ちしてもこうして何かと世話を焼いてくる。

「君が来てくれて良かったよ。優秀な人材はいくらいてもいい」

「評価していただけるのは嬉しいです」

 如月の視線は、清水からブルーライトを発する画面に戻っていた。見事なブラインドタッチで打ち込まれていく数列は、見ていて気持ちが良い。清水は如月を眩しそうに眺め、自分も手に持っていた缶コーヒーを煽った。

「今は仕事一筋、って感じかい?」

「今は。他にすべきこともないので」

「真面目だね。羨ましいよ」

 いつの間にか、二人以外の社員の姿はなくなっていた。オフィスには如月のタイピング音だけが規則正しく響いている。時刻は23時。そろそろ終電車もなくなってくる。

「君の前にも、何人か優秀な子たちがいたんだけどね。みんな辞めていってしまったんだ」

「なぜですか」

「仕事が出来なくなった、って言ってたよ。辛いとか向いてないとかじゃなく。不思議でしょ?それもみんな、俺が担当してたから、尚更」

「清水さんのせいじゃないでしょう」

「うん、俺もそう思ってたんだけど、どうにもそうじゃないみたいなんだよね」

 清水が伸ばした手は、そこにいたはずの如月を捉えなかった。代わりに薄紫の花弁を持った小さな花を握っている。花はみるみるうちに萎れ、色褪せて醜く縮んだ。

「知識、さらに生命力を奪う…切り花程度なら枯らせてしまえるわけか」

 その声は清水の背後から聞こえた。何やら熱心にメモを取っているのは、黒い箱を被った人物。清水もその黒い箱に見覚えがあった。

「ブラックボックス、か?」

 超能力による犯罪を制圧する専門の組織、通称「black box」。彼らは黒い箱を頭に被り、その素性は公にされていない。

「清水敦彦。あなたには超能力犯罪に関わった疑いがあります。抵抗はせず、ご同行願います」

 しかし、その冷淡な声は清水の部下である如月のものだ。清水の顔に、歪んだ笑みが浮かぶ。枯れた花は彼の手から滑り落ち、さらに彼の靴底に痛々しく踏みつけられた。

「これは傑作だ…君の力が俺のものになるなんて」

「無駄な考えは捨ててください。荒事は嫌いなんです」

 清水は驚くべき瞬発力で如月に近づいたが、如月には指一本触れることが出来ない。軽やかな身のこなしで、如月は清水を翻弄する。清水の顔に段々と焦りが浮かんでくる。

「畜生、ふざけやがって!」

 清水の周囲に細かな水滴が集い、それが如月目掛けて放出された。しかし、突如出現した植物の壁が、水の侵攻を妨げた。

「驚いた。まさか超能力まで奪っていたなんて」

 如月は足元が水に触れないよう、大きな花の上から清水を見ていた。人一人が乗っても平然と支えられるような花など、この世に存在するのだろうか。

 清水が次なる攻撃を仕掛けるより一瞬早く、如月の黒い箱にメッセージが届いた。


『使用許可 承認』


 如月が両手を合わせると、清水の手や、足元に植物のツタが絡み合い、それらは瞬く間に清水の動きを封じた。しかし、清水に触れられた植物は生命力を失っていく。一進一退の攻防に見えるが、徐々に清水の動きは鈍っていった。

「お前、俺に何をした!?」

 清水は焦りを隠さず如月を睨みつける。如月はやれやれという風に、自分の手の中で花を咲かせた。

「後天性の超能力者によくあることですよ。あなたは自分の能力の良い面ばかりに気を取られて、代償を全く考えなかった」

 如月が花弁を千切ると、そこから赤い液体が滴り落ちた。よく見ると、清水が踏み躙った花や、枯らした花も赤黒く滲んでいる。

「あなたのおかげで、僕はこの先一週間貧血確定ですよ。思うに、あなたの能力は他人の良いところだけをピンポイントで奪えるわけじゃなく、おまけがついてくる。植物に思考があるかはわかりませんが、その様子だと違うものを奪ったみたいですね?」

 植物に覆われていてよく見えないが、清水の皮膚がところどころ緑色に変色している。今は恐怖で顔が引き攣っている清水に、如月はため息を一つ吐いた。

「良い上司でしたよ。他人から奪わなくたって、あなたなら綺麗な花を咲かせられたでしょうに」

 オフィスのドアが開き、黒い箱を頭に被った集団が入ってきた。如月は清水を振り返ることなく部屋から出ていき、清水は何かの注射を打たれたような感覚で意識が遠のいた。

「任務、ご苦労様でした。如月隊員」

「恐縮です、部隊長」

 如月紫苑はblack boxの第二部隊諜報班に所属する潜入捜査員である。今回の任務は立て続けに起こる社員の失踪に超能力者が関わっているという情報を入手したため、真偽を確かめるべく潜入し情報を収集するというものだった。最も、犯人自ら尻尾を出してくれたため、如月が対処せざるを得ない状況になってしまったのだが。

「犯人は会話が出来る状態ですか?」

「手加減はしたつもりです」

 箱越しにでも、部隊長の苦笑がわかった。如月の能力は「任意の場所に紫苑を咲かせる」というもの。ただ、紫苑が育つには苗床が必要である。土壌なり、肥料なり、日光なり、それらの調達は如月自身がしなければならない。最初に握らせた紫苑は如月の髪の毛を使った。巨大な紫苑には血液を。清水を覆った紫苑たちには……。

「再三言っていますが、気をつけてくださいね。あなたはSランクの隊員です。万が一のことがあれば、人為災害に指定されるかもしれないということをお忘れなく」

「理解しています」

 数年前、山間の村が一晩で廃村になるという事件が起きた。如月はその村唯一の生き残りであり、廃村にした張本人でもある。当時、現地で対応に当たった隊員は、その村の様子に絶句したという。


『その村は、とても美しかった。一面に紫苑が咲き乱れていて、家屋や内装にも紫苑があしらわれていると、その時は本気で思ったんだ。……咲いている紫苑が、全部人型に沿っていたなんて、気づかなければ』


 如月紫苑は当時のことを「覚えていない」と言う。超能力発現直後と思われる子供の超能力の暴走は、罰せられない。事件は災害として処理され、如月はblack boxに引き取られた。

 次に同等以上の規模の事件が起これば、如月は人為災害に指定され、一生を自由のない世界で過ごす。それはさすがの如月も御免蒙りたい。

(まあ、面倒な仕事は多いけど)

 清水から抜き取った一輪を花瓶に飾る。醜い人間から咲いた花は、こんなにも美しい。その事実が如月の憂鬱を少し軽くする。今までのコレクションを合わせると、もう随分と集まった気がする。不思議なことに、如月が咲かせた紫苑は、自然に枯れていくことがない。

(この紫苑たちのために、生きなきゃね)

 明日も朝が早い。如月は月明かりの差し込む部屋に鍵をかけた。

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