エディン
谷樹里
第1話
「おまえはここにいるべき存在じゃなくなった」
黒い影の声は少女に向けたものだった。
まだ、十歳前後である。
「ここから地上に堕ち、一生をかけて己の罪を償うがいい」
少女は黙っている。
その細い脚元が、塵のように崩れてゆく。
「……私は忘れない。あなた方の罪を」
全身が散り散りになる寸前に、ライリは辺りに群がった影を見渡した。
彼女の身体は完全にエドゥンから消え去った。
「リイルが死んだだと?」
サッス・コミュニティの本部。
一瞬茫然となったパラミーだったが、すぐに怒りに手を震わせて聞き返していた。
『会議中に、自動操縦の巨大タンクローリーが突っ込んできて、支部の幹部は全員犠牲になりました』
連絡してきたのは一般人に紛れているサッス・コミュの男だ。できるだけ冷静な口調を心がけている様子だ。
パラミーにはそんな余裕はない。
握りしめた小さめの拳でテーブルを叩き、悪態を吐く。
ウルフカットで細い身体にぶかぶかの防弾繊維のロングTシャツにハーフパンツをはいている。黙っていれば、少女のような白い整った少年と見えなくもない。十七歳である。ただ、目に険があって三白眼であり可愛げのなさも同居している。
二代目のリーダーだった。
「……犯人は!?」
背後でさも痛快気な笑い声がしている。パラミーはあえて無視した。。
『タンクローリーの線をたどったのですが、小柄でボブカットの少女を見たという証言が三件ありました』
男が言いたい人物は明白だった。
「ライリのやつめ……」
パラミーは苦々しく吐き捨てた。
『辺り一帯は火の海ですよ。いくらなんでもこれはやりすぎです』
冷静なはずの潜入員だが、不快気を隠しもしなかった。
パラミーは壁際の男に目をやった。
山高帽に電子タバコ、防弾繊維のコートに、軍靴を履いている。
二十代前半。無精ひげをそのままに、彫の深い顔をした長身痩躯だ。
「何が楽しい、クーラン」
クーランは煙を吐いて、鼻を鳴らした。
声を出すのはやめたが、にやけた表情は変わらない。
彼は元々サッス・コミュニティの人間ではない。
ライリと同じコミュニティに属していたのだ。
そのリーイ・コミュニティは、サッス・コミュニティに壊滅させられていた。
その癖にサッス・コミュにいるクーランは、裏切り者といえよう。
「いやぁ、リーイの残党程度に慌てふためいているのがな。ここまでサッスをでかくしたんだ、堂々としてろよ?」
「でかくしたのは先代だ」
「あー、そうだったなぁ」
「なんかあるだろう、元同僚としては」
クーランはパラミーは片眉だけ跳ね上げた。笑みは消えている。
「俺の責任だとでも言いたいのか、まさか。そこまで頭腐ったのか?」
「いや、そうじゃない」
顔を伏せて深く息を吐き、パラミーは自分を落ち着かせた。
すぐに組織を総動員した厳戒態勢にして、ライリと思われる少女に対処する。
それでも表情から怒りは消えていなかった。
リイルはコミュニティにとってかけがえのない技師だった。
ライリはそれを知っての行動なのだろう。
「見つけたら、捕まえて引き出してこい」
彼は冷たく構成員に命令した。
大陸の諸都市は電網と呼ばれるネットワークの線に包まれていた。
人々はいつでもどこでもネットワークにアクセスでき、最も濃い電網が張られているのが、東洋の小島群にある電脳都市タイリンだった。
国中に電網を張り巡らしているために、他国とは孤立していると言って良い。
荒廃した大地の国を見限った人々はコミュニティという組織を作って、理想の政府とそっくりな保証と待遇を得ていた。組織によって大小様々様々だが国の中に国があるようなものだ。
サッス・コミュニティはそんな都市タイリンのなかの一コミュニティだった。
フードを被ったライリは、タイリンにある繁華街で露店が並ぶ通りにいた。
小柄で華奢な身体は大き目のロングパーカーに隠されて、ショートパンツの上のプリーツスカートがやや裾からはみ出している。長く細い袋を左手に持っていた。
彼女はぶらぶらと、露店を物色しながら歩いている。
夜に照らされた通りは賑わいを見せている。ローマ字や漢字の看板が瞬き、露店の中の明かりは星も消し去るほどだった。
タイリンは星のない街と言われる所以だ。
「おやっさん、テイクアウトで豚骨ひとつ」
ライリはラーメン屋台の中に向かって注文した。
すぐに威勢の良い返事が返ってくる。
ラーメンができるまで、辺りを見回した。
人々は一つの影ではなく、それぞれ幾つか持つものが多かった。
電影だ。
インターフェースである。
タイリンでは、電影が無くては仕事も生活もできない。
なぜなら、電影が電網とつながっているからだった。
ライリも二枚、電影を広げて立っている。
通りに立っていると、わき道から現れた一団と目が合った。
「いたぞ、ライリだ」
一人が叫ぶ。
その時にはもう、ライリはさらに二枚の電影を広げていた。
六人ほどの一団は、怪訝そうに足元を見た。
新たに影を広げても、電網の一般サービスにしか繋がらないのだ。
「どーしたのかなぁ?」
前髪を掻き上げると同時にフードから顔を出したライリは悪戯っぽく笑んでいた。
「くそが。アクセスブロックか」
一人が忌々し気に舌打ちする。
ライリが広げたうちの一枚の電影が原因だった。
身体のスピードを極限までアップさせる影だ。
それにしても、処理が速い。
「今帰るなら、良いこと教えてあげるよ?」
「なんだよ、言えよ」
皆若い男たちは、聞きつつ懐から拳銃を抜く。
何気ない歩調と変わらない様子で、ライリに近づいてくる。
「エターの件はやつが自ら望んだことだったんだよ」
「くだらねぇ、駄法螺吹いてるんじゃねぇよ」
彼らは足を止めた。
すでに彼女との距離は十メートルを切っている。
拳銃で狙える距離ギリギリだ。
ライリはため息を吐いた。
「あー、おまえらみたいなクソのおかげでラーメン食べそこなったじゃないかよ」
「ご愁傷様だな」
彼らは拳銃を構える。
「おまえら、本当の下っ端だわー」
ライリは左手の袋の口を開けた。
柄が見える。右手を添えて、彼らが返事する前に跳んだ。
この距離を一気に超えて、抜きざまの横薙ぎの一刀で一人の首を簡単に飛ばす。
「なんだ!?」
「帰って怒られるのと、死ぬのはどっちが好みなの?」
言いつつ、慌てている二人目に、振り切ったところを重心として刀を返し、また頭部を切断する。
同じ動作で、傍の男の胸を貫く。
三人は悲鳴も上げられなかった。
「ち、畜生が!」
銃声が響き、弾丸が空を斬る。
いつの間にか、ライリは残った彼らの背後にいた。
一人を袈裟斬りにして、二人目に跳ぶと払うように拳銃を持った腕を飛ばし、二刀目で顎から頭の頂点まで刀を差し込む。
電影が使えない彼らはあっけなく残り一人になった。
一方のライリは、電網遮断と縮地の処理をする電影を広げている。
電網から遮断された時点で、彼らには勝ち目はなかったのだ。
触れ違いざまに最後の一人の胴を薙ぐ。彼が倒れる前に刀を振って血を払うと、袋に入れていた鞘に納刀する。
「ここもダメか」
独白して電影を仕舞った。
ライリはそのまま足早やに屋台通りから姿を消した。
いつまでも反応がない。おかげでパラミーは椅子に座り、机を前にしながらうつらうつらとしていた。
クーランはソファに腰かけていた。スキットルからウィスキーを口にしつつ、嗤っていた。
この状況で寝れるとは、パラミーも大物だ。
「パラミー、イベク社からの客だ」
部下に言われ、彼女は我に返るように目を覚ました。
「……ああ、通してくれ」
クーランは座をはずそうとする気配がない。
パラミーは気にしなかった。
この男の行動に文句をつけるなら、一挙一動を相手することになるのだ。あー言えばこう言うという人間なのだ。
ついでに都合が良いのは、ちょうど護衛になる点だった
現れたのは、人の好さそうなデザイン眼鏡をかけた二十代の好青年といったスーツ姿の男だった。ただ、オーバーコートを肩掛けしているのが、強い印象にとらわれる。
わざわざ通信ではなく直接現れたのが、重大さを物語っていた。
というのに、ヒィユという彼は相好を崩していない。
そうとうな胆力だ。
もう一人。可愛らしい十五歳ぐらい。こちらはコートを着て長髪をおさげにした、鍔なし帽を被ったにした少女が付いてきていた。
整った容貌だが、能面のように表情はない。
クーランは整形手術だとしっていた。だからと言って顔の感情まで整えてくれるわけがない。 生来の性格によるものだ。
「よぉ、ヒィユ。その人形に今度はいくらつぎ込んだんだ?」
クーランは浮かせた顎で見下ろすようにしながら、電子タバコの煙を吐く。明らかに嘲笑している。
「安いですよ。指二本ほど」
その単位が百なのか千なのかわからないが、ヒィユは屈託なく答えた。どっちにしろ安いというならそのままの意味だろう。
「で、こっちは忙しい。何しに来た?」
パラミーは不機嫌を隠しもしていない。
「お見舞いですよ。あとリイルの件で」
サッス・コミュニティのリーダーがうかがうように黙る。
タイリンに本拠を置くイベク社は、大企業と言っていい。会社用の土地で繁華街を一つ持っているぐらいだ。
そのイベク社のヒィユは課長代理という待遇を受けていた。
昔からサッス・コミュニティを評価し、資金援助なども裏でしている。
パラミーには苦手な男だった。
何しろ、先代からの付き合いなのだ。
まだサッス・コミュを受け継いで日が浅い彼女は、様々なところからプレッシャーを感じていた。
「リイルがどうした?」
「彼は特別にわが社と関係がありまして。データが残っているなら全てを譲りうけたい」
「アレは全部、破壊されたぜ?」
クーランが横から声を上げた。
「あなたは信用してませんので。話しかけないでください、クーラン」
ヒィユは視線もやらない代わりに眼鏡の位置をなおす。
「なんでだよ、ひでぇなぁ。人のこと首にするわ、信用しないとか言うわ、イベク社は鬼畜かよ」
「なんとでも言ってください」
わざとらしくぐだを巻いてみせたが、彼はあくまで冷え冷えとした対応だった。
クーランがリーイ・コミュニティに属しながらそれを壊滅させたサッス・コミュニティが拾ったのは、彼が元イベク社員だったという点もあった。
「……せっかくだが、クーランの言うことは本当だ。リイルの電網データは全て消去されている。で、どうしてやつのが欲しいんだ?」
「困りました。上司からは力ずくでも良いからもってこいとのことで。消去されたならその証拠というか言い訳に使えるものと、お土産が必要です」
ついでにやれやれと口にする。
「元リーイ・コミュニティの生き残りでライリというやつがいる。リイルを殺した本人だ。やつなら何か知ってるだろう」
パラミーの口調は淡々としていた。
「どこにいるんです?」
「わからん」
ヒィユはため息をついた。
そして、手にしていたバッグを机に置いた。
「これは見舞金です。先代なら、リイルは死ななかったかもしれませんね」
強烈な一言を残し、ヒィユは本部の建物から出て行った。
パラミーは両手で思い切り机をひっくり返した。
派手な音が響き、カバンから札束が舞い散る。
「……俺だって全力でやっている!」
床を見つめながら、低く呻く。
リーイ・コミュニティを潰す前、パラミーはライリにも声をかけていた。
だが、彼女は笑ってはっきりと断ってきた。
リーイ・コミュを潰したのは、パラミーにとって記念な意味もある。中堅どころでそこそこ名の知れたコミュニティならどこでもよかった。要はリーダーという地位の地ならしだった。
リーイ・コミュはたまたま、その犠牲に選ばれたのだ。
それが、意外にも面倒なことになりだしていた。
パラミーは息を整えると、舌打ちしてついでに札束に蹴りを入れた。
「で、どうしてイベクからあいつが来たんだ?」
パラミーは椅子に座り直し、ソファのクーランに聞いた。
「知らんのかい」
わざと焦らしついでに小馬鹿にするような反応が返ってくる。
「知らないよ」
まわりはそれぞれの仕事に行ったため、二人きりだった。
こうなると、パラミーは気が弱く決断力がない堂々巡りする頭の中をさらけ出す。
たまに怒りを爆発させたり、不機嫌なさまを見せるのが、自分自身に対する演技ではなかろうかと、クーランは怪しんでいた。
「あいつの支部だって、先代が決めたことだし。俺がリーダーになったといっても、元々末端だったし」
「どうして、おまえをリーダーに指名したんだろうな、エターは」
「それも知らない」
エターは弱小コミュニティだったサッスを中堅まで。そして大手まで手が届くかどうかのところまで大きくした男だった。
彼はある日、電網のコミュニティ内公用掲示板に後継者を指名しておいて、主なコミュニティ・メンバーを惨殺し姿を消した
サッス・コミュニティはエターに恨みをもつ者が多い。
それだけに、目立ちもしなかったパラミーへのリーダー指名は構成員たちから不満や不信が吹き荒れた。
パラミーは元路上生活者で電網寄生者だった。
寄生していた電網を発見したのはエターで、すぐに自分のコミュニティに誘った。
はじめは拒絶していたが、何度もさりげなく現れる男に、仕方なく同意したのだった。
以降、彼は目立たない構成員としてたったの二年、コミュニティ内では名前も知らない者が多いなか、静かに暮らしていた。
「おまえ、最近なまけすぎじゃねぇの?」
「なんだよ、こうしてリーダーとして忙しくしてるじゃないの」
あからさまにむくれてくる。
ダメだなぁとでも言いたげに、クーランは横を向いて天井に煙を吐きだす。
「おまえの特技は電網弄りだろうがよ。リーダーが私リーダーですって力んで言うだけ主張したって、ハイそうですかとついててくるやつなんていねぇよ」
パラミーは苦い顔して、一瞬呻いた。
「それも……そうだね」
自嘲するように、パラミーは笑んだ。
すぐに、空中に文字や映像を映し出す浮遊ディスプレイの窓を四つほど開く。
エディータのデータとサッス・コミュニティの歴史、リイルの経歴、ライリのデータ、イベク社の情報などが机の所せましと文字を溢れさせる。
「エディン……計画?」
エディータとリイルのデータの中に頻繁に出てくる単語である。
似たものを聞いたことがある。
死んだ人間は電影となり、電網がつくった楽園に住めると。
一般にはただの与太話とされている。だが、電網世界で長く暮らしていたことのあるパラミーには、そのような空間が幾つかあることを知っていた。死んだ人間がという点は不明だったが。
「イベク社はこれを造ろうとしてるって訳?」
彼が振り向くと、スキットルを持ったクーランが立っていた。
「まぁ、そういうことだろうな。そして、その計画の実行者がリイルだってことじゃねぇの?」
彼は、いちいちディスプレイの文字をあちこちと指しながら答えた。
「なるほどね。なら、イベク社もリイルのデータ欲しがるわけだね。でも、ライリはそれを知っているのかな?」
「あいつのことはわからん。正直、何考えてるかまったくわからないやつだったからなぁ。いつも飯たかられてたし」
「あ、そう」
事のついでにつけた言葉に冷ややかに対応すると、パラミーはエデン計画について調べ出した。
しかしいくら検索しても、データをハッキングしても名前がまれにしか出てこない。
代わりにとでもいうように、タイリン帝国という名前とデータが溢れてくる。
電影たちによる電網内の巨大空間だった。
「これは知ってる?」
「あー、なんか聞いたことがあるようなないような」
クーランは濁った目とフラフラ定まらない指で文字を追っていた。
見れば、明らかに酔っている。
ウィスキー程度のスキットルの癖に。
彼の手から奪い取り、軽く口をつけてあおる。
意外なほどに甘と思ったとたとたん、一気に喉が焼けてパラミーはむせかえった。
「なんだこれ!?」
ウィスキーではない。
「特製カクテルだけどな。苦いか?」
ニヤニヤして、もう一つのスキットルを腰から抜くと、喉を鳴らして呑み込む。
熱い息を吐く匂いは、ウィスキーのものだった。
「もー、変なもん飲みやがって」
パラミーは手にあるスキットルを後ろに見もしないで放り投げた。
クーランはすでに身体が揺れていた。
「飲みすぎ。もうやめなよ」
「へーい」
絡まれるかと思いきや、案外あっさりと返事するとクーランはソファに横になった。
密かにクーランのスキットルに手を出しつつ、浮遊ディスプレイを弄っていたパラミーはいつの間にかそのまま寝ていた。
「起きろ、パラミー」
酒焼けの渋い声がする。
眠気に押しつぶされそうになる。、朦朧と目を開けると、クーランが立っていた。
彼が浮遊ディスプレイの一つを指さす。
『やっと起きたか、パラミー! また支部が襲われている! 今度はタボィ・コミュの連中だ!』
タイリンの暴れ者で、盗賊の女王の別名がある連中だ。
「すぐ行く!」
パラミーは帽子を被りガンベルトを片方の腰にぶら下げて、外に走った。
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