第4話 猛獣
全力で走ったが、結局謎の人物には追い付けず、ただ体力を消費するだけに終わった。
すっかり日は沈んでいたが、幸い、空には大きな月と東京では見られないくらいの幾億もの星々が煌めいているお陰で何とか光源には困らない。フクロウの鳴き声が不気味に響いている。
「ごめん。とてもじゃないけど追い付けなかった。あの速さは人間でも動物でもない。自然界の生き物の速さじゃないよ」
カンナは申し訳なさそうに言った。さすがに彼女も長い距離を全力で走ったからか、多少は息を切らしている。しかし、座り込んで荒い呼吸をしている汗だくの
「でも……人の
「いや……それにしたって限度があるでしょ」
あまりにも常軌を逸した速さの人間が存在する事実を受け入れられないカンナは、根拠の無い非科学的な考えを平気で口にする
「ま、とにかく、撒かれちまったなら仕方ない。そろそろ寝床を確保しなくちゃ。カンナ、近くに野生動物は?」
「結構いるけど、全部小型の動物みたい。兎とか鹿とか猪かな」
「そっか。でも猪は危ないな。もう少し進んでみて休める場所を探そう。こうだだっ広い森の中じゃ寝てる間に全方位から襲われる可能性がある」
「そうだね。そうしよう。見失った氣は多分向こうに行ったと思うからそっちに行ってみよう、
2人の意見が一致し、ヘトヘトの粼は力を振り絞り立ち上がると、月と星の明かりだけの薄暗い森の中をまだ元気そうなカンナとゆっくりと進んで行った。
♢
それからしばらく進み、
「街だ……」
「街……だね」
探し求めた人の痕跡をようやく見付けた2人だったが、素直に喜ぶ事は出来なかった。何故なら、その街は深夜だというのに明かりの一つもなく、まるで人の気配がしないからだ。
建物に近付いてみると、どの建物の外壁も朽ちており、蔦が屋根まで巻き付いている。とても人が住んでいるようには見えない。
「廃墟だな。人はいないか。食料も絶望的だろう」
「確かに、この付近に人の氣は感じない。随分前に捨てられてそれっきりなんだね、
スマートフォンの時刻表示は深夜2時を回っていた。さすがにこれ以上は動けない。水も昼間森の中の滝で飲んで以来飲めていない。食事なんてクルーザーの中で食べたのが最後だ。森の中には食べられそうなものはなかった。この島の森で食料を集めるには野生動物を狩って食べるしかなさそうだ。
とは言え、カンナはともかく、粼にはもう狩りなどする体力も気力もない。
相変わらず、光源は小窓から差し込む月明かりのみだ。
「カンナはここで寝なよ。割と中は荒れてないし扉もちゃんと閉まる」
「え?
「俺は別の場所を探すよ。一緒には寝られないだろ?」
「何で? いいよ、私は。それに、もし
腰に手を当て、困惑した様子で小首を傾げるカンナ。
「カンナがいいって言うなら俺もここで寝させてもらうけど……、いくら俺がアーキタイプだからって、そんなにヤワじゃないよ?」
「あ、そうなんだ。でも、さすがに熊には勝てないでしょ?」
「どうだろ? やった事ないからなー。そう言うキミの方が心配だよ」
「私、弱そうに見える?」
「いや、弱そうって言うか……」
眉をひそめて睨むカンナに、
「冗談だよ! そんな困らないで。
「ああ、俺はもう空腹かつ疲労困憊だから寝るよ。でも、近くにトイレなんて……」
「廃墟にちゃんとしたトイレなんて期待してないから、小屋の裏手で済ませるよ。
「まあ、そうだね」
カンナは
だが、小屋を出てすぐ立ち止まり、何か言い忘れたのかまた入口から顔を覗かせた。
「くれぐれも、戻るのが遅いからって探しに来ないでね」
「何それフラグ? 10分経っても戻らなかったら探しに行く」
欠伸しながら
「いいから、
頬を染めたカンナはそう言って会話を切り上げ小屋を出ると扉をしっかりと閉めた。
1人になった部屋で、
思えばこの島に来てからカンナとずっと一緒にいて、今ようやく1人の時間が出来た。
得体の知れない廃墟の中。
何の音も聞こえない静寂。
カンナという存在がいなければ、油断して野生動物を警戒せずに森に入っただろうし、水も見つけられなかった。廃墟の街も見つけられなかっただろう。きっと今頃森の中で力尽きていたに違いない。そして何より、孤独な島での話し相手になってくれたのだから、それはとても奇跡的な出会いだった。
出会って数時間のネフィスの女の子。彼女の存在は
疲労はピークだというのに中々寝付けない。
寝床が土の入った袋だからなのか、薄汚い物置だからなのか、はたまた廃墟の妙な静けさのせいか、野生動物の脅威に警戒が解けないからなのか。
思い当たる節が多過ぎて原因は分からない。
かれこれ20~30分目を閉じているが一向に眠りに落ちない。
すると、小屋の扉が開いた。
ようやくカンナが戻って来たようだ。トイレにしては長過ぎるとは思ったが、あらゆる病気に耐性があるネフィスであるカンナが腹を壊したりするはずはない。あまり詮索してはいけない案件の可能性もある。
「
声を掛けられたが、起きて欲しいわけではなさそうなので、
返事がないと見るや、カンナは
「ふあぁ」という欠伸の声が聞こえたかと思うと、すぐにカンナの寝息が聞こえた。
♢
「
カンナの声で
「どうかした? 昨日もロクに寝てないからもう少し寝かせて……」
寝ぼけた事を言う
小屋の入口の扉を熊が開こうとしているのだ。鼻先と爪が鍵の掛からない扉の隙間からチラチラと見える。
「熊じゃん! 何でここに入ろうとしてんだよ!」
「私達、美味しそうな匂いがしたのかな……?」
本気か冗談か分からない発言をするカンナ。そんな彼女へ
「とりあえずカンナは下がってて。俺がこのスコップで殴って脅かすから、熊が怯んで扉から離れた時を見計らって小屋から出て思いっきり走って逃げて」
「ううん、私も戦うよ」
「いや、危険だよ。熊だよ?」
「それは私のセリフだよ。気持ちは嬉しいけど、私が戦った方がいいって」
「アーキタイプだからって見くびるなよ? 俺はこう見えて強いから」
スコップの金属の先端を熊へと向けたまま自信満々に応える
頑固な見栄張りの
そうこうしていると、熊は扉を少しずつ開け、ついに顔を扉の隙間から覗かせて
「今だ! せいっ……!! ……あ……」
勢いよくスコップを振り上げた
「おいおい、何だよこのボロ!」
ただの長い木の棒になってしまったスコップの柄を見て嘆く
その瞬間、タイミング悪く熊が扉を開け切り、小屋の中へと入って来た。
「ま、棒があれば──」
「え?? 何?? カンナめちゃくちゃ強いじゃん! どうなってるの??」
「いいから、今のうちに逃げよう!」
カンナはキョトンとする
小屋の外にはまだ熊がいて、小屋から飛び出した
「あ、ヤバい! 私の蹴りが全然効いてない!
さすが熊」
「そりゃそうだよ! こんなデカイ熊、人の蹴りで倒せるはずない! ここは俺が囮になるから、カンナは逃げな!」
「何馬鹿な事言ってるの?? とりあえず追い付かれちゃうから分かれて逃げよう。
カンナに言われるまま、
「あの熊め!!」
棒を持ったまま全速力でカンナと熊を追うが、アーキタイプの
しかし、次第にカンナも熊に追いつかれ始め、その鋭利な爪がカンナの背中に伸びた。
「あ……!」
勢い良く走っていた熊は止まりきれずにそのまま数メートル前進していく。
すると、カンナはすかさず左脚を前に出し、腰を低く落とす。そして掌を広げ熊に向ける。
「あの構え……」
蹴りが効かないのに掌打が効くとは思えなかったが、カンナは熊の背後に円を描くように移動し、その正面に立たないように巧みに位置取り、肉厚な肩口に掌打。さらに熊の動きに合わせ円を描くように移動し、後脚に掌打を打ち込んだ。
そのカンナの動きは中国拳法の『
だが、熊は後脚に掌打を受けた後、前脚から崩れ落ち、その巨体は地面に突っ伏してピクリとも動かなくなった。
「ふぅ」
カンナはひと仕事終えたくらいの様子で額の汗を拭う。
「カンナ! 無事か!?」
すぐに走ってカンナに近付く。
「大丈夫。
さすがにカンナも多少息が上がっていた。
「俺は……何ともないよ。お陰様で。それにしても、このデカイ熊を素手で倒しちゃうとはなー。キミ、何者なの?」
「だから言ったじゃん。私が戦った方がいいって。それより、すぐにここを離れよう。今は私が何者かなんて話してる場合じゃないかも」
「え? 何で? 熊は倒したじゃん?」
「15、16、17、18匹か……徐々に距離を詰めて来てる」
カンナは目を瞑ると何かの数を数え始めた。
「何が??」
「分からない。この氣は動物。多分、狩りの時間なんだよ。行こう!」
カンナの恐怖を煽る話に、
道を塞ぐ車の残骸をボンネットや屋根を足場にしてガンガン音を立てて乗り越える。
ふと、後ろを見ると、灰色っぽい犬のような獣が十数匹追い掛けて来ていた。
「うわっ!! 狼じゃない?? あれ!!」
「走って走って!」
狼の唸り声と息遣いが聞こえる。獲物を襲う意思がひしひしと伝わってくる。
カンナは狼とは戦おうとせずに一目散に街を駆ける。しかし、程なくして前方に切り立った崖が現れた。
「行き止まりだ! 近くの建物に入ろう!」
機転を効かせた
「あーここは駄目だ! カンナ、別の建物を──」
振り向いた
「仕方ない。ついに俺の実力を見せる時が来たか」
そして仕掛けるタイミングを窺う。車の上のカンナもその場からは動かず、ゆっくりと応戦の構えを取っている。
数秒の睨み合いの末狼の群れの中の1匹がカンナの立つ車のボンネットに飛び乗った。
だが、カンナに飛び掛った狼は、進行方向とは逆に吹っ飛んでいた。
カンナの仕業かと、彼女を見た
さらに、その一瞬の内に、ほかの狼たちも、謎の力によって次々と弾き飛ばされ、アスファルトの地面を転がっている。
10秒も経たずにその場にいた狼の群れは1匹残らず謎の力によって痛めつけられ、怯えて次々に森の方へと逃げ帰っていった。
「な、何だ? 何が起こったんだ?」
何も出来なかった
「あそこ」
不意にカンナは背後の切り立った崖の上を指した。
その指のさす方向を見ると、そこには1人の人影があった。
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