第9話
そう頭を下げたのはアランだった。制服ではなく普段着であろうシャツとジャケット姿でしかもその横には何故か赤い薔薇の花束。執事から香った匂いの正体はこれか、と疑問が解けだ。が、依然としてエリザベスは混乱していた。
(何故エルベルト様が?)
全く状況が理解できないままエリザベスは簡単に挨拶をして、彼の向かいに座る。
(うちの応接間にエルベルト様がいらっしゃるのおかしな感じだわ)
執事が出ていくと同時にメイドが入ってきて、テキパキと紅茶を淹れ少しドアを開けて帰って行った。外には執事が控えている。
(紅茶口に合うかしら、まさかまずいものを出してないわよね)
今のメイドはエリザベスに渋い紅茶を出したことがあるシュナの「要注意人物ノート」に名前が記されている。流石に客人も飲むものにそんなものを出すほど命知らずではないらしく、普通に美味しかったのでホッとする。
そして紅茶を飲んでいるだけのアランの姿が絵になりすぎた。まるで絵画のようだ。何なら出て行ったメイドはチラチラとアランを見ていたし、一瞥したエリザベスを睨んですらいた。エリザベスなんかにアランのような美青年が訪ねてくることが気に食わないのだろう。客人の前で気づかれてないと高を括り、態度に出した時点であのメイドは厳重注意を受ける。最もエリザベスが進言したところで誰も聞く耳を持たないが。
メイドのことを考えることである意味落ち着いたエリザベスは紅茶を置く。
「驚きました、まさかエルベルト様がいらっしゃるなんて。どうかされたんですか」
まどろっこしい聞き方は苦手なので単刀直入に訊ねる。考えてみてもアランが態々訪ねてくる理由が思い当たらないからだ。それにしても家族が誰も居ない時で本当に良かった。特にアリサが居たら騒いでいたに違いない。いや、誰が残っていても騒ぎになっていたと考えを改める。あの人達はそういう人達だ。
「ああ、用というか。コルネリアに…話があって。先触れも出さずに失礼だと理解していたのだが…本当にすまない。執事から聞いた、友人が来ているのだろう?」
やはりアランは真面目な性格なのだ。突然訪ねたことを申し訳なく思っているのが伝わってくる。もっと偉そうにしている人は多いのに、アランは決してそんな態度は取らない。普段の冷たい雰囲気のアランではなく、図書室で会うアランを思い出し緊張が解れていく。
「大丈夫です、彼女達は好きに楽しんでいると思いますし、寧ろ今日訪ねて来られて助かりました。家族も全員留守なので」
「全員留守?執事が言っていたが今日は誕生日会なのだろう?誰もいないのか」
執事、短時間でエリザベスのことをペラペラ話し過ぎである。アランが怪訝な顔をして質問してくる。そりゃそうだ、娘の誕生日に家族が全員留守なんて有り得ないことなのだから。
(別に隠さなくても良いか、知っている人は知っているしエルベルト様は変に言い振らさないでしょう)
「家族は私のことを嫌っておりますので。今の伯爵夫人は後妻で私と兄との間に血のつながりはありません。実の母は私を産むと同時に亡くなったので、父と兄は私のせいで母が死んだと恨んでいるのです。父達にとって私の誕生日は一年で1番嫌いな日なので毎年理由を付けて留守にしています。よくある話でしょう?」
暗くならないよう明るいトーンで話したつもりだったのだがアランの顔が少しばかり険しくなっていく。
「…コルネリア伯爵家の話は聞き及んでいたが、まさかそこまでとは」
「やはり噂になっているんですか?」
「長女の君はデビュタント以来夜会はおろか茶会やパーティー、家族同伴の催しにすら出ていないのに、次女は母親に連れられて色んな家の茶会に出席している。余程の馬鹿じゃない限り家族との関係が良くないのは分かる。それを隠しもせず改善する気もない伯爵に対する評価も、あまり良いものではない」
父はエリザベスのことで周囲にどう思われようと、どうでも良い。兄も同じ。進言したところで聞く耳を持たないだろうし、怒鳴られて終わるのが目に見えていた。
「…ウォルター・ハイネスが婚約破棄をし、新たに妹と婚約したと聞いた時は耳を疑った。婚約は家同士の契約。妹の方を好きになった等とくだらない理由での婚約者の変更は本来認められない」
「父は異母妹に甘いので、あの子の願いは何でも叶えようとするんです。ハイネス侯爵も私と異母妹どちらでも良かったのでしょう」
「…辛くはなかったのか?」
「婚約破棄については全く。元々ウォルター様との仲も良くなかったですし、異母妹と仲が良いことも知ってましたので。寧ろ肩の荷が降りました」
清々したと言わんばかりの晴れやかな顔のエリザベスにアランはピクと形の良い眉毛を動かすと紅茶を口に含む。
「踏み込んだことを聞くが、今後の予定…は何か決まっているのだろうか?」
「今後の予定…」
遠回しな聞き方だがとどのつまり次の婚約者、もしくは身の振り方は決まっているのかと訊ねているのだろう。言いたいことははっきり言うアランには珍しい。ここまで家族の内情を明かした上で隠すこともないので、父達が次の婚約者を嬉々として見繕っていることを伝えた。
「お父様とお兄様が次の婚約者候補を探しています。確かアルギア伯爵、フェル侯爵の名前が上がっているとか」
「は?女好きの人格破綻者と性癖異常者じゃないか。あれに嫁がせるなんて死ねと言ってるようなものだぞ!?」
珍しくアランが声を荒げる。エリザベスは珍しいものを見た、と少し得をした気分になった。
「そんなに酷いのですか」
「限りなく黒に近いグレーだが、無駄に金と権力を持ち合わせているせいでのらりくらりと逃げおおせている、厄介な連中だ」
想像以上の方々だった。そんな人間に娘を嫁がせようという父に対する好感度がマイナスに振り切り、嫌悪感すら抱いている。
「お父様達は期待を裏切りませんね。やはり計画に変更は無しの方向にしましょう」
「計画?」
勢いがついてきたのかエリザベスの口がどんどん軽くなる。もう自分でも止められない。
「これは内密にお願いしたいのですが、卒業後は伯爵家を逃げ…いえ出奔しようと思ってます。家族として扱ったこともないのに、育ててやった恩を返せと婚約を強要してきそうなので、さっさと逃げます」
言い直したのに結局逃げると宣言してしまった。アランは切れ長の瞳を少し見開いているので、分かりづらいが驚いてはいるようだ。流石に話し過ぎただろうか。アランのことだ、無謀な真似は辞めろと止められるかもしれない。出奔したらアランと話すことが出来なくなるのは寂しいが、エリザベスにとってこれが家族以外にかける迷惑が最小限で、最善の道なのだ。分かってもらいたいとは思ってないから、反対されても意思を変えるつもりはない。
「なるほど、まあこんな家からはさっさと逃げた方が良いだろうな。貴族令嬢が出奔して生きていくのはかなり大変だが、君なら将来に備えて準備をしているだろう。…成績も良いし王宮文官の試験を受けるつもりか?」
反対されなかったこと、試験を受けようとしていることを言い当てられ動揺が顔に出る。アランが「当たりか」と呟く。
「図書館で過去問を解いているのを見たことがあるからな。確かに俺も最善の方法だと思う。文官として働く女性は多い。市井で慣れない仕事をするより生活と安全が保障される、ピッタリだ」
エリザベスが事務官になろうとしている理由を全て言われてしまったため、曖昧に微笑むに留めた。予想外の反応だが、アランの様子から言いふらしたり万が一にも有り得ないが、邪魔をすることはなさそうで安心する。
(…そういえば、私に用が合って来たのよね)
ふとアランが態々訪ねてきた目的を聞いていないことを思い出す。というか本題を切り出し前にエリザベスが家族の話を出したせいで、あっという間に脱線してしまったのだ。エリザベスの責任である。ついつい口が滑り過ぎてしまった。アラン相手だとここが放課後の図書室だと勘違いしそうになる。エリザベスが話を元に戻すために口を開こうとした時。
「…文官になる他に家を穏便に出て行く方法がもう一つある」
「もう一つ?」
やけに神妙は顔でアランが切り出すので釣られてエリザベスの声のトーンも低くなる。彼が含みのある視線をこちらに向けてくるので自然と背が伸びた。
「誰かと婚約して卒業後結婚する」
何を言うかと思ったら、至極真っ当で常識的な貴族令嬢の歩むべき道を示され拍子抜けする。
「…それ1番避けたい方法なんですけど。そもそも異母妹に婚約者を取られた傷物なんて、誰も婚約したがりませんよ」
ムッとしたエリザベスが遠慮を忘れ、呆れたように言うとアランがこちらも存在を忘れかけていた薔薇の花束を手に取りこちらに差し出してくる。
「…エリザベス・コルネリア嬢、俺と婚約していてだけませんか」
「…え…」
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