第6話
3年の教室に近づくほど周囲の声は大きくなる。コソコソする気すらなくなったようだ。ウォルターの件で何を言われようと黙っていたから、何をしても良いと軽んじられているのが分かる。
「あの人よ。ウォルター様に捨てられた」
「あんなに地味なんだもの、嫌になって当然だわ」
「妹さんはあんなに可愛らしいのに、姉妹で似ていないわね」
「夜会もお茶会も面倒くさがって出ないらしいわ。そんな人ウォルター様に相応しくなかったのよ」
「ずっと次席なんだろ?やっぱり勉強ばっかやってる女は可愛げがないんだな」
隣を歩くリラが悪口を囁く生徒を思い切り睨み付ける。「怖いわ、あんな人と仲の良い人だもの。品がないわね」とリラまで悪様に言われてしまう。
「リラ…」
「言わせておけば良いわ。あんなくだらない人達に何を言われても全く平気。よって集って1人を攻撃して楽しむ卑怯者なんて取るに足らない」
態と聞こえるように言うと馬鹿にされたと受け取った令嬢達の顔が赤くなり、今にも突っかかって来そうな勢いだがリラは気にしてない。寧ろやれるものならやってみろと堂々とした態度。流石だと親友に尊敬の念を送った。
「そろそろBクラス、さっさと通り抜けましょう。Aクラスの皆はあの男の所業に呆れていたから嫌な思いをすることはないと思うけど」
Aクラスは成績優秀者しか在籍してない。他人の噂話やゴシップに興味はないし、そんな暇があるなら勉強していたいと考える。逆に面白がって話を広める人間をくだらないと嫌っている。教室に行けばマシになるだろうか、と微かな希望を抱く。そしてBクラスの前を通り過ぎようとすると刺さる視線の強さが増してくる。教室の中には上機嫌でエリザベスを貶めるウォルターもいる。万が一にも気づかれたくはない。ああ、さっさと教室に行こうと顔を伏せ歩みを早めた時。
「…何故、そんなに偉そうな態度を取れるんだ。婚約者が居ながらその妹に現を抜かし、一方的に婚約を破棄した。明らかに不貞行為、そちらの有責のはずだ。なのに悪びれもせず、今までの自分が不幸だったと被害者面。理解に苦しむな」
「な、なんだよ。か、関係ない奴が口挟む」
「全く関係ない赤の他人が口を挟まずにはいられないほど、ハイネス。お前の態度は目に余ると言うことだ。隣のクラスにもお前の下品な笑い声が聞こえていたぞ。聞くに耐えん言葉もしっかりとな。平気で元婚約者を貶め、嬉々として周囲に語る姿、醜悪としか言いようがない」
「っ!!」
顔を真っ赤にしたウォルターが椅子から立ち上がり、その視線の先…Aクラスにいるはずのアランを睨み付けていた。Bクラスの生徒は皆遠巻きにし、固唾を呑んで見守っているようで緊迫した空気が流れている。当のアランは激昂したウォルターを前にいつも通りの無表情を貼り付けて…いや、彼を見る目がゾッとするほど冷え切っていた。女子はすっかり怯え、ウォルターすらもアランの気迫に押され口籠ることしか出来ていない。パクパクと口を動かすだけで言葉が出てこないウォルターにアランは冷たい声でこう吐き捨てた。
「今自分がどう見られているか、理解しろ」
アランは用は済んだと、さっさとBクラスを出て行った。事の成り行きを眺めていた生徒達がアランのために道を開ける。エリザベスとリラの彼の後ろ姿を黙って見送った。アランが話し出した途端、先ほどの喧騒が嘘のように止んだ。そして彼の姿が見えなくなると、またヒソヒソと話し出す。
「確かにウォルター様の態度、どうかと思うわ」
「真実の愛と言ってたけど要するに浮気よね」
「いくらコルネリアが気に入らないからって、さっきのはない。ちょっと引いた」
ウォルターに同調していた生徒達が手のひらを返し、彼を非難し出す。あまりの変わりようにウォルターも困惑を露わにし、視線をやるも誰も彼と目を合わせない。彼の顔が真っ青になって行く。そんな彼の姿を見て、少し溜飲が下がる。一緒に廊下で立ち止まっていたリラがエリザベスの耳に口を寄せ、小声で囁く。
「エルベルト様がはっきりとあの男を非難しただけでこの変わりよう、いっそ気持ち悪いわ。今更善人ぶったって遅いっての!」
仮にエリザベスやリラがウォルターの所業を責めたところで、何の力もないエリザベス達ではウォルターが優位の状況は変えられなかった。寧ろエリザベスが「捨てられたくせに元婚約者を罵る惨めで身の程知らずな女」のレッテルを貼られ学園生活が悲惨なものになっていた。
だがアランが相手だと違う。彼は決して自分の立場や権力をひけらかすことはないが、皆から一目置かれ畏怖の念を抱かれている。派閥を作りトップに君臨しているわけでもないのに、彼の言葉一つでその場の雰囲気を一変させる力がある。アランが表立ってウォルターを非難したことで彼の立場は「障害を乗り越えて愛する相手と結ばれた者」から「心変わりして妹に乗り換えた挙句、元婚約者を貶める最低野郎」に成り下がった。
「しかし、エルベルト様って正義感の強い方なのね。話したことないし怖い方だと思ってたわ。印象変わったかも」
(趣味の話になると饒舌になるし、全く怖くないわよ)
リラには決して言えないことを心の中で呟く。アランが何故ウォルターを糾弾し、引いてはエリザベスを庇ったのか真意は不明だ。趣味仲間が窮地に陥ってるのを見過ごせなかったのか、ただの気まぐれか。
どんな理由にしろ助けられたことに変わりはない。教室で話しかけることは出来ないので、次図書館で会った時お礼を言わなければいけない。
(真面目な方だからウォルター様のような人が嫌いなのかもしれないわ)
複数の女子を侍らせ、誰に対しても良い顔をする軽薄な男。アランの嫌いそうなタイプだ。
ウォルターに対する態度の変化のおかげか、エリザベスに向けられていた嘲笑や蔑みの視線は減り、同情混じりの視線が増えている。今から態度を変えても、エリザベスは自分がされたことを忘れないし居心地が悪いことに変わりはない。
慌てて謝ってきたとして、許すかどうかは分からない。エリザベスは憂鬱な気持ちが和らぎ、少しだけスッキリとした心地でリラと共に教室に入って行った。
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