第4話
数日後、エリザベスは18になった。
誕生日は毎年楽しみではあるが同時に暗い気持ちにもなる日だ。母の命日で父と兄の機嫌が一段と悪くなるので、出来るだけ接触しないようにしているし侍女を始めとした使用人も協力してくれている。それでもプレゼントは執事経由で送られてくるが、父と兄を装った使用人達の偽装だととっくに気づいている。その上で知らないフリをしていた。皆の気遣いを無にするつもりは毛頭なく、家族に愛されなくとも自分を気にかけてくれる人は確かにいる事実は心の支えになる。
「エリザベス様お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうシュナ」
「放課後はリラ様とアイナ様、ダリア様がいらっしゃるんですよね。会場とドレスの準備は万全ですので楽しみにしていてくださいね!ダルさんも腕に寄りをかけて料理を作ると言ってましたから」
ダルとは代々コルネリア家で働いている古参の料理人。エリザベスに関わることで父から目を付けられ、同僚にも敬遠されているが本人は全く気にしていない。専属侍女のシュナや表立って助けることは出来ない執事もだが、彼らは伯爵家の人間を「人として尊敬出来るところが何もない」と見限っている。そんな人間達から不当に扱われようがどうでも良いらしい。何とも逞しい。
シュナに手伝って貰い学園に行く準備をしているとドアがノックされる。入って来たのは若いメイドだ。
「失礼致します。旦那様がエリザベスお嬢様をお呼びです。至急執務室に来るようにと」
「お父様が?分かった、すぐに行くわ」
要件が済んだメイドは礼をして部屋を出て行った。態度が悪いメイドだと乱暴にドアを閉めて出て行くのが彼女はまだ普通だ。来たばかりだからこの家に染まっていないのか、周囲に迎合しない性格なのか。そのうち彼女もエリザベスに対する態度が雑になるかもしれないと思うと、何とも言えない気持ちになる。
「こんな早くから旦那様が?悪い予感しかしませんが」
「…私もそう思うわ」
「聞かなかったことにしてさっさと出発します?」
「そんな真似をしたらあの子が罰せられるわ」
父と会わなければいけないなんて気が重く溜息が漏れる。今日は母の命日。いつもより嫌味と恨み言のレベルが上がるのだ。嫌でも父の命令に逆らうわけにはいかず、身支度を整えて部屋を出た。
執務室のドアをノックすると「入れ」と硬い声が返って来たのでドアを開ける。ドアを開けた先にはタークブラウンの髪と目を持つ気難しそうな男、コルネリア伯爵が書類らしきものに視線を落としたまま顔を上げることはない。エリザベスが執務机の前に立ち、「お呼びでしょうかお父様」と言うとやっと顔を上げる。
「遅い」
不愉快そうに吐き捨てる。これでも急いだのだが、どれだけ早く来たとしても父のかける言葉は変わらない。アリサがどれだけ遅れても文句一つ言わないのに。
「申し訳ありません」
思うところがあるものの、言ったところで無駄なので謝罪の言葉を口にすると父はふん、と鼻を鳴らす。
「お前とウォルター殿の婚約だが破棄されることになった。彼はお前ではなくアリサの方が良いそうだ。アリサもそれを望んだので新たにアリサと婚約を結ぶこととなった。侯爵夫妻も既に承諾している」
淡々と告げられた事実にエリザベスは然程驚かなかった。遅かれ早かれそうなると予感していたからだろうか。まさか誕生日に告げられるとは思わなったが。驚きも悲しみもしないエリザベスが不満なのか父の顔が険しくなる。
「何か言う事は無いのか」
「言ったところで何も変わらないでしょう。彼がアリサと懇意にしていることは知っていましたから」
「お前とアリサならアリサを選ぶのは当然だ。気づいていながらウォルター殿を引き留めることもしないとは、本当に役立たずだな。顔だけは年々ティアに似て来ているのが忌々しい」
娘に対して向けるものとは思えない憎悪の籠った視線をエリザベスは受け止める。もう慣れてしまった。父から憎まれることに。顔は似ているのに母の美しい銀髪と銀の瞳を受け継がなかったエリザベスは、中途半端な存在らしい。婚約の解消という人生を左右する出来事も当事者のエリザベスを蚊帳の外に、話し合いが終わっている。侯爵夫妻も娘ならエリザベスでなくても構わない、何ならアリサ相手ならウォルターの遊び癖がマシになることを期待しているかもしれない。アリサはもしかしたらエリザベスから婚約者を奪いたかっただけかもしれないが、侯爵子息を婚約者とすることでプライドと優越感が満たされる。父も可愛い娘の願いを叶え株を上げられる。皆何かしらの益を得る。
割りを食うのはエリザベスだけ、誰も気にしない。
黙ったままのエリザベスに父は続けた。
「お前と歳の近い令息にはほぼ婚約者がいるだろう。今から新たな婚約者を見つけるのは困難だが安心しろ、私とダニエルがちゃんと相手を見つけてやる」
「…お兄様が?」
兄がエリザベスのために動くとは思えない。顔を合わせると居ない者のように無視をし、当てつけのようにアリサを可愛がる兄はエリザベスが不幸な目に遭うと喜ぶ。家庭教師が辞めさせられ、父に泣きながら縋った時兄は歪んだ笑みを浮かべてエリザベスを見ていた。そんな兄がエリザベスが幸せになる相手なんて見つけるわけがない、と断言出来る。
「優しい兄を持ってお前は幸せ者だ。もう何人か候補を見つけたらしいぞ。アルギア伯爵は奥方を亡くされて後添えを探しているし、フェル侯爵は3人目の奥方が事故で亡くなり寂しい思いをしていると聞いた。お前には勿体無い方ばかりだ」
(40も歳の離れた方に、奥様が不審な亡くなり方をしている悪評塗れの方)
社交の場に殆ど出ないエリザベスですら知っている、悪い意味で有名な貴族の名前で出てきて自分の中に僅かに残った家族に情が砕け散る音がした。父は更に成金で若い女を何人も囲ってる商人、過去に王女が降嫁したことのある由緒ある血筋だが、特殊な趣味があるせいで歴代婚約者が悉く精神を病んでいる侯爵の名を口にする。曰く付きの候補ばかりを見つけて来る労力を別のところに使うべきだと思った。エリザベスは絶望することはなく、心は寧ろ凪いでいる。
(本当に、私は家族として扱われてなかったのね)
名前を上げた相手にエリザベスが嫁ぎ、病死したとして家族の誰も悲しまない。寧ろ喜ぶ姿が目に浮かぶ。
(リラも言っていたけれど、気に入らない相手を徹底的に甚振って楽しむ…本当に子供みたい)
エリザベスの心はどんどん冷え切っていく。このまま何の反応も示さないと父から解放される時間が遅くなる。なので候補者の名前を出されるたびに怯え、絶望したように見せた。エリザベスの怯えた様子に父の気が済んだのか「次の婚約者について決まったら知らせる。さっさと出ていけ」とまるで羽虫を追い払うかのように退室を命じた。
「分かりました。失礼します」
エリザベスは礼をし、執務室を出て行く。父を見るエリザベスの目はひどく冷めきっていたが、碌に顔を見ない父が気づくことはなかった。
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