9

 山羊頭の子どもが産まれて三日後。

 あたくしは、町の神父を病院に招きました。もしも悪魔憑きであるならば、祓ってもらう必要があると感じたからです。あたくしの脳は、あの赤子は悪魔などという生易しい存在ではないと理解していましたが、対抗する術が何も思いつきませんでした。

 他の看護婦に話を聞くに、あの看護婦はつきっきりで赤子の世話をしていると言うではありませんか。家にも帰らず、ずっとつきっきりで、いつ食事しているかも看護婦達は知らないと言います。

 更に看護婦達は奇妙なことを言うのです。あたくしも同じことを感じていたのですが――……。

「あの人の名前って何だったかしら?」

「ずっと一緒にいるのに、名前がすぐに出てこないのです」

「真面目でよく働いてくれるのに、なんと呼んでいたのか思い出せないんです」

「でも、近くにいれば、パッと名前が頭に浮かんで――」

「あたくしも同じです!」

 と言いながら、あたくしは内心の不安を隠しきれませんでした。

 やがて、呼び出した神父が来院いたしました。

 神父は古びた聖書を手に持ち、重々しい足取りで廊下を歩いて来ました。その姿に、あたくしは僅かな希望を抱きました。彼ならば、何か手がかりを掴むことができるかもしれない、と。

「神父様、赤子を祓っていただけませんか?」

 あたくしは神父に訴えました。

「何か不吉なものを感じるのです。どうかお力をお貸しください」

 神父は静かに頷き、あたくしと共に赤子のいる部屋へ向かいました。扉を開けると、あの看護婦が赤子をあやして微笑んでいました。

「いらっしゃいませ、神父様」

 看護婦は礼儀正しく神父を迎え入れました。その態度には一切の動揺が見られません。

 神父は十字架を掲げ、祈りを始めました。しかし、祓うどころか、赤子は神父の祈りに興味を示すように目を輝かせているのです。看護婦のほうも苦しむことなく、依然として微笑んでいるだけでした。

「神父様、どうですか?」

 あたくしは不安を抑えきれずに問いかけました。神父は一瞬、困惑した表情を見せましたが、すぐ落ち着きを取り戻しました。

「この子には何か特別な力があるようです。見た目こそ稀有けうな存在です。しかし、それが悪意によるものであるかどうか、断定はできません」

「では、どうすれば良いのでしょうか?」

「慎重に見守るしかありません。この子が何者であるか、そして何をもたらすのか、時間が教えてくれるでしょう」

 その言葉に、あたくしの深い不安が消えることはありませんでした。

 この赤子が何をもたらすのか、そして看護婦が何者であるのか、その答えを求めれば求めるほど、深い闇に身を投じるような恐怖を感じるようになるのです。言語化できない不安が胸を渦巻き、ここが悪夢であれば良いのにと思うようにさえなります。

 日が経つにつれ、心の奥底には常に不安が渦巻いていました。その不安は、次第に日々の生活にも影響を及ぼすようになっていきました。

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