土まみれの小銭
とさかのらてぴ
第1話
田舎の県道を早めに走る
自転車に乗った女性。
彼女には、通りたくない場所があった。
1ヶ月ほど前からの話。
家から会社までの、
ちょうど中間地点あたりの交差点。
その角に建っている平屋の一軒家。
人が住んでいるのか分からない程、老朽化が進んでいる。
その家の前にパイプ椅子をおき、
項垂れて座るおじいさんが居た。
その姿はやせ細っており、
薄汚れた白のランニング姿。
清潔感もない。
ただそこへ毎日座っていた。
「あそこの住人だろうか。
何だか気味が悪い。」
彼女はそう思い、そこを
通り過ぎる時はより一層スピードをあげた。
彼女の名前は「マリア」
事業に失敗し、1000万を超える
借金を抱えてしまった。
そのため、お金には強欲で、
自身も体の限界まで働いていた。
返しても返しても無くならない借金に、苛立ちと疲れが見えていた。
ある日、いつものように自転車を
走らせていると、ガシャンという音とともに、マリアは大胆に転んでしまった。
「いてててっ。」
大事には至らなかったものの、
足と肘を擦りむき出血していた。
たしか、この先にサイクリングショップがあったはず。
そう思い出し、そこへ向かった。
「すみませーん。
チェーンが切れてしまったみたいで。」
「はぁーい。
あららら、大変!血が出てるじゃない!
手当してあげるから、ちょっと待っててね。」
女性は馴れた手つきで傷の手当をした。
「近所の子供達がよく自転車の修理に来るのよ。転んで怪我して。
子供は乱暴に乗るからね。
あらら、
自転車も酷いわね。
これはチェーンだけじゃなく、
曲がっちゃってるわね。
派手に転んだのね。
ごめんなさい。すぐに直してあげたいのだけれど、今、主人は留守にしていて。お昼すぎには帰るはずだけど。」
女性は、このサイクリングショップオーナーの奥さんだった。
「そうですか。
これから会社に行かなくてはならなくて。
夕方、帰りにまた来ます。
それまでに直りますか?」
「ええ。直しておきますね。」
自転車を預け
奥さんに手当のお礼を言い
マリアは歩き始めた。
遅刻だな。
会社に遅れる連絡をいれながら、
出勤道中の景色を、ゆっくり眺めた。
普段は忙しくて通り過ぎるだけの道。
歩いてみると違ったものまで目に入る。
へー、こんな所に喫茶店があったんだ。
意外にも楽しみながら歩いて行く。
しかし、
この先はあの老人がいる道。
できれば通りたくは無い。
でも通らなければ遠回りになって
しまうため、仕方なくマリアは、
足早に老人の前を通り過ぎようとした。
その時、
「すみません」
か細い声が聞こえた。
聞こえなかった振りをして行ってしまおうとするが、
何故かその先へ足が進まない。
「そこのお嬢さん。お願いがあるのですが、聞いては貰えませんか?」
「え?ちょっと急いでますので。」
と言いながらも、また何故か足は進まない。
「どうか、ある人に伝言を頼まれてはもらえませんか?」
マリアは諦めて話を聞くと、
ここの平屋に昔住んでいた女性に
伝えてほしい事があり、
そして、その女性の居場所は、
隣に住む奥さんに聞けば分かるかもしれないと。
マリアはバカバカしくなり、
おじいさんに言った。
「ご自分で伝えに言ったらいかがですか?」
すると
「何度も何度も言おうとしました。でも、どんなに頑張っても伝えられなかったのです。
そして私は今、ここから動くこともできません。
どうか、年寄りの願いを
叶えていただけませんか?
お礼もさしあげます。」
もしかして、お金。
マリアはお礼という言葉に急に、
やる気を出し、
おじいさんの願いを聞くことにした。
「ありがとうございます。
あと、これをその女性に渡してください。佐藤花子という名前の年寄りです。」
「分かりました。明日日曜日にでも行ってきます。用事が済んだらまた月曜日に通りますので。」
そう言って、その場を後にした。
日曜日。
朝早くからマリアはいつもの交差点へ行った。
今日は、おじいさんはいない。
不思議に思いながらも、
平屋のお隣さんのインターフォンを鳴らす。
「はーい」
良かったいた!日曜の朝早くなら誰かいるのではないかと思ってやってきた甲斐があった。
「あ、あのすみません。
私、お隣のおじいさんに頼まれて来たのですが、以前までそこに住んでらした女性の行方を知りたくて。
お名前は、佐藤花子さん。ていうのですが。」
初めは不思議そうな顔をしてみられたが、
佐藤花子という名前を出した瞬間、
穏やかな顔になった。
「花子さんのお知り合い?」
「え?あ、そうです。」
とっさに嘘をついた。
「花子さんならね。
3年前に息子さん夫婦のところへ行ったわよ。
息子さんに連絡してみましょうか?」
「は、はい!助かります!」
「ちょっと待っててね。」
そう言われ、玄関の外で待った。
少しすると、
「お待たせしてごめんなさいね。
花子さんは認知症が進んでしまったらしくて特別養護老人ホームに入居してるんですって。
あんなにしっかりした奥さんだったのにねぇ。
やっぱりショックだったのかしら、
ちょうど日曜日だからこれから息子さんがホームに行くらしいの。
良かったらそこで、待ち合わせしないかって。」
「ありがとうございます!
早速行ってみます。
本当に助かりました。」
奥さんからホームの住所と
1枚の封筒を手渡された。
「これ。花子さんに持って行ってあげて。」
「分かりました。お預かりします。」
マリアは順調に事が進むことに、
安堵した。
教えてもらった住所。
電車で1時間半。
【ほのぼの特別養護老人ホーム】
ここだ。
緑に囲まれ広々としたホーム。
先ずは受付で聞いてみた。
「すみません。佐藤花子さんの面会に来たのですが。」
すると、
「はい。佐藤さんの息子さんから伺ってますよ。ご案内いたしますね。」
そう言われついて行くと、
広い庭の一角にある
小さなひまわり畑の前に
1台の車椅子と、
40代くらいの男女の姿があった。
「佐藤さーん」ホームの人が声をかけると、2人はこちらを向いた。
「こんにちは。私、
マリア・ホワイトと言います。」
マリアが自己紹介すると、
「あ、佐藤賢治です。こっちが妻の紗栄子です。
しかし驚きました。
母に外国のお友達がいるなんて。」
「いえ、お友達と言うか・・・。
花子さん、ご病気なのですか?」
なかなか本題を言い出し難い。
「ええ。3年前に心臓病で倒れました。それから私の家に連れてきたのですが、次第に病気も悪化して、今はこちらのホームでお世話になってます。
最近では食事も捕れず、話しかけても何もわからない状態でして、
せっかく来ていただいたのに、
申し訳ありません。」
賢治は申し訳なさそうに言った。
「そうですか。
実は、ある、おじいさんから頼まれまして。」
そう言ってマリアは花子さんの顔を見た。
確かに。
心ここに在らず。
目に光もない。
これでは無駄足だったかもしれないなと、マリアは思った。
しかし、用事を果たさなければならない。
「おばあさん。花子さん。
私の名前はマリアと言います。
花子さんとはお知り合いでは無いけれど、ある方に頼まれて今日は来ました。」
マリアは、ゆっくりとハッキリ。
そして大きな声で話した。
「まず、これは花子さんの前のお家のお隣に住んでいた奥様から預かったものです。」
そう言って、封筒を渡した。
花子は受け取り、
封筒を開けづらそうにする。
それを見た賢治が、
封筒を開けて、中から1枚の写真を取りだした。
「これは。」
賢治さんの言葉に、
「前のお家のお隣の奥様が、
花子さんに渡してほしいと。
なかなか渡せずにいた。と言ってましたよ。」
そこにはパイプ椅子に座る、
一頭の柴犬と、花子の満面の笑みが映っていた。
花子はその写真を手に取ると、
目に光が戻った気がした。
そして。
「花子さん。今日、私がきたのは、
タロウさんていう人からの伝言を伝えに来ました。」
マリアはおじいさんから預かってきた汚れた水色の鈴を花子さんの手に握らせた。
「タロウさんは、
ありがとう。
て伝えて欲しいと言ってました。
そしてこの鈴は、今度は花子さんの御守りにして下さい。て言ってました。」
すると花子さんの目には沢山の涙が溢れ出し、そのまま大声で泣き始めてしまった。
「あなた!一体なんの冗談ですか!?いくらなんでも酷すぎる!」
賢治が声を荒らげた。
「そんな事言われても。
私は頼まれただけなんです。」
マリアは何がなんだか分からずに
ビックリした。
「あれは、あの鈴は、
母が長年飼っていた柴犬のもので、
名前はタロウ。
去年死んで、一緒に埋めてやった鈴です。間違いありません。
母が鈴に彫ったタロウという文字もあります!
一体あなた!何者ですか!
何が目的なんですか?」
賢治は興奮してますます大声になった。
「何度も言いますが、頼まれただけなんです。
目的だなんて、
わざわざ伝言を伝えに来た私の身にもなってください!」
マリアも興奮している。
「とにかく落ち着きましょ。
お部屋に戻ってお茶でもしましょうよ。」
そう、妻の紗栄子が言うと、
賢治は少し冷静になり、
皆で、花子の部屋に行くことにした。
マリアは今までの経緯を話した。
会社の出勤途中に花子さんの家があり、そこに毎日パイプ椅子に座っているおじいさんが、いること。
名前はタロウで、佐藤花子さんへの伝言と、鈴を渡して欲しいと頼まれたこと。
そして、用事が済んだら月曜日にまた、通るので寄ると言ったこと。
その時お礼が貰えるということ。
マリアは全てありのままを話した。
すると。
「母は、父を亡くしてからずっと、タロウとあの家で暮らしていました。
3年前に母が倒れてから、強引に母だけ私の家に連れてきたのですが、
うちは息子が動物アレルギーで、
犬は飼えないんですよ。
仕方が無く暫くは、
お隣さんに頼んで世話をしてもらい、私が休みの日には、散歩や、
様子を見に行きました。
あの家の前にあるパイプ椅子は、
タロウのお気に入りの場所だったんです。
しかし、そのタロウも1年前に死にました。
あそこは今は私の土地なので、
タロウを火葬した後に、
あの鈴と一緒に庭の隅に埋めて、小さな墓を建ててやりました。」
「お母さん。ずっとタロウに会いたがっていたんです。
それなのに。私たちは会いに連れて行ってあげられなくて、
次第にお母さん。話をしてくれなくなって。」
紗栄子が悲しそうに付け足した。
「でも、あなたの言うことが本当なら、明日私も同じ時間帯に会いに行ってもいいですか?
そうでもしないと、
こんな話。
信じられる訳が無い。」
賢治の言葉にマリアは頷いた。
花子は横でずっと、
聞いていたのか、
理解ができているのかも分からない様な状態で、
隣の奥さんから貰った写真と、
鈴を握りしめていた。
「今日はこれで帰ります。
明日また。」
そう言って部屋を出ようとしたマリアに。
「ありがとう」と声がした。
振り返ると、
とっても嬉しそうな笑顔の花子さんがいた。
久しぶりに声を出し、
久しぶりの花子の笑顔に、
賢治と紗栄子は驚いていた。
マリアもその笑顔がとても嬉しかった。
翌日マリアは仕事に出かけた。
賢治さんには昨日私が通る時間を
伝えてある。
そして、花子さんの家の前に着くと、そこには
パイプ椅子の前でしゃがみ込む賢治さんの姿があった。
「賢治さん?」
マリアが声をかけると、
賢治は声を殺して泣いていた。
そしてマリアが来たことに気がつくと
「マリアさん。
昨日は本当に失礼しました。
世の中には、信じられない様な出来事もあるのだなと思いました。
私は目の前の真実を受け入れるしかありません。」
賢治はそう言うと、パイプ椅子をみつめた。
そこには、乾いた、土まみれの小銭が数十枚置かれていた。
「タロウは小銭を拾うのが好きでした。拾っては、私たちでも分からないところに隠していました。
この小銭は、タロウにしか持って来れません。
これはタロウから、
きっとあなたへのお礼です。
もう、飼い主は帰っては来ないと悟ったのでしょう。
だからあなたに伝言を。
タロウからのお礼。
受け取ってやって貰えますか?」
賢治のその言葉と、
あまりにも不思議な出来事に
マリアは言葉が出ず、
ただ、頷いた。
金額にしたら千円にも満たない。
パイプ椅子の上の土まみれの小銭を受け取った。
その後、賢治から
花子が亡くなったと連絡があった。
賢治はお寺に承諾を得て、
花子の墓の隣にタロウの墓を移したと言う。
マリアは思う。
どうして私に頼んだのだろうかと。
そしてタロウに貰った土まみれの895円。
花子さんの笑顔が忘れられない。
土まみれの小銭 とさかのらてぴ @taruto501
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