第43話 お通夜


 母さんは続けて心配そうに聞いてくる。

 ちょっと過剰すぎるだろうと思いながら、俺は「別に」とそっけなく返した。

 そのとき、突然頭の中に一之瀬の笑顔が浮かんだ。なぜ今思い出したんだろうと、わけがわからない。そもそもあのとき、一之瀬はどうして泣いていたんだ? 頭を振ってその考えを追い払おうとするが、何か引っかかっている感覚だけが残る。


「どうしたの? 具合悪い?」


 再び母さんが過剰に反応した。

 俺は軽くため息をつきながら、「いや、なんでもない」と返したとき、ふと思った。

 ……俺は。

 何か大事なことを忘れている気がする。

 それが何なのかはまったく思い出せない自分がもどかしい。

 一人暗い部屋で怯えながら、慎重に積み上げてきた積み木が崩れ落ちそうな恐怖を感じたけど、意を決して訊いてみた。


「母さん……何か俺に隠してること、ない?」


 心のどこかで、何か重大なことを知らされていないんじゃないかという疑念がずっといぶっていた。

 でも、少し驚いたような顔をした母さんは、すぐに微笑んで「そんなことないわよ」と軽くはぐらかすのだった。



 その後、食事を終え、出入口付近にあったお土産売り場をぶらつくことになった。

 母さんが何か欲しいものを探している様子を見て思い出した。昨日、バイト代を手に入れたことと、うろ覚えだが昔、母さんが言っていたことを。

 仕方なく照れ臭くてしょうがなかったが、何となく訊いてみた。


「母さん、何か欲しいのある? 俺、昨日バイト代入ったからさ……」

「何っ? 純、バイトしたのっ?」


 以前、自分の子供のお金で何か買ってもらうことが夢なのだと、母さんが言っていたことがあった。

 母さんはその言葉を聞くと、目を見開いて、涙ぐんだ。「純が…そんなこと言ってくれるなんて」と、少し震えた声で言った。

 正直、少し戸惑ったが、「大げさだよ」と照れ隠しのように笑った。それでも、母さんの嬉しそうな顔を見ると、少し悪くない気分ではあった。



 そして外に出たとき。すこし歩き始めたときだ。突然誰かに声をかけられる。

 振り向くと、同い年くらいの男がにこやかに笑って立っていた。


「あれ? 純っ? 久しぶりじゃんっ。元気してた?」


 と、言われるが、俺にはまったく記憶がない。隣に連れた彼女? が「友達?」との問いに、男は、そう、と頷いてから「中学のとき同じクラスだった」と答えるが、俺には何一つとして思い当たるものはなかった。

 そのあとは、なんとか笑顔を作りつつ適当に会話を合わせて、その場を去る。

 車内に戻ってからも、何となく胸の中にモヤモヤした感覚が残った。

 ……あいつが、本当に友達?

 その沈黙の中で、また心配そうに見つめる母さんの視線が、俺を締め付ける。

 そのせいで、海岸沿いを江ノ島電車と並走する車内から広がる閉ざされた窓の外の風景は、月明かりのない海のようで、今日一番の目的だった、父さんの墓参りは、湿っぽく、まるでお通夜のときと同じだった。

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