聴こえないメロディーに歌詞を
秋穂藍
1
「課長! もう限界です。係長をなんとかして下さい!」
後ろ手に課長室のドアを閉めるや否や、新人の女性係員が怒鳴り込んできた。
「係長がなにも教えてくれないばかりか、私が依頼の受付けを担当していたら、横から割って入って、依頼者を追い返したんです!」
「まあまあ、ひとまず落ち着いて深呼吸してみて」
新人に一呼吸つかせつつ、横目でカレンダーを確認する。今日は5月の第三月曜日だ。
4月1日に新人が配属されて、そろそろ
一流大学を卒業し、採用試験の成績も良好。人事課からは「真面目な女性なので、丁寧に指導して育ててください。くれぐれも課員からのセクハラには注意を」と申しつかっている。
数少ない女性管理職である私の下に配属されたのは新人にも不運だった。そうでなければ、こんなギルドの窓口課ではなく、もっときらびやかな課で社会人生活をスタートしただろうに。
「それで状況を教えてちょうだい」
本当に深呼吸をしている新人を促す。
「バネッサから来たおばあちゃんが、『最近、裏山の湖から精霊の歌が聴こえなくなったので調べてほしい』という依頼を持ってきたんです」
異変の調査は良くある依頼だ。ただ、ギルド支部のあるバネッサから、高齢の人がわざわざこのギルド本部まで来るというのが引っかかる。
「私が依頼として登録するために話を聞いていると、途中で係長が割り込んできて、追い返してしまったんです。一般人からの依頼の受理は法律上の義務なのに、それを無視するとは信じられません!」
一度落ち着いた新人が、再びヒートアップしてきた。
「係長は、おばあさんを無理やり追い返したの?」
そうだとすれば問題だが、あの係長が「あからさま」な非違行為をするとは思えない。
「いえ……。そうではないのですが……」
新人の歯切れが悪い。
「おばあちゃんの話自体は30分くらい聞いていました。ただ、依頼に関係ないことで、去年旦那さんが亡くなって、それから腰が悪くなって杖がないとつらいと。あとは4月から息子さんが転勤になって、精霊の祠を掃除できていないとか……」
「なんと!」
つい驚嘆の声を上げてしまう。
あの面倒くさがり屋の係長が30分も話を聞くとは。しかも仕事に関係のない話を。
いや逆だ。業務を最高効率でこなすために、30分を投資したのだろう。
「それでおばあさんは、怒って帰ってしまった?」
そんなことはないだろうが、反語的に新人に問いかける。
「いえ……。お礼を言って帰りました」
円満解決と。
「そう。わかったわ。係長からも話を聞くから呼んできてくれる」
あとは双方から話を聞いた体裁にしつつ、答え合わせね。
「それが……あの。係長はおばあちゃんに付き添って、息子さんへの手紙を出しに行きまして。これは職務専念義務に厳密には反しているのですが……」
「そうね。高齢者のサポートのために短時間離席したからといって、職務放棄と評価するつもりはないわ」
人材難の当課とはいえ、係長は新人の指導担当として、私が見込んだ男だ。
一見してやる気は感じられず、「給料分は働きますよ」が口癖だ。ただ、実際は、嫌な顔一つ、二つくらいはしつつ、面倒事も抱えてくれる。結局、根は善人なのだ。
「でも、これだけじゃないんです。普段から面倒なカウンター業務は私にやらせてばかりで、質問しても『規程集とマニュアルの何章に書いてます』しか言わず。この前もマニュアルに書いていないと詰め寄ったら、『マニュアルの脚注の何番に書いているから良く見てください』とだけ」
「実際に必要な知識はマニュアル類に書いてあるのよね。分厚い資料だから暗記する必要はないけど」
何度か同じような業務に遭遇すると「勘所」が掴めてくるだろう。
「あと、マニュアルの箇所を即答できるのも、係長がカウンターのあなたの状況を把握しているからよ」
「それは……」
新人の顔が曇ってきた。要フォローだ。
「カウンター業務を任せているのは、あなたが十分に仕事をやり遂げられると係長が信頼しているからよ」
実際は押し付けている側面もあるだろうが、クレーム対応や問題の後処理は数倍の手間がかかるので、あながち外れてもいないだろう。
今回の件は、おばあさんが息子に会えなくて寂しがっていた。そもそも人恋しいのでゆっくり話を聞いてあげて、息子さんに手紙で近況を送るように促したのだろう。
精霊の歌がそもそも聴こえていたのかも怪しい。依頼として受け付けても配分先の冒険者との間でトラブルになるだろうし、おばあさんの金銭的な負担も馬鹿にならない。
もちろんギルド側も手間ばかりだ。
だからおばあさんは地元のギルドでも塩対応を受けて、わざわざ本部までお出ましだったのだろう。
「ただ、指導方法が分かりにくいのは私も感じるから、後で係長に伝えておくわ。今回のことで何か指摘はあったかしら?」
「係長からは『窓口の業務は、聴こえないメロディーに歌詞を付けるようなものだ』と」
聴こえないメロディーに歌詞を 秋穂藍 @aio_ai
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