第四回 0907 結果→3203文字/67分06秒

 夜の国道一号線に、並んだ四角いテールランプは、一直線に夜の向こうまで続いている。いつにも増してトラックの交通が激しい。どうしてだろうと考えてから、今日はクリスマスイブの前日――つまり、「クリスマスイブ・イブ」であることを思い出した。

 トラックに積まれたあの四角い箱の中にはきっと、子どもたちの夢が、あるいは恋人の愛情が、掃いて捨てるほどに詰まっているのだ。

 日本の物流を支えている彼らの膝元で、ミニバンの僕は少々居心地が悪かった。僕は与えるわけではなく、奪うためにこの道をひた走っているのだから。クリスマスプレゼントに一喜一憂していたころの僕が今の僕を見たら、きっとひどく失望するだろう。

 今日の依頼は簡単だった。

「ある少年を海に沈めて欲しい」

 珍しくもない依頼だ。この仕事をしていると子どもの死を願っている大人の多さに驚く。逆もよくある。

「平太っていう、和芥製薬の御曹司なんだがな。こいつを殺して欲しい」

 依頼主は、大学病院に勤務する医師だった。年はもう七十近かったが、その話しぶりからはまだまだ現役だという感が、嫌みなくらい伝わってきた。

「……理由は聞いても?」

 興味本位だったが、医師はそれを良しとしなかった。

「お宅に知る権限があるのかね。安心しなさい。金はよぶんに払うから、なにも知らずおきなさい」

 僕はそれ以上突っ込まず、前金の二千万の送金を確認すると、さっそく動き出した。それが一昨日のこと。

 誘拐までは上手くいった。学校の帰り道、人気のない路地に入り込んだ御曹司を軽く轢き倒し、生きていることを確認して車に乗せる。あの場で死んでいても良かったが、運良く生きていた。いや、運悪くというべきか。

 ともかく、こうしてひとり誘拐を完遂した。あとはじっくりと話を聞き出して、見込み違いだったら殺すだけだ。

 基本的に外部の人間を使わないのが僕のやり方だった。あいつらは金で動くぶん、仕事が雑だ。昔に一度だけしくじってから、もう金で外部の人間を雇うのはやめた。

 ひとりで依頼が続行できない場合のみ、会社の上司を頼ることにしていた。それ以外でも頼っていいと言われているが、丁重に断っていた。

 でも、そろそろ頼るべきなのかもしれない――

 大型のトラックに囲まれながら、僕は考える。昨夜からずっと、悪い想像に憑かれている。もしかしたらこのトラックは、あの医師の手配した殺し屋ではないのか。不安はそんなところにまで及ぶ。今にもミニバンに追突し、僕を殺すつもりではないのか。

 もう少し発展させてみる。

 彼らがそうだったとして、こうも僕を泳がせている理由は何だろう。御曹司が乗っていないことを確かめているのだろうか。確かに殺しては金が受け取れないとなっては、焦るのも無理はない。

 だからきっと、僕は殺されない。

「なに笑ってるんですか」

 後部座席で人の動く気配がした。僕は悪い想像をかき消した。トラックの運転手は誰もクリスマスプレゼントを運んでいるようにしか見えない。まさか僕や御曹司を狙っているだなんて、あり得ないことだ。

「おにいさん、昨夜からずっとおかしいですよ」

 ひょこっと顔を覗かせたのは、件の御曹司、七亜斗だった。年は十四才。金聖堂大学付属中学校という名門ミッションスクールの二年生だ。肌荒れのないつるりとした顔、天使の輪のかかった短髪、くりっとしたアーモンド型の目。女の子に見間違えそうな男子中学生だった。

 僕は片手でハンドルを支えながら、彼の顔をぐいぐいと押しやった。

「ちゃんと隠れてなさい。誰かに見られたらどうする……」

「そのときはお兄さんが死ぬだけでしょう? 海にでも捨てられて。あるいは車ごと燃やされて」

 ぼおん、といたずっらっぽい笑顔で、両手を開いた。

「あいにく、僕はまだ死にたくないんだ」

「死ぬ覚悟もないのに殺し屋やってるんですか?」

「何でも屋ね」

「一緒でしょ」

 確かに同じだ。でも殺し屋とは違って、僕らは場合によっては依頼主に楯突くこともある。殺し屋が飼い犬だとすれば、何でも屋ははぐれ犬だ、と先輩の言だが。

「七亜斗くんは詐欺に合わない方法知ってる?」

 彼は利口だった。それだけで意味を汲み取ったらしい。

「詐欺師になることですね。『だから殺し屋は殺される準備ができていない』って? そんな馬鹿な」

 僕は、ははと口先で笑った。利口な子どもほど癇にさわるものもない。

「死にたくないなら、どうして僕を殺さなかったんですか? 殺せば、釜口さんから残りの金をもらえたはずでしょうに」

 どうだろうか。少なくとも七亜斗は今、殺してはいけない対象に変わった。殺さなくて良かったという思いと、いっそ知らぬ存ぜぬで殺して、無理にでも成功報酬を受け取るべきだったという思いがない交ぜになった。

「大人には色々あるんだよ」

 僕はそれだけ言って、七亜斗の顔に肘鉄を食らわせた。ぎゃっと短い悲鳴を上げて後部座席に倒れ込んだ。

「悪いね、そこに顔があると運転がしづらいんだ」

 ガンガンと七亜斗が運転席を蹴っている。僕は気にせず、国道から脇道に逸れた。さっきからずっと携帯が鳴っていた。適当な路肩に停めて、電話に出た。上司からだった。

「状況は?」

 上司はこういうとき、挨拶もなくはじめる。僕はその性急さが少し苦手だった。

「悪くはないです」

「歯切れが悪い。はっきり言え」

「……目標をつれて逃げています。今は三重県桑名市を走っています」

「そうか。追っ手は?」

「ありません」

 なに、と上司は小さくつぶやいた。

「それは本当か?」

「嘘言ってどうするんですか」

「なあ俺は、『本当か?』と聞いたんだが」

 ああ、もうやりづらい。

「……追っ手らしき影を直接見たわけではありません。ただ、今日の交通量は明らかにおかしい。クリスマスイブ・イブだとしても」

「イブイブってなんだ」

「そこは今は引っかかるところじゃないです」

 僕はふっと息を吐く。トラックに追っ手はいなかった。ではどこにいるのか。

 簡単だ。トラックの流れていく先――つまりインターチェンジにいる。あのまま国道に乗っていたらそのうちトラックに四方八方を挟まれて身動きが取れなくなっていただろう。そして僕は捕まり、七亜斗は連れて行かれる。

 考えを話すと、上司は少し考えてから言った。

「国道からは降りたんだな」

「ええ、もちろん」

「そうか――」

 上司の声がワントーン上がる。どこか弾んでいるようにも聞こえた。

「――なら、もう一度国道にのれ。そしてこっちから追っ手を捕まえてやろうじゃねえか」

 電話の向こうで彼の口角が上がっているのが見えるようだった。

「そんなこと、できるわけ――」

「いや、できるな」

 上司は被せるようにして、

「どうして人は詐欺師になると思う? 殺し屋になるのは、どうしてだ?」

 僕は溜め息をついた。

「……だからって追っ手が追われていることを想定してないとは限らないですよね」

「安心しろ、上手くいく」

 それで電話は切れてしまった。僕は大きく息を吐いた。これだから誰かと仕事をするのは嫌なのだ。

「電話、終わりました?」

 七亜斗は鼻をさすっていた。鼻血が出ているようだ。

「ティッシュもらえますか」

「シートは汚すなよ」

 いざという時、彼のいた痕跡はない方がいい。

 僕はステアリングにもたれかかった。その拍子にクラクションが鳴る。だがそれもどうでもいい。

 これからのことを考えなくてはいけない。

 どうにかして七亜斗を殺さず、和芥製薬と話をつけて家まで送り届け、あの医師から払われるよりも大きな金を手に入れなくては。

 上司は事の重大さを分かっているのだろうか。一週間後までに二億円用意できなければ、僕も、上司も、その近辺の人間も、全員が産業廃棄物最終処分場送りになることを。

 そして誰よりも当事者の少年も、そのことを分かっているのだろうか。

「まあ、なんとかなりますよ」

 僕は腹が立って、もう一度彼の顔に肘鉄をやった。だが今度は防がれて反撃された。

 最悪な一日の幕開けにしてはなかなか悪くなかった。

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